ep.79 日ノ本ノ国、この世界
――お前さえ居なければ。
――お前が、俺たちを殺したんだ。
――何もここまで、しなくても良かったじゃないか。
――怒りを抱くことすら、許されなかったのか?
――ただ、ただ穏やかな日常を。そう願ったことさえ、お前にとっては悪なのか。
――お前は、俺たちから全てを奪っていった。
四肢にきつく縛られた鎖は、錘と共にぐんぐんと底へ沈んでいく。
為す術もなく引きずられた自分は、深い深い奈落へと、呼吸も出来ずに落ちていく。
地獄の底から伸びてきた手が次々と、はやくはやくと己を急かす。
……嗚呼、もうか。
もう、報いが来る時なのか。
もう少し。もう少し待ってくれよ。
きっと俺は、貴方たちのところへ。いや、さらに奥深くへと沈むのだから。
だからせめて、貴方たちの分まで幸せにしたい人たちを、温かさで包んでやれるその日までは。
……俺を闇の坩堝へ封じるのは、許してくれやしないだろうか。
「……キ。……-キ……」
沈められ、雁字搦めに絡め取られて沈んでいく闇の中。
見上げた空にぼんやりとした光明を見た。
優し気に呼び込んでくれるそれは、助けたいと思った、守りたいと思った人そのもので。
ぐらぐらと世界が揺り動くのを感じる。
そろそろお別れの時間か。
さようならすら言えなかったことを悔いながら、しかして喉は息を吐き出すことすら許してくれなくて。
「……リューキ!!」
「っ!?」
ばりん、と世界がガラスのように砕け散った。
代わりに目に入ったのは、天井。陽が差し込む窓と、そして己の顔を覗き込む一人の少女。
「……ぇあ?」
「ようやっと起きた。なんだか……魘されてたぞ。……だいじょぶか?」
「あ、ああ……」
上体が、動く。
不安げな少女を横に、ゆっくりと身体を起こしてから震える手で額を抑えた。
夢、だったか。
生々しく、屍人が自分を招く夢。
恐ろしくはあったし気分の悪さも凄まじいものがあったが、それでも"夢だけにしてくれてありがとう"と思ってしまうのがこの男だった。
「おはよう、ライカ」
「お、おう……なんだ、その、親玉らしき奴が呼んでる」
「ああ、分かった」
それだけ言うと、てててーっと彼女――ライカは部屋の外へ出て行ってしまった。
取り残されたのは部屋に竜基ただ一人。
見渡せば、それはそれは広い客間。
一人で使うには大きなテーブルには、水差しとコップが置かれている。
調度品の花瓶や、装飾の施されたクロスが陽光に反射して朝を教えてくれる。
久々に聞くスズメのような鳥の囀りに耳を傾けながら、竜基はベッドから起き出した。
「んー……! ……っと。そうだ。昨日は」
水差しからコップに水を注ぎながら、昨日のことを思い出す。
謎の島"伝説の日ノ本ノ国"を探して旅に出た竜基とライカ、そして船乗りの一行は、確かに地図になかった島に辿り着くことが出来た。
そう、辿り着くことが出来たのだ。着陸した船たちが、軒並み門前払いを受けていたこの島に。
――そして、その理由が、
「……ナグモ様、ご在室でしょうか」
「あ、どうぞ」
コップに口をつけたところで、扉越しに聞こえた女声。
竜基が返事をすると、入室してくる一人の少女。彼女は竜基に一礼すると、その綺麗な"黒髪"を払って言った。
「ヒミコ様がお待ちです。お召し替えのお手伝いに参りました」
「うぇぁ!? い、いいですいいです自分でやります」
「そう言われましても、命令ですので」
「ちょ、ちょっと!?」
一切の隙も見せない動きで竜基の前に迫ったかと思えば、いつの間にか纏っていた上着を捲られる。
「は……?」
こう見えて、竜基にはそれなりに武道の心得がある。才無しと断じられたとはいえ、その身のこなしは一般人のソレではない。だというのにも関わらず一蹴するようにみぐるみを剥がされてしまえば、驚きの声も漏れ出るというもの。
「え、い、いや、え?」
「それでは、こちらに袖を通してください」
丸裸にされ、そのうえで淡々と服装を着せ替えられてしまった辺り、竜基の脳はショックと困惑で埋め尽くされてしまっていた。
それが悪いことだったのかは、分からないけれど。
「じっとしていてくれますか?」
「は、はい……」
まさか、自分より年下に見える少女に一瞬で衣服を奪われてしまうとは。
愕然としたのも束の間、よくよく考えれば今日護衛に来てくれている少女も自分より年下で華奢で可愛い女の子なわけで。
元々"男"としての立場なんてあって無いようなものであると気づいた竜基は嘆息した。
「ままならないものだなぁ」
「何がですか?」
「いや、こう。俺はこれでも少しは体術にも自信があったというか」
「体幹はしっかりしているようですね。そこそこに筋肉もついているようです、し……」
落ち込みながら心中を吐露する竜基に、口が暇だったのか侍従らしき少女も乗ってくる。
手早く竜基の着替えを進めつつ、相変わらず無表情でてきぱきと。
「……し?」
「いえ……、人の身体をあまり思い出すものでもないですね」
顔を背けて少女は言った。
そこまで情けない体格だったかと竜基は凹んだ。
「これで、よし」
「ありがとう……?」
最後に白い上着――海上自衛隊の隊服に袖を通した竜基は襟元を正すと、一応の礼を吐いておく。彼女はやりきった達成感からかふんすと鼻を鳴らしたが、特に表情は変わっていなかった。
器用なのだろうか。
「それで――」
「はい、ヒミコ様の許へご案内いたします」
ぺこりと頭を下げて、彼女は部屋の扉を開いた。
――ヒミコ。
それがこの島を、この領地を所有している者の名だという。
目の前を先導する少女はその侍従であり、他にも多くの人間がこの島に居た。
だが。
揺れる後頭部の黒髪を眺めて、竜基は思う。
黒髪というのは、この世界にあって非常に珍しいものであったはずだ。
だが、この場所は。竜基やアリサが"日ノ本ノ国"と呼んでいたこの島は。
見た限りの者が全て、黒き髪と、竜基に似た彫りの浅い塩顔で。何より、瞳の色も同じだった。
伝説の日ノ本ノ国。
それがまるで、本当に日本国のようで。
竜基はその不可思議さを昨日身をもって体感したのだった。
隣を歩いていたライカなどは、竜基もこの国の出身なのかと困惑していたくらいだ。
この島に辿り着いて、上陸を許されたのは竜基とライカの二人だけ。
他の乗組員は皆、船の停泊地での生活を命じられている。
それでもと竜基がこの島に乗り込んだのはやはり黒髪の者たちが居たことと、魔剣使いのライカがついてきてくれていたこと。
そして何よりも、彼らは"竜基を歓迎した"。
アリサからの命もある。
竜基は調査の一環として、この地に踏み込むことを決めたのだった。
「……えっと、キミに聞きたいことがあるんだけど」
「なんでしょうか?」
「まず、お名前を伺っても?」
「ユウカです」
「じゃあユウカさん。どうして、俺をわざわざこんなに丁寧に扱ってくれるんだろう」
竜基にとっては、至極当然の疑問だった。
もとより追い払われるばかりであったらしいこの島に、竜基は思いのほかあっさりと入島することが出来た。そればかりか、歓待されているというのだから目が白黒するばかり。
しかしながら侍従の少女――ユウカは、その問いに対して怪訝そうに言うのだった。
「はぁ。お客様だからではないでしょうか」
「"お客様"?」
「ええ。ですから、丁重におもてなしを。……何か、文化でも違いましたか?」
「い、いや。そんなことはないけれど」
何を言ってるんだこの人は。とばかりにユウカは竜基を振り返る。
「いや、他にも何度かこの島に、エル・アリアノーズの人たちが来ただろう? やっぱり、黒髪だから? そういうことなのかな」
差別じみた扱いではあるが、そういう"文化"がこの島に根付いているのだとしたら仕方がない。
排他的も極まれば人種差別すら是としてしまうだろう。
そんな不安を込めての問いかけは、またしても彼女によって跳ねのけられた。
「いえ、ですから。お客様は後にも先にもナグモ様だけですので」
「……それは、どういう」
意味なのだろうか。
困惑混乱致し方なし。首を傾げることは出来ても、シェイクされた脳が答えを導きだしてくれはしない。結局納得のいく答えは出ないまま、案内された先にある大きな木製の扉の前に辿り着いていた。
「お連れ様は既にこちらに案内してあります」
ユウカはそれだけ言うと、扉の前で声をあげた。
「ナグモ様をお連れ致しました!」
一瞬の間。
本当に向こうに人が居るのだろうかと竜基が疑問を抱いた辺りで、声がした。
『……お通ししてさしあげて』
透き通るような声だった。
そして、どこかで聞いたことのある声だ。
いったいどこでこの声を聴いたのだろう。
思い出せそうで思い出せない、胸の内につっかえたような刺を感じながら、竜基は腕を組む。
だがそんな彼をおいて、ゆっくりと扉は開かれていった。
広い部屋だった。
それこそ、北アッシア城の謁見の間くらいはある。
普段の生活でこの規模の広さは必要ないくらいの、解放感ある部屋だった。
ユウカは敷かれた絨毯の上を悠々と歩いていく。
その背を追うようにして竜基は追従すると、その先には簾がかった廟があった。
「リューキはすげえんだ。あいつが居なかったらきっと、あたしも皆も生きていられなかったと思う。だから、あいつはあたしが守る。そう決めたんだ」
『そうですか。それは素敵なことですね』
簾を挟んだこちら側で、見知った少女が簾の向こうとの談笑に興じていた。
そんな彼女の肩にぽんと手を乗せる。
振り返ったライカは、ようやく来たかとばかりに満面の笑みで竜基を迎えた。
「遅かったじゃんかリューキ。何してたんだ」
「ん? あ、あー、まあ、色々ね」
何をしていたのか。
そんな問いに対して竜基の脳内に浮かぶのは、先ほどの身ぐるみはがされた案件。
まさか脱がされてましたとも言えず言葉を濁す竜基を、ライカは不思議そうに眺めていた。
「私がお召し代えのお手伝いをしておりました」
「なんだってぇ!?」
と、そんなライカに答えたのは、そばに立つユウカであった。
偉く大げさな声に竜基が彼女を見れば、なんだか青ざめさせた表情で竜基の服の裾を掴むライカの姿。
「……ライカ?」
「すまねえ……すまねえ……! あたしはリューキの護衛なのに……この間に襲われることを考えてもいなかった……うぅ……」
「いや、しょうがないよ。別にほら、俺なんかのためにライカがずっと気を張るのも大変だろうし」
「そんなことねーよ!! リューキを守れるなら、あたしはそれでいいんだ……!」
くやしさに唇をかみしめる彼女に、竜基はなんと声をかければいいのか分からない。
ライカはしかし、何かはっとしたような表情になると。
「ちょ、ちょっとまて。着替えの手伝い!?」
「はい。この身は侍従なれば」
「ずる、違う、恥ずかしいと思わねーのかよ! 一緒にお風呂入るようなもんだぞ!」
「それはおかしくない?」
「リューキは黙ってろ! なんで、そんな、着替えを手伝うなんて、ええっと……」
「いえ、仕事ですから」
「ああああああ!! りゅ、リューキ!」
「ん?」
「その……これから、あたしも手伝おーか……?」
「……勘弁してくれ」
なんで朝っぱらからこんなことに巻き込まれているのだろうか。
竜基は現実逃避するように、正面の廟に目をやった。
がやがやと賑わしい中、簾を挟んだ向こうからはくすくすと楽しそうな笑みが漏れだしている。
『そろそろ、お話いたしましょうか。私はヒミコ。この島の、言うなれば女王を務めさせていただいております』
「女王……?」
竜基は周囲を見渡した。
臣下らしき人物はこの場には見当たらず、強いて言うなら竜基をこの場所に連れてきたユウカのみ。
女王というには、随分と毛色が他の国とは違うのだなと率直な感想を胸にした。
「……俺は、南雲竜基です。エル・アリアノーズの――」
『存じております。大丈夫。貴方がどんな風に生きてきたのかも、全て』
「……へ?」
どういう意味だろう、と簾の奥のヒトガタに目を向ける。
やはり、どこかで聞き覚えのある声だ。
いつ、どこで。その記憶をまさぐるよりも早く、ヒミコは言う。
『お客様のことですから。間違いなく、全て。そのうえで、謝罪をしなくてはなりません』
「……お客様? 謝罪?」
この島に入ってから、分からないことだらけだ。
その疑問が浮いては消える竜基に、全てのことに対する回答が、今ぶつけられた。
『別の世界からのお客様。貴方をこの世界にお招きしたのは、ほかならぬ妾なのです』
――天下統一に一番近い貴方に問います。
聞き覚えのある声。
それは、この世界に来る直前の出来事。
この世界への、案内人。
『ようこそ、ワンダースフィアへ』
その、張本人。




