置かれていない朝
朝、橋の上に桶はなかった。
木の欄はそのまま。
足跡もある。
だが、水だけがない。
イルロは橋の中央で立ち止まる。
「……今日は、ないですね」
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見回り役のノルが歩いてくる。
「誰もやってないか」
「そうですね」
ノルは橋を一度踏む。
揺れはいつも通りだ。
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水路番のグラドが下から顔を出す。
「気づかなかった」
「私もです」
イルロが答える。
畑番のオルナもやってくる。
「今日は畑を先に見た」
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三人が橋の中央に立つ。
「置くか?」
ノルが言う。
「置く」
グラドが答える。
「置く」
オルナも続く。
*****
グラドが桶を取りに戻る。
その間、
ユルンが橋を渡る。
「水は?」
「まだだ」
ノルが言う。
「珍しいな」
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イセラも干し場から顔を出す。
「ない日もある」
「困るか?」
オルナが聞く。
イセラは少し考える。
「少しだけ」
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グラドが戻ってくる。
桶に水を入れ、
橋の欄に置く。
水面が揺れ、
朝の光を受ける。
「これでいい」
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ノルが手を入れる。
「冷たい」
ユルンが笑う。
「やっぱりあると違う」
*****
午前中、
村の仕事はいつも通り進む。
だが、
誰もが一度は橋を見ている。
「今日は遅かったな」
「朝に気づかなかった」
「たまにはある」
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昼、
橋は静かになる。
桶の水も、
ゆっくり温くなる。
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午後、
子どもたちが橋に来る。
「今日はある!」
「さっきはなかった!」
ノルが笑う。
「途中で来た」
*****
夕方、
橋の上に人が集まる。
いつも通り、
水は使われる。
ユルンが言う。
「ないと分かるな」
オルナが頷く。
「あるのが普通になってた」
*****
イセラが布を湿らせながら言う。
「なくても困らない。
でも、あるといい」
グラドが桶を見る。
「それで十分だ」
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日が傾き、
桶の水が少なくなる。
イルロはそれを見ながら呟く。
「……続くものほど、
一度抜けると分かりますね」
*****
セレン村の初夏は、
習慣を固めすぎず、
ときどき抜けることで
その意味を確かめる。
明日も水は置かれるだろう。
だが、
「置かなければならない」にはならない。
それが、この村の形だった。




