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華甲二年の再会  作者: 有嶺 哲史
第二章 秋から冬
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第22話 小料理屋

 その翌日比良野は篤子と一緒に小料理屋に行った。

予定より少し早く着いた。

意外に小ぶりな小料理屋だったが入ってみると奥にまた別の玄関があり、廊下が黒光りしてかなり古そうな木造旅館風の建物に続いていた。

街中なのにここだけは(しん)として静かだった。

巨大生物に呑み込まれた気がして不気味だった。

弓美子ともう一人の女が出迎えた。

ただでさえ細いうえに弓美子は青系の和服で少しやつれたように見えるのに対し、もう一人の女は明るい枯草色の無地和服を着ていて、でっぷり太っているのが膨張色でさらに目立った。

他に誰もいないガランとした暗い空間はにこやかによくしゃべるでっぷり女ひとりいるだけで賑やかだった。

 弓美子は比良野の今の女友達である篤子を初めて見た。

篤子はいつもと同じようにほっそり陰気だったが弓美子は驚いたように眼を見開いた。

比良野は今こんな女が好きなのか。

自分はまた比良野に捨てられた、という気持ちだった。

框を上がったところで案山子のように立っていた篤子におしゃべり好きのでっぷり女が、まずはこちらでご準備を、と別室に案内した。


 弓美子に案内された比良野は一人でついて行き、薄暗い廊下を何度か曲がりながら長々と五十メートルほども歩いたか。

薄暗い中で眼前に弓美子の体がくねっている。

同じように背の高いやせ型なのに篤子と違い弓美子は体の色気が和服を通して滲み出て、まるで裸体のように凹凸を感じる。

時々振り返って微笑む弓美子を見るたび愛の行為に誘われる気がした。

落下していくような弛緩した気分で歩いているうちに奥の部屋に通された。

弓美子の白いうなじを見続けているともう我慢出来ない、部屋についたら躊躇なく飛び掛かって抱きすくめよう。

さあ今だ! と、その寸前に相手はくるりと振り返って味気ないことを言った。


「準備がありますのでまことに失礼ながらお話は後でゆっくりいたしましょう。それまであの屏風絵など御覧を」


言われて屏風の方に顔を向けたスキに弓美子はそそくさと退出した。


 待ったが何も起こらない。

お茶も出てこないのはさすがに変だ。

はて肩透かしを食らったな。

言われた通り屏風絵を見ようと思い、その正面に行って見た。

梅の絵だ。

でも今は秋なのに? 枝に小鳥がとまっているのが画かれている。

梅に鶯か、あれ、メジロだ。

別の屏風には平安朝の貴族の青年が弓矢を持って……ここで比良に強い幻影が始まった。


▼ ▼ ▼


検査室の夢の続きだった。

比良野の返答を聞いた彼女は大いに喜び、彼を抱え平安朝の野原から天の国に昇った。

そこは頭が海の生き物で体は人間という人々の世界だった。

辺りは少し薄暗く、昆布や珊瑚などの揺らめく森や丘の間に柔らかい絨毯の通路が縦横に巡らされていた。

通路はゆるく起伏して所々に屋根のない極彩色の御殿や欄干が有った。

住人はみな絨毯の上を歩いていた。

魚人たちは皆大喜びして宴席が用意された。

踊りや手品などの歓迎も連日となると飽きてくる。

それに気づいた海の妖精たちは趣向を変え、解体ショーをするという。

ショーの始めは解体を行う料理人の包丁踊りで、一メートルもある巨大な包丁二本を振り回しながら鯛が幕の前で踊った。

次々舞台に上がる料理人が増えてきて鮃、フカ、海蛇、帆立なども加わり狭い舞台で土佐の太刀踊りのようになった。

料理人たちの体は舞台の上で包丁に触れ刺身になって客席に飛んでくる。

そのうち刺身の代わりに包丁も飛んでくるようになった。

だれかの掛け声が飛んだ。


「お待たっせしましたっ!」


踊りは終わり静かになってゆっくり幕が上がった。

そこには白い塊があった。

比良野がよく見ると裸で縛られて寝ている弓美子だった。

縄の間から女の肌がプリンとふくれ出る見事な緊縛だった。

まわりには沢山の魚人たちが巨大な包丁を持って囲んでいる。

そのとき縛られたまま弓美子が眼をパチッと開けて強い目力で比良野を直視した。


「私の言うこと何でも聞いてくださる、って言ったわよね」


「その通りだ」


「言うことを聞いてくれないなら私は沢山の包丁で切り刻まれるのよ。だから聞いてね」


「もちろんだ。絶対聞く」


「院長選挙を辞退せず出馬して堂々と戦ってね」


「えっ、わかった。その通りにする」


「あなた、縄をほどいて」


ほどきながら弓美子の体に触ってしまった。

あたたかくて柔らかくて……途中でふと下を見ると遥か雲の下に有嶺がいてこちらを見ていた。

その横にパイちゃんがいた。

やっと二人は一緒になったか。

あやや? パイちゃんにしてはやけに太っているなあ。


▲ ▲ ▲ 


よそ見しているうちに幻影が消えてゆき、弓美子は小松女医に変わっていった。

女医は全裸で縛られ猿轡をされて寝ていた。

幻影の中で弓美子に見えていたのは本物の篤子の裸体だった。


「おい、君はここで何をしているんだ?」


「ウーン!」


普段幽霊的なのに、裸体に縄を巻かれると篤子でもボンレスハム感を発散していた。

しかし今は肉感を鑑賞しているときではない。

猿轡(さるぐつわ)を外してやるといかにもホッとしたように微笑んで篤子が言った。

比良野はこのときほど篤子をいとしいと思ったことはない。


「この格好は何なのでございましょう、先生?」


「さっぱり解らん。とにかく早く逃げよう」


いきなり比良野は立ち上がって出て行こうとした。

まだ縄で縛られていた篤子は慌てた。


「先生、私を連れてって」


縄をほどいてやった。


 帰って比良野が聞くと、篤子は何かの方法で眠らされてSM拘束状態にされたという。

それ以上の危害はなかったといった。

比良野も医者だからドラマのように布から吸わせて人を即座に眠らせる薬剤は無いと知っているが、この時は忘れていた。

オジキと出会わないように誰かが意図的に比良野たちを逃がしたらしい。

敵の中に味方がいる? そんな感じだった。

恐ろしい敵でも一枚岩でないとなると希望が見えてきた。


 予定どおり小料理屋で待っていたらオジキの御来臨となる。

どんなに相手をパッパラパーとバカにしていても準備は抜かりないオジキの交渉力はすごい。

どうして私立医大教授職への甘い誘いを断ることができようか。

弓美子は謎めいた屏風絵のある〝合わずの間〟に比良野を通した。

梅には鶯のはずなのにメジロでは鳥が合わない、トリアワナイ、(客に)取り合わない、ということは帰れ、という意味だった。


 篤子が荷物を置きに、前室に案内されたときのこと。

そこにいてにっこり挨拶したのは愛想のいい熟練の縄師だった。


「泌尿器科の女医先生でしたらとっくにご存じと思いますが……」


巧みな話術に


「あのっ、そっ、それは卑猥すぎますでございますわよ!」


などとつられて笑っている間に篤子は気が付くと全裸SM緊縛状態になっていた。

そうなってから


「あのっ、わっ、ワタクシこんなことになるとは聞いていませんでしたわよ~」


「ここに来られた方は皆さんこうなって楽しまれます」


「お尻も何もかもむき出しで……恥ずかしくて失神しちゃいますぅ」


「失神もよござんすよ。眠ってもいいかと。解きやすいように縛っております。あとで恋しい殿方に縄を解いていただくのが嬉し恥ずかしの醍醐味。お召し物は運んでおきます」


 その前の十月初めころ有嶺が美矢子から資料を貰った後、もし比良野に掛かった秘術が解けなかったら、と懸念を言ったことからこれは始まった。

秘術を解く方法は、目の前で大事な女性の危機を見せることだった。

それを知らない有嶺は検査の前日篤子に簡単な協力を依頼したが、そのときには既に篤子は小料理屋に比良野と行くことまでは知っていた。

まさかそこで縛られるとは思わなかった。

篤子はおそらくその前に美矢子と会っていた。

美矢子は篤子の危機を比良野に見せようと考えた。

有嶺は美矢子から届いた封筒を比良野に渡した。

比良野は内側の封筒の中身を見ているうちに顔色が変わった。

有嶺はそれを見ていない。

比良野は顔を上げて簡単な依頼だと言った。

篤子に、美矢子と接触するよう言うことが比良野に依頼されていたのだろう。

篤子は美矢子から初めて敵の陰謀すべてと、それに対抗する有嶺の策を知らされた。


 それにしても二人の接触は監視役に見られる可能性が高い。

密談を見られたら美矢子がスパイだとバレる。

用心深い美矢子らしくない。

 弓美子の真夏の来院は最初から比良野が目当てだったのだろう。

とはいえ、比良野が間近で見た彼女の懐かしそうな表情に嘘は無かった。

初診に来た時病院の庭で遠くを凝視していた。

それは弓美子の心の葛藤を表していた。

彼女はおっぱいナースの誘惑を失敗させるため検査のとき比良野から性欲と精を思いっきり吸い取ってしまったことと、比良野を小料理屋から早く返したことで怪しい人々を裏切った。

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