偶然か、必然か
翌朝――
スマホが耳元で鳴っている。
ぼんやりと手を伸ばし、音を止める。
「ん……今、何時……」
画面を見る。
7時30分――
一瞬、固まり、慌ててベッドから起き上がる。制服に袖を通し、部屋を飛び出した。
階段を駆け下りて洗面所へ向かい、顔をさっと洗う。寝ぐせを軽く整え、リビングへ向かった。
「母さん!なんで起こしてくれなかったのさ!」
「何言ってんの!お母さん、何度も起こしたんだから!」
母さんが呆れ顔で言ってくる。
「え……?」
「最低三回は起こしたわよ?」
「……マジか」
(起こされた記憶が全くない……。そんなに熟睡してたっけ?)
棚の上の腕時計に目が止まる。
「……つけていくか」
腕につける。カチッ。
「おっ!ピッタリじゃん!」
「紫音ー!遅れるわよ!」
「やべっ」
食パンをくわえ、カバンを掴む。カバンは半分開いたまま、靴を履いた。
「行ってきまーす!」
「ボタン、ちゃんと止めなさいよー」
「へーい」
軽く返事をしてから外に飛び出した。
◇◇◇
教室――
息を切らし、何とか席に滑り込む。
「……セーフ!!」
「ギリギリかよ!」
後ろから大地の声。
「朝は弱ぇんだよ……」
そう言って机に突っ伏す。
無意識に腕時計を見る。妙に秒針の音が耳に入る。カチッカチッ……と。
「ねむ……」
なんか妙に眠い……。
耐えきれずそのまま目を閉じる。担任の声が耳元で聞こえた気がしたけど、意識はすぐに沈んでいった。
◇◇◇
チャイムが鳴り、大地に肩を揺すられる。
「いい加減に起きろ!昼休みだぞ?」
「……ん」
寝ぼけたまま、顔を上げる。
「もう授業終わったのか?」
佐藤信樹、通称ノブ。
ノブが笑いながらからかってくる。
「担任が耳元で怒ってても起きなかったからな」
坊主頭で声がデカい、いつものノリだ。
山田直之、通称ナオ。
ナオが呆れたように言う。
「お前ほんとすげぇわ、大物だわー!あんまりにも起きねーからクラス中、爆笑だったぜ?」
ナオは相変わらず冷静。ロン毛に眼鏡。
こういう時だけオカンみたいに口うるさい。
「うるせぇな、疲れてんだよ色々」
「色々ってなんだよ、女関係か?」
ノブが揶揄う。
「なんでそうなんだよ!」
大地がまあまあと言いながら俺の肩を叩く。
「てか、飯食おうぜ」
「あ、ああ……」
少しムッとしながらカバンを探る。
「……ん?」
「アレ?」
「紫音、まさか弁当忘れたのか?」
「……みたいだな」
思わずため息をつく。
「珍しいじゃん」
大地がニヤっとする。
「紫音が弁当忘れるとか珍しー!」
ノブがからかう。
「うるせぇよ」
軽く返す。
「購買行ってくるわ。先食ってて」
大地が手をひらひらさせる。
「おう、頑張ってこい」
ノブが笑う。
「購買部は戦場だぞ」
「マジかよ」
そう言って教室を出た。
購買部——
そこは、人で溢れていた。
「ちょ、押すなって……」
人の隙間を縫って進みながら、手を伸ばす。
コロッケパンを掴む。
そのまま抜けようとした時、ほんの一瞬だけ人の動きが止まって見えた。
思わず目を擦る。
「……なんだ、今の」
「気のせいか? やっぱなんか疲れてんのかな俺」
目線を横に向けると、少し離れたところに、一人の女子。押されて前に出れないみたいだ。
(何か鈍臭そうな女子だな……あれじゃ絶対買えねぇじゃん)
「……」
(前のやつに話しかけてるみたいだけど、気づかれてねぇな、あれ)
「ったく、面倒くせぇな」
もう一度俺は人の中へ潜り込み、メロンパンを掴む。カウンターに向けて話す。
「おばちゃん、二つ」
「はいよー!」
パンを受け取る。
(……パン一個じゃ足りねぇけど、まあ金欠だし仕方ねーか)
女子の前へ。
「ほら」
「……え? なんで?」
目を丸くしてこちらを見ている。
「いや、メロンパンめっちゃ見てただろ?」
「……!」
顔がみるみる赤くなる。
「あ、ありがと……」
小さな声で彼女は呟く。
「別に。ただのついでだし」
手を振り、そのまま去る。
その女の子はパンを見つめる。
「あっ、お金」
「どうしよ……」
小さく呟く。
彼女はそっとメロンパンを両手で包み込んだ。
◇◇◇
放課後――
大地が机に突っ伏している。
「……どうすっかな」
シャーペンを回しては止める。また回しては止め、視線を落としている。
(何やってんだ、あいつ)
「声かけるか」
立ち上がった、その時――
「黒川くん」と、小さな声。
声のするほうへ視線を向けると、少し緊張した様子で昼間の女子が立っていた。
「……あの、昼間のパンのお金、返したくて」
その声に反応して、大地が顔を上げる。
目に入った瞬間――
「し、白石……っ」
大地の声がわずかに裏返った。
一瞬、空気が止まる。
「……ん?」
俺はその名前を頭の記憶から探した。
(白石……って、たしか)
大地の顔を見ると、明らかに動揺している。視線が泳ぎ、落ち着きがない。
「あー!」
小さく納得する。
(なるほどな)
白石に、言葉を返す。
「そんなの、いいって!ついでって言っただろ?」
「でも……」
白石が何か言いかけて、言葉を飲み込む。
俺は横目で大地を見た。
期待に満ちた表情。
(……分かりやす)
小さく息を吐く。
「じゃあさ、この後、時間ある?」
「大地、お前も一緒に帰るよな?」
「……お、おう」
「じゃあ三人で帰ろうぜ」
それを聞き、大地が少し目を潤ませながら大きく頷く。
白石は戸惑ったまま、黙っている。
大地が『頼むから頷いてくれ』と顔に書いているかのように、必死で白石を見つめている。
白石が、少し照れ臭そうに
「……うん、わかった」と、小さく頷いた。
その瞬間――
「やった!!」
教室の後ろから、大地の声が響く。
「うっせぇよ!声でけぇから!」
俺は呆れたように大地に言った。
「……っ!」
大地が慌てて口を押さえる。
静かな教室に、少しだけ余韻が残る。
「じゃあ、行こうぜ!」
俺は二人に声をかけた。
三人で校門を出る時、何故か背筋がゾクッとした。
誰かの視線?
振り返るが、誰も見当たらない。
腕につけた腕時計の音がなぜか妙に耳につく。時計をふと見る。カチッ、カチッと時を刻んでいる。
「どうした、紫音?」
「いや……別に……」
無意識に腕時計を触る。
「行こうぜ」
「あ、ああ……」
無性に気になり、再度視線を感じた方向を見る。
「……!?」
思わず背筋が凍りついた。
あれは……? まさかそんなことあるはずがない。自分と同じ顔がいたなんてな。
「おい、紫音」
大地が俺を呼ぶ声にハッとする。もう一度視線を感じた方向を見たが、既に視線は消えていた。
(錯覚……?)
後ろ髪をひかれるように、俺はその場を後にした。
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