大西家の話
島への移住を考え出したのは、航に喘息が見つかってからだった。
外でよく遊ぶ歳になったころ、むせるように咳き込んだり、熱を出したりするようになった。近所にある小児科にかかるとその都度、風邪と言われて咳止めと解熱剤を処方された。薬を飲ませれば落ち着くので、幼少期はこんなものかと受け止めていたが、あまりにも頻度が多く、一度高次病院で詳しい検査を受けた。すると、喘息であると診断されたのだった。
身近に喘息を持っている人がおらず、どう対応していけばいいのか不安で途方に暮れたが、体調に気を付けて吸入器さえ持たせていたら、寝込む頻度は減少していった。
航は苦しくなった時の処置を教えると、すぐに覚えてくれるような利口な子だった。本人も苦しいのは嫌だろうから、必要だったのかもしれないけれど。親としてはとてもありがたかった。
もともと、夫の地元である島への移住は、将来、するつもりで話していた。ただ、航が成人するまでは都心にいた方が、教養的にも進学的にも選択肢が多くて環境としていいだろうと。老後は田舎暮らしかなと、長い目で見ていたのだった。
しかし、航は人よりも体が弱いと分かった。ならば都心よりも自然が豊かで空気がきれいな島の方が、元気に過ごせるのではないかと考え、いろんなタイミングも合ったので、小学校入学前の移住を決断した。
夫の実家がオリーブビーチの周辺にある。地域を絞り込んでしまえば、あっさりと新居が決まった。道を挟んですぐに海がある、ゆったりとした潮の音が聞こえる古い家だった。
何度も行ったことがあるのでどんな場所であるかは知っているつもりだった。穏やかな空気が漂う、時間の流れがゆっくりな、わずかな閉塞感がある場所。朝が早く、夜も早く。
喧騒のなかで生まれ育った私には、恐ろしいほどの静寂に包まれる世界だと思った。
引っ越し自体は、小学校に入るひと月前に行った。家具は前の家人が置いていったものが揃っていたので、中身とすこしの家電だけ。航は幼稚園のお友達との別れを寂しがっていたが、引っ越してしまうとまるで遠足に来たかのように楽しそうだった。
幸運なことに、近所には同い年の子が二人もいて、すぐに打ち解けていた。このまま小学校中学校といっしょに行くことになると、この子たちは幼なじみということになるのだろうか、と微笑ましく思ったものだ。
澪ちゃんも水斗くんも素朴ないい子たちで、航にとても良くしてくれた。航も自分の話を興味深そうに聞いてくれるのが嬉しくて、二人と遊ぶのが楽しくてしょうがない様子だった。
どんどん、航は島の生活に馴染んでいった。言動やしぐさは都会育ちのわたしとよく似ているのに、適応力なのだろうか。知らないうちにご近所さんと仲良くなって、ご挨拶に伺う相手が増えていった。
どこから来たのか。どうして移住してきたのか。家族の名前。出身地。職業。好きな食べ物。嫌いな食べ物。そんなことまで、皆が、当たり前のように知っていた。すこし話したことも、すぐに周囲で共有される。狭い世界。密度が高い、人間関係。
理由は分かる。地域で知らない人間が居たら警戒される。だから、みんな私たちを悪い人じゃないと言ってくれていたのだ。そうやって共有して、仲間に入れてくれた。有事のとき、周りで把握し合っておかないと助け合いが出来ない。必要性は知っていた。ただ、受け付けなかった。
都会にいたときは、プライベートなことはよほど親交がなければ、最低限しか知らないものだ。接触する人間の数が多くて、お互いに把握できない。だからあっさりとした関係で当たり障りない距離感でいられた。
自分や家族のことを ほとんど知られているような、薄気味の悪さがあった。監視されているのではないかという恐怖さえ抱くこともあった。
常識が、まるで違う。すこしでも島の人の当たり前から外れると、疎遠にされるのではないかといつも緊張して周りに合わせていた。家族に影響がないように。平穏に暮らせるように。
そうしているうちに、自分がすり減っていっているのが分かった。すこしずつ、すこしずつ。自分が普段なにをしていたのか。なにを息抜きとしていたのか。分からなくなってきた。周りに合わせることを優先させて、家族を優先させて、数年が経過していた。
だんだん、形が出来てきたなかで、航が親離れの段階に入った。ああ、もうそんな歳なのか。親よりも友人を優先する年齢になってきたのかと。それ自体は歓迎だった。精神的な成長が、健やかであると示す経過だった。
ただ、わたしの時間に空白が出来た。子のケアに使っていた時間、そのものが浮いてしまった。ぼうっとする時間が増えた。わたしは、以前、なにをしていたのだろう。なにが好きだっただろうか。趣味なんてあったっけ、と。
もうすっかり、自分自身を見失ってしまっていた。
わたしはふさぎ込みがちになった。一日行動できずに寝込むような日々だった。機械的に家事をこなし、なにもすることが見つからなければ、植物のように何も考えず、寝ているばかりだった。
航は心配するよりも、鬱陶しそうにしているのが伝わってきた。子離れしていないと思われたのだろう。貴方が手を離れるのは喜ばしいと思っているのにと、空しかった。
夫は私のことを心配し、家に引きこもるより、外に働きに出て刺激をもらってきたらどうだと勧めてくれた。それも一理あると思い、すぐ近くのオリーブ公園で働き始めた。本土出身ということで、観光客相手には理想的だったらしい。面接後、すぐに採用が決まった。
働くのは楽しかった。接客相手は本土から来た若い子や親子連れがほとんど。楽しそうにお土産を買う人の笑顔とワクワク感は、見ていて元気を分けてもらった。次第にふさぎ込む時間はなくなり、わたしの日常は充実しだしていた。
ただ、接客で本土の話をしていると、無性に帰りたくなる衝動にかられるようになった。聞きなれた地名を聞くと、泣きそうになるほどに胸が苦しくなった。わたしは帰りたいのだと、思うようになった。
島でつらいことが起きると、地元のことを考えるようになった。友人や身内のことを考えるようになった。わたしの居場所はここじゃないと、考えるようになった。
航が中学に上がった。成績は入学時から上位層だった。この成績ならあの高校に入れるのに、と思ってしまうようになった。
島の子は、進学先によっては、島を出る。上学年の子を持つ親から聞いた、それでわたしのなかで燻っていた想いに、火が点いた。これで実家に帰れる。誰にも後ろ指をさされずに、出られるではないかと。
今思うと、なんて薄情な親だろうかと肝が冷える思いだった。
航に母さんの人生を生きられないと言われて、頭の横を殴られたような衝撃があった。
子どもに、なんてことを言わせてしまったのだろうかと。自分の都合で、彼の大切なものを踏みにじろうとしていた。無理やり引き離そうとしていた。
そう重く気付かされて、わたしの目は覚めた。環境に流されるのではなく、今度こそ独りよがりではない家族のために出来ることをしようと。
結果として、航と島を出ることで落ち着きはしたけれど。彼の高校卒業後は、わたしだけでも島に戻る予定だ。地元で介護系の資格を取り、島で本格的に働けるようにするつもりだった。
航には今度こそ、自由に進んでもらおうと思っている。




