戻したぶんだけ軽い
朝、工房の前にはすでに笑い声があった。
「今日は静かだな」
水路番のグラドが言う。
「昨日よりな」
畑番のオルナが応じる。
二人は同時に工房の戸を見た。
「戻したか?」
オルナが聞く。
「少しだけな」
グラドが肩をすくめる。
イルロは戸口に立ち、二人を迎えた。
「流れはどうですか」
「落ち着いた。
速すぎもしない」
「畝も同じだ」
オルナが言う。
「増やした分を少し戻したら、
視界が広がった」
*****
そこへパン焼きのユルンが袋を抱えてやってくる。
「今日は固くない」
「焼き直したのか?」
グラドが聞く。
「いや。
昨日の反省を、
半分だけ覚えてた」
三人が笑う。
「全部覚えてたら、
固くなる」
オルナが言う。
「忘れすぎても困る」
ユルンが返す。
イルロは静かに言った。
「春は、
覚えすぎも
忘れすぎも
求めません」
*****
午前中、染め物のイセラが布を持って現れる。
「色、一つ減らした」
「どうだ?」
ユルンが聞く。
「ちょうどいい」
「昨日のは?」
オルナが尋ねる。
「残した。
少しだけ」
グラドが頷く。
「混ぜた分、
消さないほうが
深みが出る」
*****
昼前、見回り役のノルが立ち寄る。
「今日は穏やかだな」
「昨日よりな」
ユルンが言う。
「混ぜたあとに戻すと、
軽い」
ノルは少し考え、
こう言った。
「軽いのに、
薄くない」
その言葉に、
一同が静かに頷く。
*****
昼過ぎ、
工房の前はにぎやかだが、
議論はない。
「今日はこれでいく」
「それでいこう」
「また変えたくなったら言う」
誰も、
正解を押しつけない。
イルロは作業台に手を置きながら言う。
「戻したぶんだけ、
動きやすいですね」
「確かにな」
オルナが言う。
「重いと、
次が出ない」
*****
夕方、
人々はそれぞれの場所へ戻っていく。
最後に残ったユルンが言った。
「なあイルロ。
昨日混ぜて、
今日戻して、
明日はどうする」
イルロは少し考え、
静かに答える。
「明日は、
混ぜるかどうかを
話すかもしれません」
ユルンは笑い、
焼き場のほうへ去っていった。
*****
通りは落ち着き、
工房の前には柔らかな静けさが戻る。
イルロは戸を半分閉め、
今日一日の声を思い返す。
混ぜた。
戻した。
少し残した。
「……春は、
試してから整えさせますね」
セレン村の春は、
重くならない深さを育てている。
違いを恐れず、
戻すことをためらわず、
少しだけ残す。
その繰り返しが、
村の呼吸を整えていた。
一日は終わる。
軽さを抱えたまま、
明日へと続いていく。




