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黒焦げのパン。無残にも割れた皿に、汚れの落ちていない洗濯物。
時間がかかりすぎだと遠回しな嫌味が付いてきたけれど、唯一褒められたのは塵一つ残さない丁寧な掃除くらいだろうか。
この一週間で作り上げた成果を思いだし、リリアンジュは深いため息をついた。
「私って本当に何も出来ないのだわ」
「そう気落ちなさらずとも、慣れるまで仕方の無い事ですわ」
ベティの励ましに力なく首を振る。
そういえば、ここに来るまでお茶も満足に淹れた事が無かったのでは無いか。
些細な事でも人を使うのが当たり前だった自分を、リリアンジュは改めて思い知らされていた。
「ベティはすごいわね。何でも器用にこなせるのだもの」
「わたくしは、その、実家でも多少の事はこなしていましたから」
苦笑とともに降ってきた言葉に、慌てて口を押さえたがもう遅い。
今まで何不自由なく暮らしてきたリリアンジュには想像も出来ないが、困窮に喘ぐ貴族の中には使用人を使わず自ら家事をこなす者も居ると聞く。
「ごめんなさい。私」
自分の事ばかりでベティの身の上にまで気を配れなかった事に恥ずかしくなる。
「いいえ。リリアンジュ様のお気になさる事ではございませんわ」
微笑んでくれるが、その顔には疲れが滲んでいた。
それも当たり前だ。リリアンジュが家事をやる分、一緒に居るベティにまで余計な仕事をさせているのだから。
「ええ。ありがとう。――そうだわ。あのね、洗濯が終わったらお茶の時間でしょう?先に行って準備をしていてくれる?」
「え?ええ、それは勿論、洗濯が終わった後に」
「お洗濯は私一人で行くわ」
リリアンジュの言葉に、ベティが目に見えて動揺を見せる。
何か言葉を探すように視線を彷徨わせ、唇が戦慄いた。
「ベティ?」
「いけません」
何かいけない事を言っただろうか。
首をかしげたリリアンジュに、思いの外固い声が降ってくる。
「お心遣い感謝します。けれど、どうかご一緒させて下さい。わたくしは平気ですから」
「ベティ、でも」
「いいえ。お一人で行ってはなりません」
頑ななベティに、リリアンジュは困惑した。
同時に、何故と苛立ちのようなものが芽生える。
普段ならば、それが主人を思っての言葉だと理解出来るはずだが、慣れない日々にリリアンジュにも知らず疲労がたまっていたのが災いした。
――ベティは、私が役に立たないから一人で行かせたくないんだわ。
一度芽生えた卑屈な感情は、いとも容易くリリアンジュの心を蝕む。
「いいえ。一人で行くわ。ベティは部屋に居て。命令よ」
自分でも驚くほどの冷たい声で言い放ち、ベティの困った様な声を振り切るように足を速める。
何も出来ないくせ使用人の真似事をしたいとごねるリリアンジュは、彼らにとってさぞや扱いづらい主人だろう。
けれど、でも。止め処なく溢れる自分本位の言い訳は、何もかもが陳腐だった。
一人で歩くうちに頭も冷え、着いてくる気配が無いのを確認して立ち止まる頃には、ベティに八つ当たりしてしまった事への後悔が募る。
失敗する度、使用人達を逆に萎縮させてしまうことにも、リリアンジュはすっかり気落ちしてしまっていた。
――けれど、これをこなせなければ一人で生きていくなんて夢のまた夢だわ。
気合いを入れ直しながら洗濯に向かうべく足を踏み出した時、ふと曲がり角の向こうから声が聞こえる事に気付いた。
声の主はまだリリアンジュに気付いて居ないらしく、徐々に大きくなって来る。
「まったく。リリアンジュ様の気まぐれにも困ったもんだわ」
「本当よねぇ。まったく、余計あたし達の仕事が増えるって気付かないのかしら」
「しょうがないでしょ。あたし等なんて、貴族にしてみれば所詮道具と一緒なんだから」
それは、屋敷仕えのメイド達の声だった。
年若い彼女達とは良く仕事場で一緒になったが、まさかこんな事を思っていたとは。
直接聞こえてくる遠慮の無い不平不満に心臓が冷えていく。
このままでは鉢合わせてしまう。踵を返し、聞かなかった振りをしなければならないと分かってはいても、足は石像にでもなったかのように動いてくれない。
「ベティ様もベティ様よね。そろそろリリアンジュ様の我が儘を止めてくれれば良いのに」
「止められないんでしょ。あの人、没落貴族だって聞いたもん。リリアンジュ様の機嫌を損ねたら、職無しになっちゃうわ」
「惨めよね。元は同じ貴族なのに、今じゃ年下にへこへこしなきゃいけないんだもの」
クスクスと笑う声は悪意に満ちていた。
ベティはもしかすると、この不満に気付いていたのかも知れない。
それならば、あんなに疲弊して居た理由も、頑なにリリアンジュを一人にしようとしなかった事にも理由がつく。
守られていた事に気付かず腹を立てていた自分がどうしようも無く惨めになった。
けれどどうしたら良いのだろう。ベティの件は聞き捨てならなかったが、リリアンジュの働きに対して彼女達の言っている事は事実だ。
混乱するリリアンジュの後ろで、扉の開く音がした。
思わず振り返ると、上品な仕草で扉を閉めたメイド長がリリアンジュの姿を見止めて首をかしげている。
「リリアンジュ様?そのようなところで何を――」
「メイド長」
このままでは拙い。
どうにか鉢合わせを避けるべく、口を開いた刹那。
「あーあ。今日も洗濯にいらっしゃるんでしょ?面倒くさいったら」
「本当。仕事を増やさないで欲しいわ」
「ちょっと。そろそろ口を閉じないと拙いわよ」
タイミング悪くメイド達が曲がり角を曲がって姿を現してしまった。
「あっ。リリアンジュ様」
「やだっ……」
さっと顔を青ざめさせる三人に、メイド長の顔がみるみるうちに強ばっていく。
メイド達の反応で、誰にたいしての陰口なのか理解したらしい。
「お前達……っ!雇い主のお嬢様に向かって何を」
「まって、メイド長。良いのよ」
今にも振り上げられそうなその手を、リリアンジュは慌てて止めた。
青くなって震えるメイド達を見下ろしながら、怒りに震える声でメイド長は頭を振る。
「いいえ。雇い主を侮辱したのです。リリアンジュ様が許そうとわたくしが許しません」
「違うの。彼女達の仕事を邪魔していたのは事実なのよ。彼女達の領分を侵した私の落ち度です」
もっときちんと考えれば良かった。
こみ上げそうになる涙をなんとかこらえ、せめて少しでも主らしく振る舞おうと姿勢を正す。
なんとも悲痛な顔で罷免を訴えるリリアンジュに、メイド長は息を吐いた。
「ですが、それでは他の者に示しが付きません。それに、彼女達の仕事は貴女様に仕える事。主の行動に大声で不満を零すなど、使用人にあるまじき振る舞いです。いいえ、淑女としてはしたない振る舞いですわ」
声が大きすぎたのだと強調するメイド長は、多少の愚痴ならば見逃せても、誰が通るか知れない廊下での発言は目に余るものがあると言っているのだ。
引く様子の無い彼女に、リリアンジュはそっと息を付く。
「――わかりました。では彼女達の事はメイド長に任せます。けれど、きちんと対応してあげてね」
「はい。然るべき処置をした後、ご報告させて頂きます」
当然、今日予定されていた手伝いは無しになった。
深々と頭を下げ三人を引き連れて行くメイド長を見送った後、リリアンジュはとぼとぼと気落ちした足取りでベティの待つ自室へと帰るのだった。




