あひにあひて 物思ふころの 我が袖に
伊勢
あひにあひて 物思ふころの 我が袖に 宿る月さへ 濡るるかほなる
(巻第十五恋歌五756)
本当に時を合わせて、この物思いに沈んでいる私の袖に映る月さえ、その顔を濡らしているのです。
実際は、自分が月夜で泣いていて、袖にたまった涙に映る月が濡れたように見えるということ。
そのまま、「涙」という言葉を使わず、実際は袖にたまった涙に映る月の顔から自身の泣き顔を連想させる。
新古今時代の歌人に好まれ、相当数本歌取りされている。
伊勢の恋歌の代表作の一つ。
あひにあひて物思ふ春はかひもなし花も霞もめにしたたねば(和泉式部)
なれし夜の月ばかりこそ身にはそへ濡れても濡るる袖にやどりて(藤原定家)
※伊勢:貞観十六年(874)、あるいは同十四年(872)出生~天慶元年(938)以後に没。伊勢の御息所とも称される。若くして宇多天皇の后藤原温子に仕える。また、宇多天皇の寵を得、皇子を産むが、その皇子は五歳(八歳とする本もある)で夭折。
歌人の中務の母。
古今集二十三首、後撰集七十二首、拾遺集二十五首入集は、いずれも女性歌人として集中最多。勅撰入集歌は計百八十五首に及ぶ。三十六歌仙の一人。




