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古今和歌集から(1)  作者: 舞夢
218/289

いざさくら 我もちりなむ ひとさかり

うりむゐんにてさくらの花をよめる

※うりむゐん:雲林院。素性法師の父遍照の住居。

そうく法し

※そうく法し:承均法師。大和大掾の子。


いざさくら 我もちりなむ ひとさかり ありなば人に うきめ見えなむ

                        (巻第二春歌下77)


雲林院にて桜の花を詠んだ歌。


さあ、桜の花よ、私と一緒に散ってしまおう。

一度盛りを過ぎてしまえば、後は惨めさを見られるだけなのだから。


桜の満開の華やかな時期、人生でも絶好調の時期も、過ぎてしまえば惨めなだけ。

そんなことなら、一緒に、さっさと散ってしまおうと詠む。


※参考;後代、吉田兼好が徒然草第137段で語ったこととは、全く別の発想。

(原文)

花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。

雨に向ひて月を恋ひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。

吹きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見所多けれ。

歌の詞書にも、「花見にまかれけるに、はやく散り過ぎにければ」とも、「さはる事ありてまからで」なども書けるは、「花を見て」と言へるに劣れる事かは。

花の散り、月の傾くを慕ふならひは、さる事なれど、ことにかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし」などはいふうめる。

(現代語訳)

桜の花は満開の時期、月は満月のみを見るべきものなのだろうか。

雨を見ながら見えない月を恋しく思い、部屋の中から出られず春が暮れていくことを知らないでいるほうが、より深い情趣があると思うのである。

咲き始めて間もない梢や、既に萎れてしまった花びらが散り敷かれた庭にこそ、見るべき価値が多いのである。

和歌の詞書においても、「花見に出かけたけれど、既に花は散ってしまっていたので」とも、「さしさわりがあるため、花見には出かけられず」などとあるのは、「花を直接見て」というのに、劣ることなのだろうか。

花が散り、月が西に傾く風情を愛しむ思う心は、素直であると思うけれど、特に風情を理解しない人などは、「この枝もあの枝も花は散ってしまった、今となっては見る価値がない」と言うようである。

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