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王太子、の言葉が出てきた為に、私は体を強張らせました。
ちらりとエアステ様を伺えば、平然とされています。
ついエアステ様を見てしまうのは、彼女が第三王子殿下に嫁ぐことになったからです。大き過ぎる後ろ盾が付いた第三王子殿下は、今までの一歩下がった王位継承権を持つ王子から、王位継承権筆頭と噂されています。当然、第一皇女殿下が王妃の座を求めているとも巷では話題です。
「あら、ご心配にならなくても大丈夫ですわ。私は殿下の意思に従いますので、無理矢理権力を盾取って王太子を選ばせることは致しません。無論、あの方が王位を求めるなら全力で王座に座らせます」
エアステ様の最後の言葉は、絶対に達成するという気概が込められていました。
第三王子殿下が王となった場合を想像しますと、陛下と同じで優れた容姿は、貴族にも国民にもすぐに受け入れられるでしょう。特に第三王子殿下は人脈が国内外問わずとても広いので、支持層は厚くなります。さらに王妃がヴュルテンベルク帝国第一皇女ならば、おいそれと他国も手を出すことはできません。
ふとエーデル嬢に目をやりますと、彼女は頬杖をついて首を傾げました。
「まあね、私もあいつが頭打って王様になりたいといったら協力するけどね。政治はともかく、まあそうそう殺されない国王にはなる自信があるよ。私は王妃って柄じゃないけど」
それは間違いないでしょう。
既に武力と統率力で、アウスレーゼより遥かに強大な国にも勝ち続けている第二王子殿下ですから、国王となった折には強靭な国となるでしょう。しかも王妃がエーデル嬢となれば、まず武において弱点が見当たりません。他国は挑発さえできないでしょう。
「私たちより、一番王位が近いと言われたのは、グローセス嬢の婚約者じゃないか」
「そうですね。第一王子殿下はまさに王太子に相応しくなるよう教育を受けていましたし、国内においてグローセス様程王妃に相応しい身分の方はいらっしゃいません」
エアステ様のおっしゃる通り、殿下と私は父に国王と王妃の一番の候補として育てられました。
殿下は主に政治的に鍛えられ、第三王子殿下が表の人脈があるとするなら、殿下は裏の人脈を掌握しています。また、感情を抑えて判断をくだせる方です。国王となればその辣腕を遺憾なく振るうことができます。私はその側で殿下をお支えするのが役目。
「殿下の手を取った時から、私は王妃になることに抵抗はありませんでした。ならなくても構いません、しかし殿下が望まれるなら、私も皆様と同じです」
ですが、と私は言葉を続けます。
「王位継承について、リースリング様にお訊きしたことがあります。殿下は言っていました。一人では荷が重い、その役目に誰が選ばれたとしても、今までと同じよう支えていく、と。兄弟は敵ではないと」
殿下は弟殿下たちを蹴落とす相手など思っていないのです。たとえ弟のどちらかが選ばれても、変わらず支えるつもりです。
伝わって欲しいと願いを込めた言葉は、エーデル嬢とエアステ様に届いたようで、お二人は穏やかな笑みを浮かべました。
「ミュラーもそう言ってたよ」
「ええ、シルヴァン様も」
まあ、と私も笑顔が溢れました。
三人の王子殿下が同じように思ってくださっているのなら、今後何が起こってしまっても、大丈夫でしょう。
「王子殿下がそのような結束をされているのでしたら、婚約者である私たちも、同じく手を取り合えると良いですね」
「勿論、私は二人を助けるよ。何か起こったら呼んでほしい、斬り捨ててやるから」
「私も、折角できたお二人の義姉様ですもの。仇なすものは帝国の力でねじ伏せて差し上げますので、私を頼ってくださいませ」
……。武力も権力も恐ろしいものですね。
ええと、私には何がお二人にできるでしょう。
「ありがとうございます。私も、私に出来る限り、お二人の為に行動しますね」
戸惑いを隠せた笑顔にできたと思います。皆さんが笑顔で、ほんわかした雰囲気が場を包み込みました。
ようやく穏やかな時間が過ごせるようです。ゆっくりと紅茶を味わっていると、エーデル嬢が不意に背後を確認しました。
何事かと聞くまでもなく、その正体はすぐに分かります。
「歓談中に失礼」
ずんずんと入り込んできたのは、第二王子殿下でした。いつもより一際威圧感がある立ち姿です。
断りは入れているものの、第二王子殿下の目は、最初からエーデル嬢に向けられて、逸らされません。
「ん? どうしたんだ急に」
「エーデル。決着つけるぞ」
「は?」
第二王子殿下はエーデル嬢の腕を掴み、引き上げます。対するエーデル嬢は目が白黒しています。
「いきなりなんなんだ。今私は令嬢たちのお茶会をしていて」
「令嬢じゃないお前は邪魔なだけだ。いなくても構わんだろう」
「これでも侯爵令嬢だよ。確かに今勝敗が同じになっているけど、だからこそ決着なんてそんなに慌ててするものじゃあないだろう」
「いや、俺が今すぐ決着をつけたい」
目を見開いて、エーデル嬢はまじまじと第二王子殿下を見ます。しばらくして何か思い至ったのか、ふっと笑って席を立ちました。
「はいはい。じゃあこのまま果たし場に行こうか。グローセス嬢、エアステ様、また今度」
ひらひらと手を振りながら去っていくエーデル様に、こちらも訳がわからず手を振り返します。
何事だったのでしょうと、台風一過のように感じていますと、今度は反対側から弾んだ息遣いが聞こえました。
「エア!」
現れたのは第三王子殿下です。
慌ててかけてきたのか、髪が少し乱れていますが、その乱れさえ美しさの一部のように目を引きます。いえ、今日は宝石に勝る鮮やかな海色の瞳が煌々と輝き、いつもよりも存在が煌めいているように見えます。
「し、シルヴァン様」
「違う、エア。ヴァンって呼ぶように言ったじゃないか。僕が略称で呼んでいるのに、貴女が呼ばないのはいやだ」
「失礼いたしました……ヴァン、様」
頰を鮮やかに染めるエアステ様と、その様子を見て、同じくほんのり赤くなる第三王子殿下。とても可愛らしいです。
「まあ、それは後で。エア、すぐに帝国にいこう。皇帝陛下に御目通りをしないと」
「父様に? 帝国への挨拶は、まだ準備ができていないのですぐにはいけないのではありませんでしたか?」
「準備なら、終わらせた」
第三王子殿下の額から、一筋の汗が零れます。
エアステ様はその汗を目で辿り、彼の眼を見つめ、目を閉じて屈みました。いえ、これは、王侯貴族の最敬礼です。
「殿下の御心のままに。どこまでもお供いたします」
パッと更に顔を明るくした第三王子殿下は、エアステ様の手を取ります。そして今気付いたように慌てて私に目をくれました。
「お茶会中に失礼、グローセス嬢。急用でエアを連れて行くよ。またお茶会に誘って欲しい」
「グローセス様、本日は誘っていただきありがとうございました。中座させていただきますが、今後とも仲良くしてくださいませ」
退出の礼を優雅にされるエアステ様に、私も礼を返します。お急ぎで、それでも気品は損なわず、お二人の姿はすぐに見えなくなってしまいました。
あっという間に一人です。
王子殿下の勢いで、少々冷めてしまった紅茶を口に当てます。動作はゆっくりですが、心ははやります。この流れでしたら、と考えてしまうのは仕方ない事でしょう。
しばらくすると、背後から足音が聞こえてきました。
勿論、誰の訪れかは分かっておりますが、あえて気付かないふりをします。
足音が、手前で止まります。
「お待たせいたしました、私のお姫様」
やわらかい声に、いじわるが堪え切れなくて振り返ります。
待ち焦がれていたせいでしょうか。それとも皆様に当てられたのでしょうか。そこにいるリースリング殿下はいつもよりもさらに魅力的に見えました。
「殿下、遅いですわ」
「ええ。何某かは遅れてくるものですから」
頑張っての嫌みも何のそのです。
差し出される手に手を預け、すっと引き寄せられます。相変わらず夜明け色の瞳が優しく細められて、黒髪が容貌の良さを際立たせ、高級な素材を使ったお召し物も刺繍が精緻で。あら? このお召し物は、いつもとは異なりますね。
じっと殿下のお召し物を見ていた私は、はっとしました。
第二王子殿下がより雄々しく、第三王子殿下がより麗しく。そして第一王子殿下がより魅力的に見えるのは、彼ら王子殿下が皆、正装をされているからです。
何かあったのだと、顔を上げれば、正解した生徒を褒める教師のような笑顔を向けられました。
「少々、内々で話がありましてね」
「左様ですか」
正装をして話すことなど、大したことがないはずがありません。これは心しなければいけないことが来たということでしょう。
「内容については、近いうちに開催される国王主催の舞踏会で発表されます。グローセス。もとより美しいのは承知の上ですが、当日は私の為に、どの令嬢よりも美しく着飾ってください」
瞳に、強い光が輝きます。
どうやら当日は、この大好きな夜明け色を全身に纏って行くことが決まったようですね。
「はい、殿下」
私がどのような顔をしていたのかは分かりません。それでも、殿下は私の返事の後、とろけそうな幸せ一杯の笑みを浮かべました。
さて、今後はその重大発表があるという舞踏会の準備をしなければいけませんね。殿下の最高のパートナーとあるべく、容姿磨きとマナーの磨きをして。前回とは比べ物にならないように。
そうです、前回は。
「また、婚約破棄などありませんよね?」
殿下は朗らかに声をあげて笑われました。
「皆、もう婚約破棄をする必要がないでしょう?」
令嬢たちの場合 完 / 婚約破棄系王子《完》
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