#14 居場所
事務所の机は散らかっていた。和紙、糊、それから新聞やチラシを切り抜いた文字の山。
クロはピンセットで文字を一つ摘み、慎重に紙の上に配置していく。
簡易的な封印符だ。複雑な術式は扱えないが、単純な符であれば自分で作れる。似たような意味を持つ文字を組み合わせて術式を構成し、糊で定着させていく。
一枚貼り終えると、クロはピンセットを置いた。符を手に取り、光にかざす。配置は多少歪んでいるが、機能的には問題ない。完璧である必要はなく、最低限使えればそれでいい。
依頼がない日は、こうした時間が続く。地道な作業だが、案外嫌いではなかった。
事務所に依頼が来たのは、道具屋に行ってからそう遠くない日の午後だった。
事務所のドアをノックする音。クロは読んでいた本を閉じ、「開いてる」と声をかけた。ドアが開き、作業着姿の男が一人、入ってきた。三十代半ばだろうか。がっしりとした体つきで、顔つきには疲労の色が濃い。目の下には隈ができ、視線は落ち着きなく部屋の中を彷徨っている。
「あなたが怪異探偵のクロさん、ですか」
「そうだ」
クロは男性に座るように促した。男は一瞬ためらってから、クロの向かいの椅子に腰を下ろした。背もたれに寄りかからず、浅く座っている。その様子からして、緊張しているのは明らかだった。
「で、何の用だ」
「……相談、というか、お願いがあって来ました」
男は息を整えてから、ゆっくりと話し始めた。
♢♢♢♢♢
男の話をまとめるとこうだ。
一週間前、男は解体現場で古い祠を取り壊した。その土地は長年放置されており、土地の所有者もすでに亡くなっている。祠は荒れ果て、手入れもされていなかった。上からの指示で、仕事として壊すしかなかった。
問題は、その日の夜から始まった。
「……夢を見るようになったんです」
男の声は掠れている。
「知らない自分が、身体を動かしている夢です。朝起きて、朝ご飯を食べて、子供と遊んで。でも、それは俺じゃない。俺の身体なのに、俺じゃない何かが勝手に動いている」
「それが毎晩?」
「毎晩です。最初は変な夢だと思ってました。でも、三日目くらいから、気づいたんです。夢の中で見る家族の表情が、だんだんおかしくなってるって。妻も子供も、本当の俺じゃないって気づき始めてる。恐怖と困惑の表情を浮かべていた。それでも、身体は勝手に笑って、話しかけている。夢の中の俺には、それを止められない」
男の手は震えていた。拳は血が出そうなほど固く握りしめられている。
「昨日の夜、ついに妻が泣き出しました。『あなた誰なの』って。子供も怖がって逃げた。それでも夢の中の俺は、ニコニコ笑いながら追いかけていった。俺はただ、それを見てるだけで……目が覚めたとき、気が狂いそうでした」
「それで、ここに来た」
「どうにか、助けてほしいんです」
男はクロを真っ直ぐに見た。その目には、切羽詰まった色がある。
「家に帰るのが怖い。眠るのが怖い。このままじゃ、俺が俺でなくなる。いや、俺は本当に家族を失う気がする」
クロは腕を組み、しばらく黙った。
祠を壊したこと。それ以降始まった異常な夢。夢の中で身体を奪われる感覚。これらは明らかに、怪異が絡んでいる。おそらく…
「憑き物だな」
「……憑き物、ですか」
「お前が壊した祠に、何かが封じられていた。それが解放されて、お前に憑りついた」
「じゃあ、この夢は」
「そいつが、お前の身体を自分のものにしようとしているんだろう。夢の中で身体を動かすのは、その予行演習だ。完全に馴染ませ、意識を奪う」
男の顔が青ざめた。
「俺は、、助かりますか」
「ここに来ているってことは、まだ完全に憑依されているわけじゃない。まあ、やるだけやってみよう」
♢♢♢♢♢
クロは立ち上がり、棚の引き出しから自家製の符を数枚取り出した。
「今から憑いてるものを引き出す。お前は何があっても動くな」
「わ、わかりました」
クロは符を一枚手に取り、男の額に近づけた。
符が淡く光る。
男の身体が小刻みに震え始め、呼吸が荒くなった。
「……っ」
男の口から、掠れた声が漏れる。だがその声は、男のものではない。低く、獣じみた響きがある。クロは符を額に押し当てた。
男の身体がのけぞり、口から黒い煙のようなものが噴き出した。煙は空中で渦を巻き、次第に形を成していく。四つ足の獣。丸みを帯びた体躯と、太い尾。
狸だ。
だが普通の狸ではない。身体は半透明で、目だけが妙に鮮明に光っている。まるで怨念が狸の姿を模しているかのようだ。
「……私の居場所を奪ったのはコイツなのに」
『狸憑』が喋った。声は低く、恨みが滲んでいる。
「どうして私がこの男の居場所を奪うことは許されないのだ」
「気持ちはわかる」
『狸憑』の言葉にクロは答える。
「だが人間に被害が出た以上、お前を放置するわけにはいかない」
「勝手だ。傲慢だ。人間はいつもそうだ」
そう言うと牙を剥いてきた。すかさずクロは符を投げる。符が『狸憑』の身体に張り付き、青白い光が迸る。『狸憑』が悲鳴を上げた。
「人に憑いて害をなした時点で悪霊だ、そうなった以上祓わなければならない」
符の光が強まり、『狸憑』の身体が収縮していく。抵抗する間もなく、符の中に吸い込まれた。光が消え、符が床に落ちる。クロはそれを拾い上げた。紙の裏面には、先ほどまではなかった不可思議な文様が浮かび上がっている。
男は椅子に座ったまま、荒い息をついていた。額に汗が滲んでいる。
「お、終わったん…、ですか?」
「ああ。もう大丈夫だろう」
クロは符を懐にしまった。男は深く息を吐き、顔を上げた。目には涙が浮かんでいる。
「助かりました。本当に……本当にありがとうございます!」
男は依頼料を支払い、何度も頭を下げてから事務所を出ていった。
♢♢♢♢♢
事務所に静けさが戻る。
クロはソファに座り、懐から符を取り出した。
(居場所を奪われた、か)
『狸憑』の言葉が頭に残っていた。理不尽だと思う気持ちはわかる。祠は長い間そこにあり、祀られていた狸の霊もまたそこに居た。土地の所有者が生きている間は、誰かが手入れをしていたのだろう。だが所有者が死に、祠は放置され、最後には人間の都合で壊された。
狸にとっては、ある日突然居場所を奪われたのだ。そして『狸憑』と化してしまった。
だからといって人に憑いていい理由にはならない。それは理屈としてわかっている。だが、完全に割り切れるかと言われれば、そうでもない。
(こういうのは、どう落とし前をつければいいんだろうな)
怪異を討つことは仕事だ。人を守るために、危険な存在は排除する。それがクロの、怪異探偵としての役割だと受け入れている。だが時折、こうして引っかかるものがある。
多くの怪異は人間が原因で生まれ、また、人間の都合で討たれる。
その構図に、綺麗な答えなど存在しない。
クロは符を机の上に置いた。然るべき場所で供養をすべきだろう。
なんにせよ人を救うことはできた。
それでいいのだと、今は自分に言い聞かせた。
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依頼記録
怪異 『狸憑』
等級 三級
特徴 狸が怨念によって悪霊と化した姿。
今回のはもともと祠に祀られていたのが祠を壊した人間に憑りついた。
お久しぶりです、Wright/__です。
引っ越しや検査などがあった為、なかなか更新できず申し訳ないです。
今月中にもう一話投稿できるように頑張ります。




