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最終話です。



 冬は寒いものだと思っていた。

 凍える季節だと思っていた。

 けど――、


「うーん、……暑い!」


 背中からごつごつしたものに身体をぎゅっと抱きしめられていて、身動きが取れない。

 なんか喉が痛いし、いつもよりもやけに暑いな。風邪か?と、思っていたところで、自分がやたらでかいシャツを着ていることに気がついた。


 あ、これ……京次のだ。なんで?


 見える範囲であたりを見渡すと、枕元にわたしのパジャマと下着が、几帳面なほど丁寧に畳まれて置かれていた。

 それを着ていたはずのわたしはといえば、京次のシャツだけで、他にはなにも身につけていない。


 そういえば、あちこち身体中も痛むし、なんか……下腹部に、妙な違和感が……。


 そこまできてようやく、昨日ことを思い出して、カッと頬が熱くなった。


「な、な、なっ……!」


 酔っていたわけではないので、昨日の自分の痴態が克明に蘇ってきた。


 羞恥で死ねる!なんてことをしてしまったんだ!


 そしてなぜか初キスのときと同様、途中で記憶がぷつんと途切れていることが恐ろしい。

 だって髪からシャンプーの匂いがしているのに、お風呂に入った覚えがない。

 一体どういうことなんだ?


「それよりも、まず服を……」


 考えるのはあとだ。京次が起きる前に、自前の服を着込まないと。こんなあられもない姿、見られるのは恥ずかしい。

 わたしは腕を極限まで伸ばして、なんとか指先でパジャマの布を引っかけた。


「やった……!」


「うぅぅ……ん」


「ぎゃぁっ!」


 寝ぼけながら髭を背中に擦りつける京次が、こともあろうにわたしの上にのしかかってきた。ぺちょっとうつ伏せに潰されたわたしは、あまりの衝撃にパジャマを手放してしまった。


「お、重い重い重い!死ぬっ……!じ、自分の体格考えろ!」


「ん?……ああ、悪い悪い。和菓ちゃん、逃げようとするから、身体が勝手に動いた」


「起きようとしてるんだ!」


 下敷きになったわたしが必死にじたばたもがいているのに、京次はのんきにふあっとあくびをする。


「もう起きるの?今日は休みだろう。夜中まで和菓ちゃんを愛でるプランをびっしり立ててあるから、安心して身体を任せていいからな?」


 そう囁きながら耳をかぷっと食まれ、背骨のラインを指でつぅっ、となぞられた。


「ひゃうっ!」


「お。いい声〜。開発のしがいがあるなぁ」


 なにをさせる気なんだ!調教か!?


「うわぁーん!昨日のわたし、早まったー!」


 畳の隙間に短い爪を引っかけて、腕の力でじりじり脱走を試みるも、


「仔猫みたいでかわえ〜」


 獰猛な肉食獣に仔猫ごときが太刀打ちできるはずもなく、腰を掴まれると、あっけなく布団へと引きずり込まれた。






 お昼すぎ、昨日と同じ顔ぶれが、手土産持参で訪れた。

 塩をかけて追い返せばいいのに、京次は彼らをにこやかに招き入れて、お茶のしたくを始める。

 あれだけめいわくをこうむって、あまつさえ死ぬ思いまでしたのに、京次は人がよすぎる。


 髭と変態を差し引いても、お釣りが来るんじゃないのか?


 そして言いたいことは山ほどあるのに不可抗力で動けないわたしは、座椅子に身体を預けてこたつに入ったまま、誰とも目を合わせず沈黙していた。

 父は昨日の今日だからか、仕事は休んだらしく私服で、母はいつも通り。千代子はわたしの快適な座椅子に目をつけ、追い剥ぎのように奪い取っていった。

 京次がお茶と手土産のシュークリームを彼らへと出したあと、壊れたおもちゃのように倒れて怒りでぷるぷるしていたわたしを抱き起こした。そしてそのままあぐらをかくと、わたしを膝に乗せて、こたつへと入る。


 待てい!この体勢はおかしいだろ!


 顔を朱に染めるわたしを、千代子が怪訝そうに見遣る。


「なんか……お姉ちゃん今日、静かじゃない?」


 どっかの誰かのせいで、かすれた声しか出ないからな!


 首をひねって京次を睨むと、上機嫌で頭を髭でぐりぐりされた。

 人の親の前で、よくそんなことができるな。

 わたしが呆れているところへ、父がなにごともないような慇懃な態度で頭を下げた。


「昨夜はうちの事情に巻き込み、大変なごめいわくをおかけして申し訳ありませんでした」


 うん?父には、京次に髭で弄ばれているわたしの姿が見えてないのか?


「いいえ。頭を上げてください。かわいい和菓ちゃんのご家族は、俺にとっても身内みたいなものですので」


 すっかり身内気取りの京次に、父はどう対応していいかわからず戸惑っている。心の狼狽が手に取るようにわかった。


「その……本当に、和菓子を……?」


「愛してるので、嫁にください」


 あ、愛して……!?

 恥ずかしい!……けど、嬉しい。


「そ、そうですか……」


 京次の告白にあてられ、父が自前のハンカチで額の汗を拭く。

 父の感触はよさそうだ。

 問題なのは……、と、わたしはつんとした母へと視線を移した。


「私は反対よ。かわいいチョコちゃんじゃなくて、和菓子を選ぶなんて、ろくな人じゃないわ」


 基準がそこなのか。わたしを選ばなかったハゲに殺されかけたくせに。


 ただ……京次がいるから、母にどれだけ辛辣な言葉で貶されても、昔ほど気にならなくなった。

 どれだけ「かわいくない」と連呼されても、その倍、京次が「かわいい」をくれる。

 京次の守備範囲が普通とずれていてくれて、本当によかった。


「――ねぇ?そう思うわよね、チョコちゃん」


「うん。このシュークリームおいしい」


 徹底して女王は気ままだな。


「だが和菓子をもらってくれると言うんだから、ここはありがたくもらっていただかないと。こんな機会、もう二度と訪れないかもしれないだろう」


 わたしも父の意見に同感で、冗談ではなく誰かに結婚を申し込まれる日が来るなんて奇跡だと思った。しかも、千代子に目移りしない男。

 きっとわたしには、このごつい髭の変態くらいがちょうどいいんだ。

 髭でぐりぐりされると、まだ鳥肌は立つけど、いつかは慣れるかもしれないし。


「……だめよ、そんなの。和菓子はただでさえチョコちゃんよりも損をして生きてるんだから、せめてお金にだけは苦労しないところへ嫁がせないとでしょう?」


 なにそれ。顔面における多大な損失を、金銭面でフォローせねばと、一応親としてわたしのことを考えていてくれたということ?

 感動すればいいところなのか、さっぱりわからん。


「蓄えはそれなりにあるので、路頭に迷わせることはないとお約束します」


 京次は無駄遣いとかしなさそうだし、スーパーのチラシとかしっかりチェックする主婦のようなところもある。節約はするけど、かと言ってケチってわけでもない。家賃の未払いも結局、催促されていないし。

 そのあたりはおばあちゃんに、本当によく似ている。

 たとえ路頭に迷っても、京次がいたらなんとかなるんじゃないか?と思えてしまうのが不思議だ。


「……和菓子は、どうなんだ。彼と結婚したいのか?」


「わたしは……別に、まだ急がなくても、いいかと……」


 だってやっと付き合い始めたばかりなのに、急に結婚とか言われても、ピンとこない。

 そのためらいを感じてか、京次が安心させるようにつけ加えた。


「和菓ちゃんの心の準備ができるまでは、婚約でも構いません」


 振り返って見ると、なぜかほんの一瞬、ニヤリと悪どい笑みを浮かべていた。

 なにかよからぬことでも企んでいるのだろうか?

 身の危険を感じたところで、千代子がシュークリームを食べ終えて話に口を挟んできたので、わたしの気が逸れた。


「お姉ちゃんが結婚かー。人妻かー」


 口の端についたクリームを、ペロリと舐めとる千代子の口調は拗ねている。


「もう侍女はしないからな」


 牽制のため睨むと、千代子はやれやれとため息をついた。


「まぁ、いいよ。そのおじさん、わたしになびかないし。それにいつかは、お姉ちゃんを侍女から乳母に昇格するつもりだったから」


 わたしは千代子の子供を育てさせられる予定まで組み込まれていたのか!?

 あ、だけど……千代子に育てさせるよりも、わたしが育てたほうがいいのか?

 子供のためを思うと、その方がいいよな、絶対。


「それにしても、お姉ちゃんに先越されるとは思わなかったー。わたしも誰か、見繕って来ようかな?」


 唐突に千代子のプライドと闘争心に火がついたようで、シュークリームを食べ終えたこともあり、彼女はあっさりと帰ってしまった。

 そうなると母は当然のように追いかけ、父も京次に軽く頭を下げてそのあとに続いた。


 わたしの話は結局放置か!


 台風一家一過だ。もう来ないでほしい。一生。……叶わないだろうけど。


「――婚約でよかった?」


 話しをふられて、京次の存在を忘れていたことに気づいた。


「あ……うん。それなら、猶予があるし。だけど、婚約期間中に、わたしがやっぱりやめるって言ったら、どうするの?」


 先のことはどうなるかわからない。

 わたしのことだから、怖気づいて逃げ出したくならないともかぎらないし。


「ん?和菓ちゃんがどうしても無理って言うなら、そのときは潔く身を引くよ。婚約破棄の慰謝料もいらない」


「え、……いいの?」


「本音では嫌だけど、好きだから。すがって情けないところは見せたくねぇよ」


 そういうものなんだ……。

 お腹を撫で撫でされながら、一年くらいは婚約期間でいいかなと楽観的なことを考えていると、京次が思いついたようにその可能性を口にした。


「だけど、赤ちゃんできたらすぐ結婚な」


 それは……そうなるだろうけど。


「あの……避妊、してたら……できないんだよね?」


「ん?ちゃんとしてたらなー」


 京次がにこっとした。妙に作り物っぽい笑顔だ。

 京次の言う、ちゃんと、というのが実はよくわからない。けど、恥ずかしくて聞かないし……。


「じゃあ、やっと二人きりになったことだし。かわいい和菓ちゃんを愛でようかな〜」


 と、言いつつ、もうすでに無骨な両手のひらがフライングしている。その手を叩いて、京次の顎へと頭突きした。


「ぐはっ……!」


 なかなかうまく入った。京次は顔をしかめながら、髭越しに顎を慰める。


「……今日あたりが都合よさそうなんだけどなぁ……」


「なんのだ!」


 ああ、もう!叫ぶと喉が痛い!


「じゃあ、ちゅー」


 ニヤニヤしながらうっすら赤くなった顎を寄せてくるから、意表を突いて唇にキスした。

 目を丸くする京次に、勝った気でふふんと鼻を鳴らすと、背中からがっちり拘束された。冷や汗が流れる。


「懐いた和菓ちゃん……かわいすぎる。好き」


「う、……京次は髭、だけど…………す、好き」


「よし、わかった。年だからきついけど、かわいい奥さんをはら……じゃなかった、愛でるためにがんばらねぇと」


 急に身体が浮いた。横抱きにされて、青ざめたわたしは京次の胸を叩いて抵抗する。


「変態!まだ奥さんじゃない!やっぱり、やだぁーー!家主らしく適切な距離の保てー!」


 古民家に、わたしの切実な絶叫と、京次の弾ける笑い声がこだました。




*・*・*




 その洋風な一軒家には、花であふれた広い庭があった。

 明るく花壇を彩るナデシコやデイジーから、プランターに所狭しと伸びたピンクのチューリップ畑。水を撒いたあとなのか、青々とした芝生は日の光を反射させた水滴でキラキラしていた。

 そんな庭の手入れしている、腰の曲がったその小さなうしろ姿を見つけたわたしは、嬉しくなって柵越しに呼びかけ手を振った。


「おばあちゃーん!」


 花々に囲まれていたおばあちゃんは、わたしに気づくとにっこりと微笑み、軍手をはめた両手で腰を押さえてゆっくりと立ち上がった。


「和菓ちゃん。それに、京次も」


 うしろに立っていても余裕で顔が出る京次は、たいやきの袋をわたしの頭にちょこんと乗せた。


「ばあちゃん。たいやき買ってきた」


 おばあちゃんはころころ笑い、庭に設えられたパラソルつきのガーデンテーブルを指差し、おいでと手招きをした。


 こうしておばあちゃんの新しい家で会うのは初めてのことだ。

 おばあちゃんはすっかりと元気そうで、外までお茶を運んできてくれた。

 今日は庭でお茶をするのにはちょうどいい、あたたかな陽気。パラソルの日陰も、風が涼やかで心地いいから、ついうとうと眠くなってしまいそうだ。


「たいやきなんて、久しぶりだねぇ」


「そうなんだ?うちは和菓ちゃんが、たいやき好きだからよく食べるよ」


「え?京次が好きなんじゃないの?」


「ん?和菓ちゃんだろう」


 まぁ、どっちでもいいか、と三人でたいやきを頬張る。


「今日は二人揃って、どこかにお出かけだったのかい?」


「う、うーん……と、お出かけって言うか……帰りって言うか……」


 わたしが歯切れ悪くごにょごにょ呟いていると、おばあちゃんがふと首を傾げた。


「そういえば和菓ちゃん、少しだけど、ふっくらとしたねぇ」


 うっ。二匹目のたいやきに伸びた手が緊急停止した。


 なにもかも京次のせいなのに!


 わたしは涙を溜めて、諸悪の根源を睨みつけた。


「ばあちゃん。実はさ――」


 むすっとするわたしのことなどお構いなしに、満面の笑みを浮かべた京次が、おばあちゃんへと内緒話を囁く。

 そのとき、ざぁっとやわらかな風が吹いた。その風にさらわれて、京次がなんて言ったのかは聞き取れなかったけど、おばあちゃんが花が咲くようにみるみる顔をほころばせたことで察した。

 おばあちゃんはわたしと京次を交互に見遣り、まあ!まあ!と歓喜の声を上げる。

 反対にわたしはまだ、自分が置かれている状況に理解が追いつかない混乱の最中だ。だけど二人があんまり嬉しそうに笑うから、なんだか怒っているのがばからしくなって、諦めのため息をついた。


 笑っていれば、きっとすべてうまくいく。


 なんだか幸せそうな二人を眺めていたら、根拠もなくそんな気がしてきた。

 二つの優しい眼差しがこちらを向く。

 無意識にお腹に手を当てながら、距離なんて初めから関係なく接してくれた、大切な二人の家主さんへと、わたしもそっと微笑み返す。

 京次が、かわいい、と言って擦り寄せてきた髭が、やっぱりまだぞわっとするのは、わたしと……この子だけの秘密だ。





おしまい


最後までお付き合い、ありがとうございました!




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