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「アンジュ?まあ、本当にアンジュなのね!大きくなって」


フェラー国ブルス領。

わざわざ出迎えてくれたリリエーラの熱い抱擁を受け、リリアンジュは目を瞬かせた。

厳格で表情の起伏の薄い母リリジェンヌと叔母であるリリエーラは双子と見紛うほどに外見が似ている。

ただし未だかつて間違えられた事が無いのは、この叔母が豊かな感情表現をする故だった。

それが、可愛い姪っ子との久々の再会となれば感動もひとしおらしく、ぎゅうぎゅうと、よもやすり潰されるのでは無いかと言うほどに激しい抱擁に身を委ねながら、リリアンジュは屋敷の前でそのまま10分ほど立ち尽くす嵌めになった。



「――それにしても、本当にこんな所で構わないの?家に来てくれれば良いのに」


執事に取り成されようやく落ち着いたリリエーラは、客間のソファに腰掛けながら不満げな声を上げた。

無垢な子供のように唇を尖らせる姿に、リリアンジュはそっと微笑んでみせる。


「叔母様がそう思ってくださるのはとても嬉しいのです。けれど、この機会に是非、普段やれない事をやってみたくて」


叔母の元へ行く事を提案されてすぐ、それならばと頼んだのが市井の近くに住む事だった。

断罪の場でセシルが告げた事はあながち冗談では無く、自由に街を出歩くのがリリアンジュの憧れだったのだ。

それに、このまま家に残るのはやはり外面が悪い。

市井の暮らしに触れ、ゆくゆくは市井に下るか修道院に入るべきだとリリアンジュは思っていた。

目下の目標は、徐々に生活を切り詰めて行く事であるが、それは心内に留めておく。

反対されるとわかりきっているからだ。


「そう……まあ、真新しい事をした方が気も紛れるかも知れないわね。好きに過ごすと良いわ」


ころころと笑う叔母は、出来る限りリリアンジュの我が儘を叶えようと奮起してくれたらしい。

用意された家屋は一般家庭とはほど遠いが、執事が2日に一度様子を見に来る時以外は自由に過ごして良いとお墨付きを貰っている。

使用人達にも、出来る限り意見を尊重するよう言い含めていると言う。

リリエーラはその後しばらく、姪の過ごす屋敷にあれやこれやと指図をしていたが、控えていた侍女に言い含められ渋々立ち上がった。


「落ち着いたらお茶会を開きましょうね!」


帰り際、そう約束を取り付けて叔母が帰ると、誰からともなく息が漏れる。


――嵐が去った。


恐らく、見送りに出た面々の心情は同じだっただろう。

それを感じただけで館の面々との距離が縮まった気がするほど、感じ方の相互は重要である。



「あの、ロバート?」


軽い疲労感を抱えながら扉をくぐった所で、リリアンジュは前を歩く執事のロバートへと声をかけた。

ロバートは本来リリエーラの家の執事で、屋敷の説明後すぐに本邸へと帰る手筈になっている。聞くなら今しか無いと思ったのだ。


「はい。リリアンジュ様。如何しましたかな」

「ああ、歩きながらで良いの。――あの、私が市井の暮らしを経験したいという話は聞いている?」


立ち止まったロバートを促しながら、リリアンジュは本題を切り出した。


「はい。聞き及んで居ります。なるべくリリアンジュ様のお心に添うようにと奥様より仰せつかっておりますので、何なりとお申しつけください」

「それなんだけれどね。私、ただ憧れて居るだけで実際にどうすれば良いのか分からないのよ」


リリアンジュは生まれてこの方、人の手伝い無しに何かをした事が無い。

刺繍やダンスなど、淑女の嗜みとされる物事への教養は持っているつもりだが、市井の暮らしとなるとさっぱりだった。


「ふむ。と、言いますと?」

「そうね……まず、身の回りの事は自分でするのでしょう?でも、私が今着ているドレスを一人で着るのは無理だと思うのよ。別のお洋服があるのではない?」


そわそわと自分の服装を見下ろすリリアンジュに、ロバートは気むずかしげな相貌を崩す。


「そうですな。……しかし、そういう話はお部屋に戻ってからでも遅くはありませんよ。まずは部屋へと参りましょう。ベティがお茶の準備をしているはずです」

「そうね……」


落ち着けと暗に窘められ、我ながらはしゃぎすぎているわと、リリアンジュは頬を染めて俯いた。



***



「お洋服は、明日にでも届けて下さるそうです」


ロバートの見送りに立っていたベティが持ってきた言伝に、リリアンジュは嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうベティ。ロバートには申し訳ない事をしたわ。こんなに遅くなってしまって……」


ちらりと窓に視線をやれば、もうすっかり日が傾いていた。

叔母の家はここから1時間ほどかかるというのに、長い事引き留めてしまった事に後悔が生まれる。


「すごい勢いでしたものね」

「恥ずかしいわ。でも、気になる事が次々に出てきてしまったのよ」


部屋について早々、思いつく限りの質問を浴びせかけたリリアンジュに、市井にも仕事で赴くというロバートは懇切丁寧に応答し、それに対する許可や実行の方法、直接やる事が難しい事柄には妥協案を示してくれた。

さすがのロバートも簡易の洋服を用意する事はしていなかったらしく、それだけは翌日に持ち越されたが、大変に腕の良い執事だと感服してしまう。


「一人歩きはさすがに止められましたが、簡単なお掃除やお料理の許可が出て良うございましたわね」

「そうね。ゆくゆくは一人で何でも出来るようになると良いのだけれど、それは追々ね」


興奮した様に頬を染めるリリアンジュだったが、ふと思い出した様に顔を曇らせ、ちらりとベティを見やる。


「どうなさいました?リリアンジュ様」

「いいえ。私はとても楽しみだけれど、ベティは無理に付き合わなくて良いのよ?」


貧困を理由にソヴェナ家で侍女として仕えてくれているが、ベティは元々貴族の娘だ。

本来する必要のない家事など、好んでやりたいとは思わないだろう。


「ただでさえ、貴女には見知らぬ土地に着いてきて貰っているんだから」


叔母の世話になると決まった時、さすがに一人では心細いだろうと侍女として付けられたのがベティだった。

年も近く、学園へも同行していた彼女なら気心が知れている為、リリアンジュとしては嬉しかったが、外国となるとさすがに申し訳なく思う。


「何を仰います。わたくしは自分の意志でこちらに参りました。リリアンジュ様のいらっしゃる所がわたくしの職場。リリアンジュ様のお手伝いをするのがわたくしの仕事ですわ」

「ベティ……」


じんわりと熱くなる目尻を擦りながらリリアンジュは微笑んだ。


「ありがとう。私、貴女が一緒でとても嬉しいわ」

「勿体ないお言葉です。――さ、そろそろ夕食の時間ですわ。参りましょう」

「そうね。今日はフェラーの郷土料理を振る舞ってくれるのですって。楽しみだわ」


たわいないお喋りは夜更けまでつきる事無く、こうして1日目は早々と過ぎていった。


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