敗戦と微かなズレ
結構好きなシーンです。
演説ではこのシーンが自分の中で一番です。
「はぁ、はぁ……皆さん、無事ですか?」
戦線から離れ、息を整えるのは兎耳の獣人。
今もピンと立つ白い耳と同じように白い防寒着を着ている。
確認するのは勿論、逃げた兵士たちの数。
イナバの後ろをついてきた男が答える。
「はい、元居た私たちは勿論、敗残した兵も合わせて二千と五百と言ったところです」
「そうですか……。ありがとうございます。フランシスさん」
そう言って、一息ついたイナバは〈スペース〉の魔法から何かを取り出す。
それはテントと食べもの。
ざわりと辺りが騒がしくなる。
「副官……それは一体……?」
「……」
同様に準備するフランシスと千人の兵士たち。
疑問を持つのはそれが一人分のではなく二人分であったこと。
無言で全ての道具を出したイナバはクルリと振り返り、彼ら将を失った敗残のマルゼン軍を見る。
「戦争は終わりました。とは言え、敵の追撃が無いと判断するのは未だ早計です。敵の襲撃に備え、見張りを立てておくのが無難でしょう」
イナバの命令に慣れているフランシスたちはテキパキと行動に移す。
必要最低限の明かりを付けながら、夜の闇は徐々にイナバたちを覆っていた。
これ以上の移動は不可能だと判断したイナバは星を見ながら、何かを思い出すように言葉を紡ぐ。
「戦争は終わりました。この後に皆さんが何をするのかは分かりません。……ですが、これだけは事実であり、覆せないもの。
後になっても、誰かと幸せになっても、酒に溺れても、この事実だけはしっかりと胸に刻みつけて下さい。
私たちは――戦争に負けたと言うことを――」
乱世に置いて、たった一回の敗北で歴史の敗者になることは残酷であるが当然のこと。いかに学のない彼らであってもその言葉の意味は十分に理解できた。
つまり。
酷く、酷くその言葉は静かな闇夜に響いたのだった。
「私たちは――この戦争で負けました」
酷薄の言葉はイナバとそれを聴取している兵士たちに無軌道な夜風を吹かせた。
何処までも散漫な風は闇の空に向かって飛ぶ。
「この戦は戦局を左右する。もしくは戦を終わらせるものであったことを、あなたは?」
そう言って彼に指さす。
「あなたは?」
その隣に指さし。
「知っていましたか?」
聴衆を一人一人指さすイナバの瞳は紅く揺れていた。
誰もがこの戦の敗北に今更ながら気付いたのだった。そして敗北して気付くこの戦の重要性と可能性のあった話。
「うぐああ……!」
思い出したかのように聞いていた男の左腕の包帯から血が滲む。
「ふ……っぅ」
グラリと仲間の肩を借りる少年。
疲れが今、吹き出したように体を預ける。
敗北の言葉と共に彼らは今、散漫となった現実を理解するのであった。
「この戦はそれほどまで歴史と時代を動かすもの。つまりは、これからの悲劇を防ぐことが出来た機会。これを逃した私たちは――失うかもしれません」
それは戦に負けたことによってこの闘争が続くことを意味していた。
つまりは、これから身に起きている悲劇を防げなかったことを懺悔するのだ。
暗雲な気持ちが夜空に広がった。
未だ続く悲劇に、もしかしたら巻き込まれる我が子と妻を考えた彼らは後悔の念を抱かずにはいられなかった。
遠くにある幸せが戦禍に焼かれることを幻視して――。
カツン……。
杖を鳴らす音は彼らの耳に小さく届いた。
「だから、私たちは戦います」
力強くイナバは笑った。
その笑顔は正しく夜空に浮かぶ一等星。
朗らかに暗雲の空を照らすには小さな星の光であるが、それでも彼らの心をともしたのは決意の光。
「戦わなければならない。戦わなくてはならない。今も残る暗雲を今度こそは晴らさなくてはいけない。その義務が負けた私たちに重くのしかかる罪。ああ、だからこそ私たちは生きている……。この戦は負けましたが、人生に置いてまだ――敗北した訳でないです」
輝く瞳で未来を見るイナバ。
傾聴する誰かがブルリと震える。
「怖いですか?」
「いや、武者震いだよ」
名もない彼が答える。
頷くのはイナバで――
カツン。
再び杖は強く鳴る。
「戦いましょうよ、次は勝つために。
戦いましょうよ、幸せを守るために。
戦いませんか?私たちと共に」
明るい夜が彼らを包む。
なぜなら、夜空を照らすのは一等星の他に様々な星があったから。
バーガル監獄に戻ったメルは増えている兵士たちに驚きながら、執務室で事の顛末を知る。
朝の光がたった三人しかいない部屋を煌々と優しくて包む。
愕然としながらもその動揺を上手く隠すメル。
扇子で表情を隠すベガ。
片や俯きその動揺を隠そうとしないイナバは事実をコンコンと説明した。
「……そうですか。マルゼン様は討たれましたか……」
「はい……つきましては、敗残した兵士たちのことですが……」
言いにくそうに口ごもるイナバに対してメルは優しく微笑む。
「勿論、許可します」
「かかか、問題ないじゃろう。イナバよ、よくやった」
小さく笑顔が咲く。
だが、それはすぐに元の真剣な顔に戻る。
ゴホンと自らを叱咤するイナバはここが執務室であることを強く意識していたから。
苦く笑い微笑むメルはその生真面目にどう対応していいのか分からない。
ベガはそれをただただ、笑う。
「失礼しました……」
礼儀正しく失礼のない態度で退出するイナバは重い扉を丁寧に開けて、閉めた。
無音に近く静かにイナバは退場する。
残った二人は片方がため息をつき、片方は扇子で笑みを隠す。
「侵攻は失敗でしたね……」
「かかか、そう上手く敵の重要拠点は堕とせんよ。とは言え、敵の威力偵察できたのと敗残兵を回収できたのは不幸中の幸いじゃろう」
不幸よりも幸いが勝っているが、この際の言葉の綾はどうでもいいこと。
疑心するのはメルで、それは余りにも都合よく進む物語についてベガは何処まで知っていたかと言うこと。
メルは気付いているのだ。
ベガは自分に対して言えないことをしていると。
「……ベガちゃんは――」
「その質問には答えられん。答えたとしてもその答えにメルは理解できないじゃろうからな」
安心よりも勝、暗信。
言葉が出にくいメルはそろそろ、そろそろ、知らなくてはならなかった。
ベガにとって“戦争とは何であるか”。
「……ベガちゃんは……ベガちゃんにとって戦争とは何ですか?」
「……」
「私の知らないところでベガちゃんは考えて行動しています。……最近はそれが目立つようになって……、上手くは言えないんですけど、私とベガちゃんの考えが……」
ズレている。
そう断言できる段階までメルは成長したのだった。
揺れるのはベガの瞳とメルの心。
あと一押しで崩れる均衡にメルは更なる言葉を紡ごうとしたのだが――。
「綺麗ごとだけで世の中は上手くはいかぬよ」
「……」
「お主は綺麗なままでよい。疑心暗鬼になるのも無理ないが――」
〈自己召喚〉で机の上に立つベガは椅子に座り驚いているメルを見下ろす。
そして。
「言葉で信じぬのであれば、“行動”で示そうか?」
パチンと扇子を閉じたベガはメルに自分の唇を近づける。
唐突に前触れもなく接吻を求める。
一種のセクハラに近いものであるが、今はそれどころではなく混乱するメルは顔を赤らめながらその唇を凝視する。
対してベガは戸惑うメルを可愛く思いながら、ペロリと自分の口ビルをなめた。
艶めかしく、妖艶に、交わろうとして――
「や、止めて下さい……!」
「……」
赤らめた顔を視線を下にそらす。
緊張して肩で息をするメルの視線は狼狽える。
サラリと風が二人の髪をなびかせた。
「ご、誤魔化さないで下さい……!」
「かかか、誤魔化すと言うことが答えじゃよ」
今もメルを愛おしく見つめるベガ。
目を背け、心音が紅く木霊するメルはしばし、疑心と甘い言葉に揺れていた。
仕方なくため息をつき、話を進めるベガ。
「明後日には出発する予定じゃ。それとフランシスとオリエスタを貸してもらう」
「わ、分かりました。それと……本当に出来るのですか?」
心底心配するメルは潤んだ瞳を今度こそベガに向ける。
至近距離であるが二人に恥じらいは無い。
気持ちを切り替えたメルは真剣だった。
「無論じゃよ。少し“ズル”はするがな。とは言え、我から言えるのは
――メルの夢は我らの夢よ」
「それで、前準備の方は整っているのかい?」
「……」
コツコツと杖を鳴らしながら歩く、防寒着を着る少女。
ピクリと兎耳を建てる。
「勿論です……。シフォン様」
クルリと振り向き、陽光に照らされるシフォンを見る。
頭を下げ、丁寧に、無関心に対応するイナバに対してシフォンはいつも通りの笑顔を見せる。互いに無関心である二人の出会いは少しの緊張感があった。
長い廊下は何処までも遠かった。
「……最近君たちの行動が目に余る。何をして、何を企んでいるのか教えてくれないか?」
「……」
それは二公同盟についての話。
ベガの単独行動はこれで一度目であるのだが、それでもこの問題は無視できないことであった。
このような重要な案件は報告連絡相談が義務であるのは言うまでもないこと。
故に、彼らは疑心しているのだ。
杖を取り出したのはシフォン。
威圧的に高圧的に近づくシフォンにイナバは震えながら、怯えながら――。
「くひひひ、怖いですね」
俯いたまま、手に持つ杖を震わせ瞳を見せずに笑った。
ピクリと眉を動かし、歩を止めるシフォン。
「嘆願するほど怖い、驚愕するほど怖い、嗚呼と感嘆するほど怖い。
でも――」
ギロリとその瞳は笑った。
「――マスターほどではないですねぇ?」
「……ふぅ」
杖を肩に乗せ、シフォンは嗜虐的な笑みを浮かべた。
互いが従者としての立場である上、この話は平行線である。
であるが。
「なるほど……ボクよりも怖いのか」
「くひひ、例え万の武功を上げた将軍でも、例え百万の軍でも、私はマスターから目が離せないんですよ~」
狂信的にベガを怖がるのがイナバであり、シフォンもまたメルに関して並々ならぬ愛情を持っているのは確かだろう。
だが、これである程度は分かった。
「君たちが一番恐れているのは自分自身なのかい?それとも“この世界”かな?」
「くひひ、だからこそ――わ、私は、た、戦うんです……」
挙動が戻るイナバは怯えたように早足で場を去る。
曖昧であるが、それでも彼らが仲間であることに変わりない。
特にベガという存在は彼らにとってとても重要な存在になっているのは言うまでもないことだった。
交わることない彼らはそのまま、すれ違いながら侵略に向けて準備するのであった。
さて、次はメルたちのターンです。




