『月の乙女』は帰れない 後編
ゆるりと振り返れば、そこには鮮やかな青の異国の礼装に身を包んだ、褐色肌の青年が立っている。
眼鏡が無いためぼやけてはいるが、その姿はまさしく、カグヤが最後に一目会いたいと願っていた人物であった。
「……ソルさん」
陽光を集めたようなまばゆい金の髪と、この国では珍しい艷やかな褐色の肌。
そして、片目を覆う黒の重厚な眼帯。
これだけ近くにいれば、その顔ははっきりと分かる。
「どうして、ここにいるの?」
「そりゃあ、留学生だからやねえ」
異国訛りのある柔らかな声音はまさに、『はんなり』という言葉が似合う。
何故彼がここに、そんな疑問符を持つ前に彼は恭しくカグヤの傍らに立った。
「ディアニス王太子殿下、彼女を不要と云うのならワタシが連れ帰っても問題はありまへんね?」
「……アポロシスの王子は随分と変わった趣味をしておられる」
「カグヤ嬢はワタシの友人です、友人が困っとるのなら手を差し出すのは当然の事」
海のように深い蒼が、こちらを見下ろす。
その瞳は今日も、凪いだ海のように穏やかだ。
「貴方、王子様だったの……?」
「まあ、継承権の低い第三王子やけどね」
にひ、と笑う顔は悪戯がばれた子供のようだ。
カグヤを庇うように前に出たソルが、ディアニスを静かに見据える。
「カグヤ嬢はアポロシス王国が貰い受けます、宜しいな?」
「……好きにするといい、アルテミシア王国には関わり無い事だからな」
ディアニスは本当にどうでも良いと思っているようで、投げ遣りな口振りだ。
くす、と一つ微笑むとソルはカグヤへと視線を合わせた。
「カグヤ、もし行く宛が無いならワタシのところに来て欲しい」
「……良いの?」
「当たり前やろ、この国の医学知識を学ぼう思ったけど、カグヤと話すほうがもっと有意義や」
そうして、彼はカグヤの片手を恭しく持ち上げて口付けを落とす。
その姿は、まるでおとぎ話のようだ。
「まるで王子様みたい」
「一応これでも王子様やねんけどね」
おどけたように肩を竦めるソルの様子がおかしくて、思わず笑みが漏れる。
「私、とろいし美人じゃないわよ」
「ワタシも運動は苦手や、それにアルテミシア王国基準では美人じゃないだけで、ワタシには立派な月のお姫様に見えるで」
「本当に?」
「この一個しか無い目に誓うてもええ」
繋いだ手は、ほかほかと暖かい。
たった一つのマリンブルーは色鮮やかで、眼鏡が無くても真実が曇ることはないだろう。
「どこにも帰れないなら、ワタシが帰る場所になったる」
「……ありがとう」
なんて暖かな気持ちなのだろうか。
柔らかな声音に、視界がぼやけるのは目の悪さだけではない。
この一年、耐え忍んでいた涙がほろりとこぼれる。
「……あ」
その刹那、胸にやどった陽だまりが具現化するかのように、カグヤの身体から金の光が放たれる。
神々しいその光はカグヤとソルを包み、そして身体の内に染み入るように消えていった。
「今のは一体……?」
己の身を見渡すカグヤの傍らで、ソルの眼帯が音もなく滑り落ちる。
その下の整った顔だちを見た令嬢たちから、感嘆と恍惚のため息がこぼれた。
「……目が、目が見える……!」
そっと瞼に触れたソルが歓喜の声を上げる。
かつて眼病を患って失明していたという隠された片目はすっかりと治っていたのだ。
「奇跡だ……」
「やはりあの娘は本物だったのか……!?」
カグヤの手の中に残ったのは、一年前にこの世界にやってきた時に掛けていた眼鏡であった。
大学の入学祝いに買ってもらった、オーダーメイドのものだ。
「ありがとう、カグヤ!
これで二つの目で君の幸せを誓えるようにな
った!」
「ふふっ、こちらこそ宜しくお願いね」
眼鏡を掛けると、視界がクリアになる。
ざわつく貴族達の真ん中で、顔を青ざめさせたのはディアニス王太子だ。
「土壇場で奇跡を起こせるようになるとは人騒がせな奴だ!
だが、『月の乙女』として機能するようになったのならば、側妃としてこの国に置いてやっても良いぞ!」
その口振りはどこまでも尊大で、カグヤをモノとして見ていることがわかる。
引き攣った笑みを浮かべるその美貌に、カグヤは静かに拒絶を示した。
「……私は国外追放された身、ソル王子の元に身を寄せます」
まさか断られるとは思わなかったのであろう。
屈辱に顔を歪めるディアニス王太子の傍らで、ヨーリィは寄り添いながら微笑んだ。
「ふふっ……お幸せに、カグヤ様」
澄んだ視界に、ソルの顔が映る。
帰る場所を得た月の乙女は、暖かな太陽のような手を再び取ったのであった。
明日からはソル編です




