15 涙の理由
高原、なんて苗字ありふれたものだから全然気づかなかった。
今日は高原真奈ちゃんと一緒に公園で遊んでから帰ろうっかぁ。なんて言えば、ぱあっと顔を明るくさせて「やったー!」なんていう江梨香。
そして、椿ジュニアと、高原ジュニアが二人して公園の砂場でお山さん作りをしている姿を、二人してベンチに座って眺めていた。
高原浩介って、こんな顔だったっけなぁ。なんて思うけど、彼の昔の顔もぼんやりとしか出てこないので何となく笑える。すごい、人間の脳みそのポンコツっぷり。
椿美咲、高原浩介の間に会話はない。
ただ、二人して黙って熱い缶コーヒーを飲んでいるだけ。
「……美咲、」
「椿さんって呼んで」
そう言えば、私の横にひと一人分くらい開けて座っていた高原浩介は「すげぇ苗字」なんてちょっと驚いた顔。
私は、暖かいコーヒーの缶に両手を這わせて、ただじっと目の前で遊ぶ二人の姿を見ていた。
あの二人は、わりと距離のある所で他の子どもたちも一緒になって遊んでいるから私と高原浩介がどんな話をしているかなんかは聞こえないだろうけど。
「椿、って……だれ?」
「下心ありあり男の子」
「……ああ、あの時の……結婚したんだ……おめでとう」
「どういたしまして」
「……」
「……」
「……引っ越したから、あんたに会う事ないと思ってたのに……なにこの偶然……」
「二度と会いたくないって言ってたのに」
「っていうか、なんで今まで鉢合わなかったんだろう……」
「俺、幼稚園に迎えいくのはじめてだし……」
「幼稚園の行事は?」
「運動会は行ってたけど……」
「運動会の日、たまたま熱出してて行ってないんだよね……」
「まぁ、真奈は早生まれで二年保育だし……それも関係あるかも」
「神よ……」
「……」
「……」
「あんた会社は? もしかしてプー太郎?」
「いや、今日たまたま休みで」
「え? あんたの会社……ってそんな平日休みとかあったっけ?」
「……」
「……」
「タバコ、まだ吸ってんの?」
「え? ……なんで?」
「においする。離れてても分かる。自分も吸ってたから」
「……ああ、うんまぁ……子供の前では吸わないようにしてるけど……」
「ふうん。ま、私は旦那がタバコダメなタイプだからやめたけど」
「……」
「……」
「真奈ちゃん、あんたの娘? 似てないなぁ」
「相手、元シングル。真奈は連れ子だから俺と血の繋がりはない」
「……ほんとゴメン」
「最近はやっと『偽パパ』から、ちゃんとパパって呼んでくれるようになった」
「……っていうか、真奈ちゃんママって、あの時の……人ではないよね」
「うん」
「……」
「み、……椿さんと別れた後に。『彼女と別れたから』って言ったら『そんなつもりじゃなかった』なんて言われて。……まぁいろいろ揉めて……会社も居づらくなって……辞めて……ちょっと借金とかも……」
「そこら辺詳しく聞いて『ざまぁみろ!』って言ってやりたいんだけどさぁ、うち宗教上の理由であんまりそういう話聞けないんだよねぇ、ごめんねぇ」
「……ヤバい宗教?」
「椿教」
「……なんだそれ」
「……」
「……」
「そういえば……私があんたをブン殴った日以来か」
「……うん」
「年賀状くらい送ってくるかと思ってたのに。あんたも酷い男だねー」
「……棒読みじゃん」
「……」
「いろいろ揉めたあと、美咲にヨリ戻してくれって頼もうかと思ったけど」
「うん」
「流石にそれは図々しいかと……」
「ユウキャン『常識人講座』でも受講してきたの? えらいなぁ」
「……」
「……」
「っていうか、もう真奈ちゃんママに顔合わせられない……」
「はは。まぁうちのママなら大丈夫だと思うけど」
「ちょっと、あんた嫁の事『ママ』って呼んでるの? それよくないよー愛情薄れるやつだよー。……ってうちの旦那が言ってた」
「じゃあお前なんて呼んでんの」
「……悠馬くん」
「は」
「なに笑ってんの?」
「江梨香ーーーー!!! 水使った泥団子つくるのはやめてーーーーー!!! 制服洗うの大変だからーーーーー!!!」
「はは、止めるために走りにいってお疲れ様」
「なんで真奈ちゃんあんなに良い子なの?」
「俺がしっかり育ててるから?」
「……真奈ママが死ぬほど良い人なんだろうね」
「……ほんとに良い人だよ」
「……」
「俺、もう絶対に人の事を裏切ったりしないって決めたから……」
「まぁ、私の時の反省を元にそう思ってるなら万々歳ですハハハ」
「……」
「……ねぇ、真奈ママは相手が私だったって事知ってるの?」
「……」
「……」
「なんか不安になってきたから電話する、俺!!」
「……は、ちょ、待てよ!」
「……えっと」
「ほんっと、頭おかしいんじゃないのあんた!?」
「……あ、うんママ? 俺……いや、あの今、江梨香ちゃんのママと一緒でさぁ……うん、うん。で。そのさぁ、前に話してたじゃん。九年間の人……うんそれ、江梨香ちゃんのママでさ……」
「……」
「え、なんでそんな爆笑してんの? ……え、いや、うん確かに、まぁそうだけどさぁ……うん。うん。いや、なんか、隠し事とか、したくなくて……うん。うん」
「……」
「椿さん、変わって! 話したいって!」
「ハァ!?」
「いいから!」
「あの~椿です~。いえ、あの、はい……なんか、いや……いえ全然……なんかすみません。今も二人で話してたんですけど、全然全然、何もないんで! ……あ、はいそうですか……はい。……はは……はい、ありがとうございます」
「真奈ママ……電話越しに『凄い奇跡!』なんて凄いげらげら笑ってたし、『もう一回殴っときます?』とか言ってたし……しかも普通に『今度家にあそびに来て』って言ってたよあの人……何ものなのほんとに……?」
「まぁ俺の五億倍くらい、苦労してる人だから……」
「……浮気、転職、借金よりすごい苦労って……」
「自伝書けるレベル」
「椿さんも、旦那にちゃんと言っとけよ」
「……うん。あーーー言いたくないーーーーー絶対、絶対泣くもん」
「それ普通。うちのママがちょっとおかしい」
「は? うちの悠馬くんは超良い人だから泣くんだよ」
「……あんた、もうお迎えこないでね。まぁ、うちのとこまた引っ越すからもうあの幼稚園行くの、あとちょっとだけなんだけど」
「うん」
「……」
「……」
「えっと、江梨香がいま年中だから……」
「なに指折って数えてるわけ」
「……ああ、そっか」
「……」
「たぶん、九年くらい前だよね」
「……えーっと、ちょっと待てよ……」
「……」
「……うん、そうですね」
「……」
「……」
「……相手、良い人?」
「うん。私なんかにはもったいないくらい」
「……そっか」
「本当にいいひとだよ。私もあんたと一緒で、悠馬くんだけは絶対裏切れない」
「うん」
「……」
「……」
「真奈ママは、良い人だよね。ママ友の中でも有名だよ」
「……うん」
「あんたにはもったいないくらい」
「俺もそう思ってる」
「……」
「……」
「椿、美咲さん……」
「なに」
「いろいろ、ほんと悪かった」
「うん」
「……」
「なにさその顔」
「……」
「……」
「もしさ、とらえもんがいたらどうする?」
「捕まえる」
「……」
「っていうかさぁ、三十代の男がなに聞いてんの急に」
「いや、もし、時間が戻れたらどうするって」
「……」
「……」
「戻っても、たぶんこうなってただろうね」
「……」
「時間が戻っても、私もあんたも人間として根本的な部分が変わるわけじゃないからね。特にあんた」
「……いまは、反省してます」
「左様でございますか」
「……」
「……」
「椿美咲が幸せそうで、よかった」
「うん。よかったよ」
「……」
「……」
「あなたさんも、よかったね」
「よかったよ」
「……」
「……」
「すごいなぁ、椿教」
「……」
「……」
「……」
「なんか、ヤバいよね」
「うん」
「ほんと、なんていうかさ」
「おう」
「……」
「……」
「こんな日が、くるんだね」
「すごいね」
「……」
「……」
「ねーーーーママぁーーーー!! お山さんできたぁぁああああーーーーー!」
「真奈もつくったーーーーーー!!!!」
「凄い、チョモランマ顔負けじゃん。やっぱうちの子天才?」
「写真撮っとこ」
「……」
「……」
「……ねぇ」
「なに? 江梨香」
「……ママも真奈ちゃんのパパも、なんでそんなに泣いてるの?」
(完)