お家デート?
記念すべき初デート(?)以来、ヨハンとは定期的に町に出かけている。とは言っても、行くところはだいたい劇場だ。演劇を見ることが多いが、たまにオペラやクラシックを聞きに行く。
どうもエミリアの旦那は、相手の為に何かを考えるのが苦手なようだ。大抵の遊び相手は、高い買い物を上げたり珍しい場所に連れていけば喜ぶ。
しかし、エミリアのような人間が喜ぶものが、彼には想像できないようだ。だから、何度も同じような場所に出向くことしかできない。
「つまらなくないか?」
四度目くらいか。帰りの馬車で彼に直接聞かれた。彼はいつも帰りの馬車になると饒舌になる。これがエミリアと出掛ける時のお決まりなのか、私にはわからない。
「いいえ、楽しいです。ヨハン様は、どこか行かれたいところはありますか?」
「特にないな」
あっさりと言われてしまった。普通の女性なら不満を抱いたり、不機嫌を露わに文句を言っただろうな。
これには、さすがのヨハンもまずいと思ったのだろう。すまないと謝った。私は、気にしてないと返した。エミリアの演技は、とっくに止めている。
ヨハンは多才だ。
バイオリンや乗馬、狩り、勉学、剣術、どれをとっても一流である。しかし、そのどれもが彼にとっては必要な技術であり、勉強したというだけなのだ。そこに楽しいという感情はなく、趣味という枠にはまらない。
「俺は、退屈だろ」
六度目のデート。これも帰りの馬車でだった。彼はポツリと言った。さすがに六回も連続で劇場に足を運べば、私がつまらないと思っていると考えるだろう。
そして、同じ場所にしか連れていかないヨハンにもそれは当てはまるだろう。
その時のヨハンは、まるで迷子の子供のようだった。彼の人間らしい表情を初めて見た私は、場違いにも微笑ましく思った。
それで私は思い当たったのだ。そういえば、彼と一日中ゆっくり過ごしたことがないなと。
「ヨハン様、次の休日はお家で過ごしましょう。今まで同じ食についたこともありませんでしたから、ご飯も一緒に食べるのもいいですね」
「エミリア?」
「無理に出かける必要はないのです。たまには家で一日中本を読んだり、散歩をしたり、ああお昼寝してしまうのもいいでしょう」
そうだ。演劇を見れるのが楽しすぎて、すっかり忘れていた。彼だって仕事で疲れているのだ。思いっきり怠惰な日々を過ごしたっていいではないか。
それに、前世ではお家デートなるものだってあったのだ。私たちがしてもおかしくないだろう。
「お家でお仕事をしたっていいです。私は同じ部屋で本を読んだり、編み物をしたりしますから」
ヨハンは、言葉を失っているようだった。
こうしてはっきりと見たことはなかったが、彼は存外、幼い顔をしている。
「私は、ヨハン様といて、つまらないと思ったことは一度もありません。貴方と見る景色はすべて明るく見えます」
沈黙が続いた。やがて、彼の口が一度、はくっと動いた。
「そう、か」
「はい」
「退屈とは、思わないか」
「はい」
「そうか」
「はい」
「―~そうか」
「はい」
「良かった」
それ以上、言葉が浮かばないようだった。
しかし、だんだんと思いがこもり、最後には万感の思いが詰め込まれていた。どんな表情をしていたかは、彼が俯いたことで見えなかった。
この時私は、自分がここからいなくなるその日まで、この人が休めるような場所を作りたいと思った。
というわけで、現在私たちはお家デートをしている。一応二人の家なので、デートというよりお家でまったりが正しいのだけれど。
ペラ。ペラ。カリカリ。
ページをめくる音と、何かを書く音が部屋で鳴っている。私たちはヨハンの執務室にいた。彼は机で仕事をし、私は『リトルフェアリーの台本集』を読んでいた。
モリーとは、あれから図書館で何度か鉢合わせている。
偶然というか、彼女と初めて会った日の曜日と同じ時間に私が図書館に行くようにしているだけなのだけど。毎週ではないけど、だいだい決まった曜日と時間に行くと彼女がいる。
そこで、演劇の話をしたり、おすすめの本をお互いに薦め合っていた。
本を読みながら、ヨハンの様子をさりげなく窺う。いくつもあった書類の山が消えていく。
(たしか、税理士とか会計士みたいな仕事をしてるんだっけ)
場合によっては、税務調査官のようなこともするのだったか。これで領主の仕事もこなしているのだから、有能さは推して知るべしだろう。
ペンを走る手が止まらない。よほど集中しているのか、私の視線に気づきもしない。午前中は時折ポツリポツリと会話をしながら、家の周りを散歩してみたり、朝食と昼食を一緒に食べた。
けれど、午後になって「仕事をしてもいいか」と聞いてきた。私は、考えるまでもなく了承した。
(ワーカーホリックなんだ)
趣味がないではなく、仕事が趣味のような人。それでいて、女性関係はだらしない。どうしてそうなったのか、追求してみたい衝動がちょいと顔を覗かせる。
(んー、やっぱつまんないとは思わないな。目の保養だし)
真剣に書類に向き合う彼は、絵画から飛び出した王子様のように格好いい。
本を閉じる。体を捻って背もたれに腕を乗せ、その上に頬を乗せる。
ヨハンの後ろの窓枠に鳥が止まった。チュチュチュと、鳥が鳴く。ペンが紙の上を走る。
なんて穏やかな時間だろう。意識がうつらうつらとしてくる。眠くなってきた。昼寝なんて何年ぶりだろう。
(ここで寝たら迷惑だよね)
でも、部屋に戻る気は起きなくて、私は襲う睡魔に落ちて行った。
恋愛経験がないわけではないのだ。前世で男の人と付き合ったことだってある。けれど、どれも長続きはしなかった。
「お前は演劇ばかりでつまらない」
相手のことはもちろん好いていた。
結婚を考えたことも何度かある。
でも、相手はそうではなかった。
原因はすべて私。
私が演劇ばかりだったから。演劇以外しか頭になくて、デートでもいつもどこかの劇を見ようとしていた。話も全部演劇ばかり。友達も劇団の子たちで、私といると何をしても演劇が付いて回る。
相手にとっては、とてもつまらない女だっただろう。だから、この世界に生まれ変わった私は、恋を諦めた。
(つまらないのは私のほう。いつつまらないって言われるか、怯えているのは私なんだよ)
「下手なくせに演劇ばっか! お前みたいなのがブロードウェイに行けるわけねぇだろ! いい加減現実みろよメルヘン女!」
時には、相手に酷い言葉を浴びせられて別れたこともある。
それぐらい、私は退屈でつまらない女なのだ。
それでも前世の私は諦めきれなかった。
だから夢は今も続いている。
目が覚めると、自分が背もたれではなく、ひじ掛けに頭を預けていることに気付いた。
部屋はオレンジ色に染まっている。起き上がると、かけられていた毛布が落ちる。
隣が温かい。向かいのソファに、私以外の影が出来ていた。見上げると、ヨハンが本を読んでいた。私が部屋から持ってきた本だ。それを呼んでいる彼の髪は、夕日に照らされオレンジ色に燃えているようだった。
「面白いですか?」
「わからない」
ヨハンの手が、本の文字をなぞる。顔があげられる。視線が交わる。
「だが、君が好きなものだ。良いものなのだろう」
私は、顔が綻ぶのを感じだ。見栄も嘘もない言葉が、こんなにも嬉しい。
(別に好きになってほしいと思っているわけじゃない。ただ、私の好きなものを受け入れてほしいだけ)
ヨハンの目が、また文字を追いはじめる。私は、また襲ってきた眠気に抗おうと何度も瞬きを繰り返す。
「もう少し眠るといい。夕食には起こす」
「ん~」
「おやすみ」
「ん」
瞼をヨハンの手で覆い隠される。あったかい。
(次に起きたときも、隣にいてくれたらいいな)
穏やかなまどろみの中に、私は再び落ちて行った。
ヨハンのお城での仕事は創造です。
何でもこなせる彼ですが、特に数字に強いという設定があります。