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詩人の密薬⑬および、透明な私の在り処

 水島羽鳥が次に天使に出会ったのは、病院のベッドの脇だった。

 その天使は私の前に唐突に現れ、微笑んだ。それはあの夢に見たままの美しさで、それを目の当たりにした私としては、相対的に自らの貧相なすがたかたちが本当に哀れに思えてしまって居たたまれなくなった。もう、目隠しで自分の姿も見えないのだけれど。それでもどうしてか、私を迎えにきた美しい天使の姿だけは、ある種のまばゆさを伴ってはっきりと視認することができた。私の目は、私のこの目は、自分の心の弱さのせいですっかり壊れてしまったのかもしれない。私は私のしたことを知っているし、弱い私が甘えてしまった、白くてやさしい魔法の意味だって本当は解っている。病院にいる人たちは私のことを薬で気の狂った心の弱くてかわいそうな人だと言うかもしれないけれど、実際そうなのかもしれないけれど、そう思われる分には一向に構わないのだけれど、私が蒙昧無知で薬の飲み方さえ解っていなかったのだとは思ってほしくなかった。決して。思考がとっ散らかってまともに言葉も紡げないこの瞬間でも、それだけははっきりしていた。私は自分の意志で、本当はすべて解って魔法をかけたのだと。自分の意志で天使に会いに来たのだと。あのおぞましい少女を呼んだのだと。

「迎えに来たわよ、水島羽鳥」

 そう認知した瞬間だったと水島羽鳥は認識していた。

 私の前に現れた天使が、みるみるうちに輝きを失っていく。次の瞬間、天使が黒いもやに包まれて、あの顔のぼやけた少女に変貌したのだ。

「――ええ、いらっしゃい。待っていたわ」

 水島羽鳥は低くささやく。

 私は意を決して、今まで目を逸らしてきた少女に言葉を投げかける。なるべく平静を装って、低く低く。もしかしたら全然装えていないかもしれないけれど、それでもなるべく低め低めに。私の言葉を聞いた少女は驚いたように目を見開くと、私に向かってにこりと微笑んでみせた。まあ、顔が見えないのだから、全部私の妄想に違いないのだけれど。

 にわかに、水島羽鳥の周辺が騒がしくなった。

 わたしはただ見ていることしかできなかった。

「やっとあたしを見てくれたのね」

「見えていたわ、最初から」

 私は少女に少しだけ嘘をついた。

 水島羽鳥は唇を動かす。

「私の弱さが、私の弱さから生まれたあなたを認めてあげられなかっただけ」

 少女が、私から見てはっきりと判るほどにたじろいだ。ああ、この子は動揺しているのねと、私は少しだけほほえましく思った。

 水島羽鳥は笑った。

 わたしにはその意味が解らなかった。

「あなたはあたしを認めるのね」

「そう言っているわ。それに、認めるも何も、現にあなたは私の目の前にいるじゃない」

「そうね」

「あなたが、私の天使だったの?」

 わたしの唇が乾く。

 水島羽鳥の言葉は続く。

「そうかもしれないわ」

 少女は私に向かって微笑んだ。彼女の笑顔はぼやけてにじんで歪んでいたが、不思議と、とても美しかった。

 彼女の笑顔はぼやけてにじんで歪んでいたが、やはり、とてもおぞましかった。

 少女は私に向かってさらに何かを伝えようとする。

 彼女の小さな口が必死に動いているのだ。

「あたしは」

「私は」

 そのときだった。目の前の幼い少女に異変が起こったのは。それまで顔だけがぼやけてにじんで歪んでいた少女の手足が、急速にぼやけてにじんで歪み始めたのだ。それどころか、少女の身体全体がどんどんと透けていく。私は動かない身体を必死によじって、着実に消えていく少女の影に手をのばそうとあがいた。

 水島羽鳥のベッドがガタガタと揺れる。

「ねえ、天使さん、どこへいくの?」

 少女は一層たじろいだ様子を見せる。ああ、とか、うう、とか、言葉にならない言葉を垂れ流している。そうこうしている間にも、少女自身が解けて溶けて融けて熔けては流出をしている。もう、どうにもできないようだった。少女はもう元のかたちを留めない姿で、ようやく言葉らしい言葉を絞り出した。それはそれは、本当に、絞り出すようなひと声だった。

「ああだめ、魔法が、」

 行かないで、やっと見つけた私の天使さん。行ってしまって、私の弱さが見せた悪夢よ。もう自分でも何が本当で何がマボロシなのか判断できない。ただひとつ確かなのは、ただひとつ確かなのは――。

「ない――、も……、の」

 私が私にかけた魔法には、明確な終わりがあるということだ。

 私の意識は、透明になった。

 病院を出た私が少女に会うことは、二度となかった。


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