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決闘を挑まれました2


 身の危険を感じたアーサーは、真っ青な顔をしたエステルを背後に押しやると、剣を抜いた。


「騎士の情けだ。最初の一撃を繰り出す栄誉をお前に与えよう」


 つまり最初の攻撃はアーサーからでいいと言っているのだ。


「……それはありがとうございます」


 アーサーは剣を構えると、素早く踏み込み、防御に徹するザクセン公を相手に剣を斜めに振るった。一瞬の出来事だった。ザクセン公の剣が空高く中を舞い、弧を描きながら落ちてくるのをアーサーは剣を持っていない手で受け止めた。

 次の瞬間、夜会の会場は割れんばかりの拍手で満たされた。


「すごい! あのザクセン公からたったの一撃で剣を奪うなんて! さすが国王陛下の懐刀!」


 周囲が興奮にわく中、当のザクセン公だけは、剣を構えたときの中腰のまま、その場で呆然としていた。そのみっともない姿はのちのち語り草となるほどだった。


「ザクセン公、こちらはお返しします」


 アーサーが剣を差し出すとザクセン公はそれを勢いよく奪い取り、アーサーに切りかった。アーサーは慌てて攻撃を防いだ。


「……何が剣は使えない、だ。大ウソをつきおって!」

「嘘ではありません。幼い頃に少し習った程度ですから」

「わたしを馬鹿にするな!」


 ザクセン公が一歩退き、再び剣を振るう。アーサーは危なげなく受け止めたが、そのまま鍔迫り合いになった。ザクセン公は怒りと屈辱のあまり目を真っ赤にして、アーサーを睨みつけた。


「エステルにふさわしいのはわたしだけだ」


 低い声でザクセン公はそう言った。


「——下賤な女の血を引く彼女の汚れた血をきれいにできるのは、王家の血を引くわたしだけだ」


 アーサーは眉間に皺を寄せた。ザクセン公はそれが本気でエステルのためになると思っているのだ。アーサーは納得した。どうしてエステルがザクセン公を嫌うのかを。こんな歪んだ考えを持つ男を進んで受け入れる女性はそうはいまい。自分が正しいと思っているザクセン公は、裏でエステルの出自に対して陰口を叩く貴族以上に厄介な存在だった。そこで、アーサーはふとあることに思い至った。


「……まさか、あなたはそれをそのまま彼女に言ったのですか?」

「それがどうした?」


 猛烈に腹がたった。アーサーはザクセン公の剣を力任せに払い落とすと、柄でみぞおちに一撃をくらわせた。うっとうめき声をあげるとザクセン公の身体は、その場に崩れ落ちた。アーサーは借り物の剣を鞘に納めると、護衛の騎士に投げて渡した。


「貴公の主は気を失っています。今のうちに連れてお帰りください」


 護衛の騎士が、主の乱行に迷惑そうな顔をしていたところをアーサーは見ていた。アーサーがそう言うと、騎士たちは意識のないザクセン公を背負ってその場から退散した。


「アーサー様!」


 エステルが悲鳴に近い声を上げながらアーサーの背中にしがみついた。


「怪我は、怪我は大丈夫ですか?」

「ぼくなら平気です」

「でも、血が……!」


 言われて初めてアーサーは気づく。よく見ると袖に切れ目が入り、右の腕から手の甲まで血が筋となって流れ落ちている。ザクセン公の剣がかすったのだろう。


「手当をしますから、どうぞ邸の奥へ」


 アーサーは言われるままに、エステルの後ろをついて歩いた。彼女の私室に入ると、メイドが清潔な布と水を持って部屋に入ってきた。上着を脱いだアーサーは苦笑した。皮膚が浅く切れているだけだった。


「この程度なら、手当など必要ありません」

「いいえ、手当はわたくしにさせてください」


 強固に言い張ると、アーサーのシャツの腕をまくり上げたエステルは、清潔な布でアーサーの傷口の血を拭った。さすがに少しだけしみたが、すでに血は止まっている。本当にたいした怪我ではなく、子供が日常的にするものと同程度の傷なのに、エステルは今にも泣きそうな顔をしていた。


「……わたくしのせいで申し訳ありません」


 珍しく彼女は落ち込んでいた。


「そんな顔をしないでください。ザクセン公が切りかかってくるなんて、そんな予測誰にも不可能です」


 するとエステルが思いがけないことを言った。


「……わたくしは知っていました」

「は?」

「ザクセン公は穏やかそうに見えてプライドが高く短気な方です。公にはされていませんが、以前にも同じような事件を起こしたことがあると知っていました……」


 アーサーは苦笑した。


「あなたも人が悪い。今日の夜会にぼくを呼んだのはザクセン公が来ると知っていたからだったのですね」

「……わたくし、アーサー様について調べていたんです。幼い頃にお姉さま方を守るために騎士団で剣を習っていたこと。そして、今でも個人的に鍛錬を続けていることを」

「……そんなたいそうなものではありませんが……」


 たしかに始めたきっかけは姉たちのためだと父に言われたからだったが、その後は姉たちにいいように振り回されるストレスを解消するために、陰で毎日のように剣を振るっていたとはさすがに言いにくい。留学してからは、勉強ばかりすると体がなまるので運動がてら剣を手にしていた。そして、たまたま騎士の家系から学問がしたくて大学に入学した変わり者の同級生がいて、遊びがてら稽古に付き合っていたくらいだ。それがまさかこんな大袈裟な解釈をされるなんて、恥ずかしいにもほどがある。


「アーサー様に剣を教えた騎士団の方がこう言ったそうです。百年に一人の逸材だと。是非、騎士団に誘い

たかったけれど、侯爵家の後継ぎに騎士団に入れとはさすがに言えなかったそうです」


 アーサーは呆れた。おそらくジーニアス侯爵家の後継ぎを悪く言えなくて、適当に話を盛ったのだろう。ますます恥ずかしくなる。

 アーサーの腕に布を巻きながらエステルは言った。


「わたくし、剣を扱うことを甘く見ていました。……本気の切り合いがあんなに恐ろしいものだと思っていませんでした。ただ、アーサー様なら物語に出てくる騎士様のようにザクセン公を撃退してくれるだろうと軽く考えていました。本当にすみません」

「謝らないでください。あなたらしくもない」

「まあ! それはどういう意味ですか!」


 エステルがたちまち怒鳴る。その元気な顔を見ていると不思議と笑みがこぼれた。


「あら、これは何かしら……?」


 アーサーの上着を片付けようとしたエステルがポケットから何かを探り当てた。小さな布張りの箱を見て目を丸くしている。


「ああ、それは母に言われて持って来たんです。是非、貴女に渡せと言われています」


 アーサーはエステルの手から箱を取り上げると、笑いながら蓋を開いた。翡翠が美しい銀の指輪が台座にはまっていた。


「これをわたくしにくださるのですか?」

「と言っても母のお古ですよ? 母が昔、祖母から受け継いだ品だそうです」

「でも、だって、わたくしは……」


 エステルは何かを戸惑っている。おそらく一時的な婚約であることを気にしているのだろう。


「母は貴女のことがお気に入りみたいですね。うちの母は観劇が趣味なんです。あなたに取り入って、あなたの母上と仲良くなりたいのでしょう。うちの母の相手はしなくていいですから、せめて受け取ってあげてください」

「……こんなのずるい……」


 小さな声でエステルは何かを呟いたが、その言葉がアーサーの耳に届くことはなかった。

 エステルは、顔をかすかに赤く染めている。気のせいか、怒っているようにも見えた。そして、真顔でこう言った。


「失格です」

「は?」

「それは婚約者に指輪を渡す態度ではありません。出直してきてくださいな」


 アーサーは焦った。


「ちょ、ちょっと待ってください。それではぼくが母に叱られます」

「そんなこと、知りません」


 エステルはつんとそっぽを向いている。そうこうしているうちに、騒がしい音が廊下から聞こえてきた。乱暴に部屋の扉が開かれる。


「こらぁ! 娘の部屋にいつまでも居座るなぁ!」


 シェーンベルグ公爵の怒声が邸を貫いた。


『国王陛下の懐刀、婚約者を狙うザクセン公を剣で華麗に撃退!』


 翌日の新聞にはそんな見出しが躍ることになるのだった。



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