ep.78 新しい旅の始まり
波の音が耳に触れて、竜基はその顔をゆっくりと上げた。
欄干に乗せた両手に力を入れて、勢いよく体を持ち上げる。潮風に靡くのは短い黒髪。それなりの規模を持つ木製の軍艦、そのデッキの上で、竜基は一人水平線に思いを馳せていた。
「……日ノ本ノ国、か」
ぎしぎしと船がさざ波に揺れて軋む。多少の傾き、ぐらつきを船の楽しみの一つとしながら、今までのことを思い出す。この世界に来てから早くも数年の時が経ち、もう既に日本での暮らしは強い思い入れのあるものしか思い出せない。
それでも、自らを守って死んだクサカのことや、記憶を失って目の前に現れた父リューヘイのこと、そしておそらくは同じ世界の出身で、"魔剣戦記"の生みの親である企業の社員マリア・コンドー・アッシア。
それに、同じ記憶喪失であるはずのヒナゲシ。
彼らの存在が、日本という国への思いを強くする。
アリサが地球の故事に詳しい理由も、おそらくはマリアに起因するのだから。
「もし、その場所に日本に繋がる何かがあるというのなら、俺は――」
帰る伝手があるとは思わない。まだ、帰るつもりもない。帰れない。
けれど、それとは別に知りたいことなら山ほどあった。自分がこの世界に来た理由。
記憶喪失の友人知人。この世界と魔剣戦記の関係。この先に待ち受けるであろう、戦い。
「――どうするんだろうな。やっぱりまだ、分からない」
一つ小さなため息を吐いた。
日本に繋がる可能性。それが意味するものはまだわからない。けれど果たしてそれを知ったところで、何かが変わるだろうか。
晴天の下、青が支配するこの場所に一人ぽつんと船の上。
考え事をするにはうってつけだと思いつつも、自分が何かを考えるとどんどんネガティブな方向へ進んでしまうことも自覚しているせいか自嘲するような笑みが漏れる。
そもそもそうやって卑下して笑うこと自体が、ネガティブな方向に行ってしまっている所以なのだが。
「黒髪黒瞳の"異民族"が住まう謎の島。追い返されたエル・アリアノーズの人々。……今まで存在が確認されなかったことといい、アリサの言っていたことを考えると、やっぱりそうなのか?」
アリサが建てた仮説は、最近見つけられたその島が伝説の日ノ本ノ国そのものだというもの。
もしそれが本当なのであれば、というところから考え始めた諸々は、結局こうして堂々巡りをするばかり。どこかに突破口でもあればと思って何度も考えては見るものの、結果はこうして頭を悩ませるだけだった。
「――ここ数日、そんな顔してばっかじゃねえか」
「……ああ、ライカ。ごめんね、気づかなくて」
「別にいいけどよ。あたしにゃ、細かいことは分からねえんだ。けど、そうやって抱えこまれるとあたしもどうしていいのかわからなくなる」
と、そんな風に甲板で一人呆けていると、階段を上ってきたのは一人の少女だった。
出会ってから数年。最近はどうしてかわからないが、少々髪を伸ばすようになってきて肩口程度までその赤く美しい糸のような髪が靡く。相変わらずの軽装は寒さもお構いなしといった様子で、どこか不機嫌に見えるその表情も、そのマリンブルーの瞳を見れば心配してくれているのがわかろうというもの。ずっと一緒に居たせいか、なんだかこまかいことまで彼女のことならわかるようになってきていた。とはいえ、それはむこうも同じのようで。
「あたしが護衛に選ばれた時はなんでなのかと思ったけど……ありがとな、リューキ」
「ん? ああいや、こちらこそ一緒に来てくれてありがとう」
「ばっか、リューキのために何かすんなら、あたしが一番適任だ」
どす、と少々勢いよく片手に持った巨大な斧の石突を甲板に落とす。木製であるが故に貫きやしないかと一瞬不安になった竜基であったが、流石に手加減はしてくれていたようだ。
ほっと一息吐くと同時、海鳥が高らかに鳴いて青空を通り過ぎていく。
ぼんやりとそれを眺めていた竜基の隣で、ライカは楽しそうにはにかんだ。
「伝説の日ノ本ノ国、かどうかは別にしてもよ。あたしはこうしてリューキと一緒にどこかに出かける約束が果たせて本当に良かった。ずっと、お預けくらってたしな」
「ごめんな、ライカ。でも、覚えていてくれて嬉しかった」
「忘れられるわけねえだろばか」
軽く鼻を鳴らしたライカは、青瞳をまっすぐに竜基に向けた。
透き通ったその美しい瞳に反射して、自分の情けない顔が映し出されて竜基は苦笑する。
相変わらず、誰の期待も誰の思いも、中途半端にしか理解できていないのだと。
だが、そのお陰でもしかしたら空回りだったかもしれない思いをライカに伝えて本当に良かったと竜基は思った。
『一か月。アリサとの仕事を終えたら、一か月だけ。二人でいろんなところに行こう』
その約束を交わしたのは、もう今となってはだいぶ昔。
アリサに仕官の依頼をされて、あの森でヒナゲシたちを迎え撃つその少し前のある日。
いつかどこかを巡ろう、この世界と自分の謎を探ろう、そう考えていたあの時にライカからされた提案。アリサの仕官を受けてしまったことで流れていた、あの日の誓い。
それを、竜基はここで果たそうと思っていた。
日ノ本ノ国の可能性。もしかしたらただの島かもしれないその場所に、答えを求めて向かう旅。
そのお供には、やはり彼女が一番だ。誰よりもずっと、竜基と一緒に居てくれた彼女だから。
「しっかしあれだなー」
「ん?」
魔剣・大斧を握っていない方の手を腰に当てて、海風を感じながらライカは清々しそうに空を仰いだ。先ほどまで竜基を見ていた目は既に上空へと向けられて、竜基もつられて空を見る。
「竜基と一緒に出掛けられて、あたしは嬉しい」
「あはは、そう言って貰えると、俺も誘えてよかったと思うよ」
「……お世辞とか、月並みな感想とかじゃ、ないからな?」
「え?」
むっとしたように彼女は竜基を睨んだ。その目には相変わらず、自信の欠片もなさそうな青年が映っている。あれほどまでに周囲から持ち上げられて、天才と謳われていてもこの有様だ。
少女の心情一つ見抜けないのでは、軍略など立てることすらできないだろうに。
「……なぁ、リューキ」
「そんなあからさまな嘆息をされても」
「あたしとリューキの距離感って、もっと近かったと思うんだ」
「う……うん?」
そうだったかな、と竜基は思考する。目の前の少女は、この二年ほどで随分と雰囲気が変わった。最初はべらんめえ口調のただの子供だったのに、今は背も髪も少し伸びて、顔だちも頬のふくらみが収まったというか、少々大人びてきたように思う。
流石にヒナゲシと比べるとまだまだ子供だが、童顔のアリサとは同い年と言われても違和感がなくなってきたかもしれない。いや、もう少し無理があるか。
見た目に関してもそうなのだ、この年頃の女の子の成長は、きっと見た目だけの話ではない。
思えば、最近はむやみやたらと抱き着いてきたりだとか、そういう子供っぽいスキンシップが減ってきたくらいだろうか。
そう考えると。
「……距離が遠くなったとしたら、ライカのスキンシップが減ったからじゃないか?」
「うぐっ……それは、その」
虚を突かれたように、彼女は口ごもる。実際、その通りなのだ。今までのようにしたいと思っても、恥ずかしさから逆に距離を置いてしまう。
そんな自分をどうにかしたくて、けれどどうにもできなくて、少々悩ましい日々が続いていた。
口では、甘えようと思えばまだ大丈夫。
けれどどうしても体は言うことを聞いてくれない。
そんな、お年頃。
「……ああいや、ごめん。変に指摘するつもりはなかったんだ。そうだよな、俺なんかに甘えていたこととか思い出したら、ちょっと居たたまれないもんな……」
誰かこの男の自虐癖をどうにかしろ、とライカは思った。
何なら外付けで自信という名のパーツを装備してやりたいくらいだ。
むろん、それが誰にもできないからこうしてこの数年を経てもこの男は変わりもしないわけなのだが、今はそれを言ったところでどうしようもなかった。
「リューキが嫌なわけじゃなくて、違うんだ」
「フォローありがと」
「だからっ……!!」
こいつ本当にどうしようもねえ。頭を掻きながら申し訳なさそうにこちらを見る彼の瞳には、どこか罪の意識があるように思えた。だから、お前に非は何もない。
そう言いたいのに、なかなか言い出せない。それは、言葉にしてしまうと恥ずかしいことだから。最近、妙にその羞恥というものに敏感になってしまっている節があった。
一緒にお風呂など、もってのほかだ。
けれど、目の前の男は溜めれば溜めるほど、何をとち狂ったか"オブラートに包む言葉を探している"という風に解釈するようで。徐々に徐々に、口元が"ご"という言葉を発しそうな形に変化していくのを見るともうやっていられなかった。
竜基に謝らせることほど、今のライカにとって嫌なことはない。
いつだって恩人で、いつだってその弱く細い体でみんなを守ってくれるそんな人を、要らぬ罪悪感などで苦しめたくなかったから。
そう思うと、つい口が滑る。あらぬ方向に。
「リューキのことは、好きなんだ!」
顔を真っ赤にして、ためてためて出した言葉がそれだった。
言ってしまったやってしまったとばかりにライカは顔を赤く染め上げる。
違う、これを言いたかったんじゃない。そう思っても後の祭り。
ゆっくりと錆びた蝶番のように顔を上げれば、そこには困惑気味に頬を書く青年が一人。
「あああああ、いや、そうじゃなくて!!」
「あ、うん、だよね。ごめん」
「ちがあああああああああああああう!!」
せっかく伸びてきたきれいな赤髪を搔き乱すライカの奇行。
お互い、心境はどちらも"振り回されている側"なのだが、意思が合致しない状況でツッコむ人間もいないとなるとここまで酷くもなるもので。
「親離れ、とかじゃないけど。俺もなんだか甘えていた時期が恥ずかしく思える時があったりはしたから、気持ちは分かるよ。俺の方こそ、今まで受け入れちゃっててごめん」
「だからなんで謝るんだよおめえはよ!! 違うんだって! 恥ずかしいけど、こう、なんだ、くっついても居たいというか、ああ何言ってんだあたし!!」
「……なあ、ライカ」
「なんっだよ!」
「俺はまだ、ライカの兄代わりを気取っててもいいのかな」
「えぇあ?」
上手く言葉が出てこない。
思春期に入りかけのライカと、その当時の竜基との間には大きく差があったから。
彼とは違って、親に甘えていたのが恥ずかしいわけではなく。
思い人に対して今までの接し方は何だったのかという羞恥だから。
しかしそんなこと言えようはずもなく。
思考がフリーズしてしまったところに、よく分からない言葉の変化球。
どういう意味だ、と顔を上げれば、いつの間にか近づいてきていた竜基の胸が。
そっと抱きしめられて、背中を叩かれては何も言えない。
「な……な……」
「俺はライカのことを何もわかってやれなくて、色々考えて空回りしたり、意にそぐわないことをしてしまってばかりだけど。でも、ライカに抱え込ませたくはないからさ。甘えたいのに甘えられない、みたいなことって、辛いと思うよ。俺もちょっと違うけど、同じような境遇だから」
「――抱え込ませたくないって、リューキがいうのか」
「俺に出来ることなんて、みんなの負担を少し減らすことくらいだ。だから、悩みは俺にも分けてくれ。……こうしてもう少し、兄代わりをさせてくれないかな」
「……」
言葉が、出なかった。
暖かな場所。どこよりも安心できる、目の前の青年の胸の中。
こうして欲しかったと体はぬくもりに歓喜しているのに、心はこうじゃないと訴える。
それは"兄代わり"だからであり、もっと別の立ち位置に来てほしいのだと心は言う。
「兄代わりなんて……やだ」
その呟きは竜基の胸元でくぐもって、まともな音として竜基に届くことはなかった。
その代わり、優しげな手のひらが頭に触れた。
ああ、まだまだ子供なんだなあと、ライカは一人胸の奥でため息を吐いた。
それからしばらくして、乗組員が竜基を呼びに来る。
『伝説の日ノ本ノ国はもう目の前だ』と。
竜基の、新たな試練が待ち構えていた。
悟りを開いたので、リハビリがてら更新を再開。
まるまる一年、無言での放置申し訳ありませんでした。
諸々のトラブルというか、なんというか。
けれど、待ってくれている人のためだけに書こう。
そう心に決めたので、ようやく再開します。ちょっとペースは遅いけれど、それでもかまわず読んでくれる方に感謝を。




