偶然か、必然か
翌朝――
スマホが耳元で鳴っている。
ぼんやりと手を伸ばし、音を止める。
「ん…今、何時……」
画面を見る。
7時30分――
一瞬、固まり、慌ててベッドから起き上がる。
制服に袖を通し、部屋を飛び出す。
階段を駆け下りて洗面所へ向かい、顔をさっと洗う。寝ぐせを軽く整え、キッチンへ向かう。
「母さん!なんで起こしてくれなかったのさ!」
「何度も起こしたでしょ!」
「え……?」
「3回は起こしたわよ!」
「……マジか」
棚の上の腕時計に目が止まる。
「…つけていくか」
腕につける。カチッ。
「おっ!ピッタリじゃん!」
「紫音ー!遅れるわよ!」
「やべっ」
食パンをくわえ、カバンを掴む。
カバンは半分開いたまま、靴を履いた。
「行ってきまーす!」
「ボタン、ちゃんと止めなさいよー」
「へーい」
軽く返事をしてから外に飛び出した。
◻︎◻︎◻︎
教室――
息を切らし、何とか席に滑り込む。
「…セーフ!!」
「ギリギリかよ!」
後ろから大地の声。
「朝は弱ぇんだよ……」
そう言って机に突っ伏す。
無意識に腕時計を見る。妙に秒針の音が耳に入る。カチッ…カチッ…と。
「ねむ…」
なんか妙に眠い。耐えきれずそのまま目を閉じる。担任の声が耳元で聞こえた気がしたけど、意識はすぐに沈んでいった。
◻︎
チャイムが鳴り、大地から、肩を揺すられる。
「いい加減に起きろ、昼休みだぞ?」
「……ん」
寝ぼけたまま、顔を上げる。
「もう授業終わったのか?」
佐藤信樹さとうのぶき、通称ノブ。
ノブが笑いながらからかってくる。
「担任が耳元で怒ってても起きなかったからな」
坊主頭で声がデカい、いつものノリだ。
山田直之やまだなおゆき、通称ナオ。
ナオが呆れたように言う。
「お前ほんとすげぇわ、大物だわー」
ナオは相変わらず冷静。ロン毛に眼鏡のくせに、こういう時だけオカンみたいに口うるさい。
「てか飯食おうぜ」
「あ、ああ…」
カバンを探る。
「……ん?」
手が止まる。
「……ない」
「忘れたのかよ?」
「……みたいだな」
「珍しいじゃん」
大地がニヤっとする。
「紫音が弁当忘れるとか珍しー!」
ノブがからかう。
「うるせぇ」
小さくため息をつく。
「購買行ってくるわ。先食ってて」
大地が手をひらひらさせる。
「おう、頑張ってこい」
ノブが笑う。
「購買部は戦場だぞ」
「マジかよ」
軽く返して教室を出た。
購買部。そこは、人で溢れていた。
「ちょ、押すなって……」
人の隙間を縫って進みながら、手を伸ばす。
コロッケパンを掴む。
そのまま抜けようとした時、ほんの一瞬だけ人の動きが止まってみえた。
思わず目を擦る。
「…気のせいか」
目線を横にやると、少し離れたところに、一人の女子。押されて前に出れないみたいだ。
(何か鈍臭そうな女子だな…あれじゃ絶対買えねぇじゃん)
「……」
(前のやつに話しかけてるみたいだけど、気づかれてねぇな、あれ)
「…たく、面倒くせぇな」
もう一度俺は人の中へ潜り込み、メロンパンを掴む。カウンターに向けて話す。
「おばちゃん、二つ」
「はいよー!」
パンを受け取る。
(…パン一個じゃ足りねぇけど、まあ金欠だし仕方ねーか)
女子の前へ――
「ほら」
「……え?」
「何で…?」
目を丸くしてこちらを見ている。
「いや、メロンパンめっちゃ見てただろ?」
「……!」
顔がみるみる赤くなる。
「あ、ありがと…」
小さな声で彼女は呟く。
「別に。ただのついでだし」
手を振り、そのまま去る。
その女の子はパンを見つめる。
「…あっ、お金」
「どうしよ…」
小さく呟く。
彼女はそっとメロンパンを両手で包み込んだ。
放課後――
大地が机に突っ伏している。
「……どうすっかな……」
シャーペンを回しては止める。また回しては止め、視線を落としている。
(何やってんだ、あいつ)
「…声かけるか」
立ち上がった、その時――
「黒川くん」と、小さな声。
声のするほうへ振り返ると、少し緊張した様子で昼間の女子が立っていた。
「…あの、昼間のパンのお金、返したくて…」
その声に反応して、大地が顔を上げる。
目に入った瞬間――
「し、白石…っ」
大地の声がわずかに裏返った。
一瞬、空気が止まる。
「…ん?」
俺はその名前を頭の記憶から探した。
(白石…って、たしか)
大地の顔を見ると、明らかに動揺している。
視線が泳ぎ、落ち着きがない。
「…ああ」
小さく納得する。
(なるほどな)
白石に、言葉を返す。
「そんなの、いいって!ついでって言っただろ?」
「でも……」
白石が何か言いかけて、言葉を飲み込む。
俺は横目で大地を見た。
期待に満ちた表情。
(……分かりやす)
小さく息を吐く。
「んー、じゃあさ」
「帰り、時間ある?」
「えっ?」
「ちょい帰り、付き合ってくれない?」
「……な?」
少しだけ間を置いてから
「な?大地?」
俺は大地に相槌を求めるように言った。
それを聞き、大地が少し目を潤ませながら
「…お、おうよ」
慌てて頷く。
白石は戸惑ったまま、何も話さない。
(頼む…頼む…!)
大地が、心の中で強く願う。
白石が、小さく息を吐いた後、
「……うん、わかった」と、小さく頷いた。
その瞬間――
「やった!!」
教室の後ろから、大地の声が響く。
「うっせー!声でけぇよ!」
俺は呆れたように大地に言った。
「……っ!」
大地が慌てて口を押さえる。
静かな教室に、少しだけ余韻が残る。
「じゃあ、行こうぜ!」
俺は二人に声をかけた。
三人で校門を出る時、何故か背筋がゾクッとした。
誰かの視線?
振り返るが、そこには誰もいない。
腕につけた腕時計の音がなぜか妙に耳につく。時計をふと見る。カチッ、カチッと時を刻んでいる。
「どうした、紫音?」
「いや……何も」
無意識に腕時計を触る。
「行こうぜ」
「ああ」
(気のせい……だよな?)
そのまま、俺たちは三人で歩き出した。
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