二
[前回までのあらすじ]
転職先で引き継ぎ作業中の沢田。
一目見た同僚の谷津に淡い気持ちを抱くが…。
[登場人物紹介]
沢田 主人公。転職先で業務の引き継ぎ中。谷津に淡い気持ちを抱く
谷津 外回り担当の男性。がっしりとした体格。外に出ている時が多い
西山 退職の為、沢田に業務の引き継ぎ中
北村 退院してきたばかりの男性。中肉中背。丸っこい顔
山崎 内勤担当。北村と同じチームのムードメーカー
岩谷 北村の上司。話好き
白川 事務担当の女性。恋愛話が好き
佐渡 沢田と同じチームの女性
瀬名 海外旅行好きの男性。色黒で異国人ぽい風貌
仕事の引き継ぎが続いていた。この会社は分析業をなりわいとしており、地質や水質の検査業務を行っていた。
チームごとに社内業務と外回りの業務に別れており、僕が配属されたチームは社内での分析を担当していた。
外回り担当のチームは、顧客からの依頼を受けて土壌の採取や水の採水を行い、その分析サンプルを会社へ運搬する仕事が主だった。谷津は外回り担当のメンバーであったので、普段は朝から外に出ている日も多く、僕と顔を合わせることがない日もあるくらいだった。
分析担当の仕事は、使用する分析機器などによって幾つかのチームがあり、僕が所属するチームは、指導役の西山と僕を入れて総勢五人で、僕以外は全て女性だった。しかも、皆二十代で僕より若く、将来的には僕に自ずからチームリーダーのような立場になってもらいたいと面接時に部長から聞かされていた。
西山は、サンプルの分析方法や機器の操作方法について丁寧に教えてくれた。使ったことのない機械が多く、僕は必死でメモをとりながらついていくのがやっとで、数日間は全く余裕がなかった。他の従業員とじっくり会話をする時間もないくらいだった。
気が休まるのは昼食の時間と、たまに会う谷津の顔を見て心がほころぶ瞬間だった。
僕は椅子に腰かけた谷津の後ろ姿を遠くから眺めながら、
「あのむっちりとした体に触れてみたいな」
と、心の中で何度か思った。
中学と高校以来、僕がいいなと思う男性は、大抵がっちりとした体型や、服からはみ出るようなむっちりとした体格の持ち主だった。それは、中学生の頃に感じていたように、自分が痩せていることからくる一種の憧れなのかもしれなかった。
そんなある日、僕が西山から引き継ぎをしていると、部屋のドアを開け、戸口に作業着姿の見慣れない男が立っていた。
「入院中は、お世話になりました」
その男性はそう言いながら、お辞儀をした。
「あ。北村さーん。久しぶりー」
西山がいつもの高い声で、その男性に話しかけた。
「もう良くなったんですか?」
「はい」
二人は親しそうに話をしていた。話の内容からすると、この男性は僕が引き継ぎをしている間もずっと入院していた北村という人物のようだ。
北村光雄。従業員の出欠札がいつも赤札になっていたので気にはなっていたが、先輩からは病気で入院しているという程度しか聞いていなかったし、僕からも深く質問することはなかった。
北村は中肉中背の普通体型で、背は僕と同じくらいだろうか、やや丸顔の、クリッとした目と太い眉が印象に残った。西山と話している様子を見ると、彼は僕と違って話好きで、オープンな性格だと一目でわかる。
僕が西山の後ろから彼に向かって会釈をすると、それを見た北村は西山と会話をしながら、頷くようにして僕に軽く会釈した。
「また外回りの仕事になるんですか?」
西山が聞くと、
「いえ。今度からは、山崎さんのチームになります」
北村は、ベテランの女性社員である山崎が属するチームに配属されるようだ。
別のチームのメンバーの顔と名前は僕もまだうろ覚えであったが、山崎は人当たりが良くて面倒見も良さそうな存在だった。
その週末、駅前の繁華街で、僕の歓迎会と北村の退院祝いを兼ねた宴会が催された。
みんなに飲み物が運ばれてきて、まず社長が挨拶をした。その後、岩谷部長の「乾杯!」の掛け声に一同も続き、ビールジョッキやグラスのぶつかる音が響いた。
一応、この飲み会の主賓である僕は、社長の横に座っていた。
「沢田君。この会社の雰囲気は、どう?」
「はい。みなさん優しくてアットホームなかんじです。」
「それはよかった。分析を担当している子は、若い子が多いでしょ?」
「ええ、そうですね。」
柔らかい物腰で話す社長は、新入社員の僕にも気さくに話しかけてくれた。
もう一人の主賓である北村は、社長を挟んで僕の逆側に座り、その正面の岩谷と会話していた。
「これからはもっと体調管理しないとだめだぞ」
「はい」
北村がジョッキを片手に持ち、ぐいっと一気にビールを飲むと、
「おいおい、病み上がりなんだから、あまり飲みすぎるなよ」
岩谷にそう釘を刺されると、
「わかってますって」
そう言いながら、顔をくしゃっとさせて北村は笑った。その後も、岩谷と身振り手振りを交えながら楽しそうに談笑する北村の様子が僕の目に映った。
北村らの会話に聞き耳を立てていた僕に、
「お仕事、慣れましたか?」
と、ビールを僕のグラスに注ぎながら、隣に座っていた事務担当の白川が聞いてきた。
「あ。はい。でも、まだまだ皆さんの顔と名前を覚えるだけでも大変で。」
「何かあったら、何でも聞いてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
その優しい口調に、僕は自然と笑顔になった。
僕はこういう宴席自体は嫌いではないのだが、元々無口で、あまり自分からは話しかけないタイプだった。同じ趣味の人とは話が盛り上がったりもするが、なぜかスーッと冷める瞬間があった。そして、周囲を見渡して、みんながワイワイと楽しそうにしているのを見て自分が嬉しくなるという、変わった性格だった。
僕は周囲を見渡した。もうすぐ退職する西山は、山崎と真面目な顔で話をしていた。向こうの席では、谷津が楽しそうに女性社員と話をしていた。それを見た僕は、
「普段着姿の谷津さんも、いいな」
と思った。
僕は質問されたら答えはするが、あまり自分のことをひけらかすようなことも好きではなかった。したがって、そういう場での僕は、ほとんどの時間が近くの人の会話を聞き、うんうんと頷いていることが多かった。すると、
「沢田さんって、どんな人がタイプなんですか」
白川が聞いてきた。
独身の男性によく聞かれる類の質問だった。そういう時、僕は大抵、そのときに見ているドラマに出演中の女優の名前を言うことにしていた。
しかし、女性と結婚するという選択肢は今の自分の中にはほとんどないことも自覚していた。僕が答えると、
「そうなんですか。じゃあ綺麗な感じの人がいいんですね」
僕と同じチームの佐渡が横から会話に入って来た。
「瀬名さんは、どんな人がいいんですか」
白川と佐渡は、僕の答えを聞くと、近くに座っている他の男性にも同じ質問をしていた。瀬名は背が高く色黒で、異国人のような顔立ちをしており、女性からはモテそうに思えた。
「俺っすか。俺は、うーん。清楚な人ですかね」
少し考えながら、瀬名が答えた。
「清楚ですか。この会社だと、誰ですかね」
「そうですねえ」
彼らの会話は続いていた。僕はこういう場で毎回のように聞かれるこの手の質問には、ややうんざりした感じがあった。学生の頃からも、友人らがしていた恋愛の話に、僕は上辺だけ話を合せてきた。偽りの自分を演じることに、すっかり慣れきっていた。ただ、それと同時に、本当の自分をさらけ出せない息の詰まる思いも感じていた。
「それよりも、外国人の女性の方が好きなんじゃないの?また旅行に行くんでしょ?」
「はい。来月、インドに行くんです」
「嘘。誰と?」
「一人で、ですよ」
海外旅行などしたこともなかった僕は、一人でインド旅行など、想像もできなかった。話を聞いていると、瀬名は、長期の休みにはよく一人で海外に旅行するようだ。それも、もっぱらアジアや中東に行くそうだ。なるほどそう言われれば、彼の顔はそういう系統の顔に近いなと思いながら、僕は聞いていた。
「でも、この会社って、独身の男性が多いですよね」
「そうよね。二十代と三十代の人がほとんどだけど、浮いた噂も聞かないよね。みんな、つき合ってる人がいるのを秘密にしてるのかな」
「結婚してるのって、塚田さんでしょ、坂下さんでしょ、あとは、谷津さんと……」
ずっと話を聞いていた僕は、女性二人の会話に反応した。
「え。谷津さんも結婚してるんですか?」
「そうですよ。お子さんも二人おられたかな。なんで?」
「いえ。別に」
僕は少しショックだった。僕より年下で、しかも僕がいいなと密かに想いを寄せている男性がすでに結婚して子供がいたとは。あわよくば、彼といい仲になれたら……。他人と交際をしたこともない僕が、この会社に来てから抱いていた一方的な淡い期待は、その瞬間、脆くも崩れ去ってしまった。




