Ⅴ
女王様毒殺を企てたのは、他ならぬ女王様の弟でした。彼は、女王様を殺し、お姫様を女王様にして、お姫様を意のままに操ることで、男児であったというだけで得られなかった王位を得ようとしたのです。女王様の弟は、男の子に忠誠を誓っている二人の騎士に共謀を持ちかけました。男の子をいじめる女王様を放っておけないと、殺すことで、男の子を解放しようと、最もらしい誘いをかけてきたのです。
男の子に、女王様殺害の相談を持ちかけられたので、二人の騎士は、男の子に女王様の弟に持ちかけられた計画の全てを語りました。その上で男の子は承諾し、二人の騎士に女王様の弟に引き受けることを伝えるよう頼みました。
真夜中、魔導機灯の光も届かない裏路地で、二人の騎士は女王様の弟と密会しました。契約をしたのです。女王様の毒殺は、そばに寄っても不審がられない男の子が実行する代わりに、男の子と二人の騎士の神様の国への亡命の手助けをすること、毒殺犯は隠し通すかでっちあげること。そして、お姫様を女王に即位させること。
二人の騎士には彼の真意も見え見えでしたし、彼も見透かされていることには気付いている筈です。お互い心中を見透かした上で、敢えて見ないふりをしての、同意でした。
実行は明後日になりました。ちょうど女王様の生誕祝宴があり、そこには男の子も同席できます。
女王様の弟と別れ、二人の騎士は寄宿舎の自室に窓から帰りました。夜も更けて消灯時間もとっくに過ぎています。実直な騎士は、その実直さ故に、苦虫を噛み潰したような顔をしていました。
「よりによって、王子にやって頂かなければならないのか」
「仕方ないさ。俺たちは会場にさえ入れない」
陽気な騎士は、女王様の弟から受け取った毒薬の瓶を眺めながら、諦めたように溜息をつきます。
「その残酷さが、あの世界では普通なんだろうな……」陽気な騎士はどこか他人事のように、虚ろな目で呟きました。毒薬の瓶を月に透かして揺らします。綺麗な青色です。「きったないよなぁ」
「それ、手を滑らせてこぼすなよ」
「誰がするかよ」
実直な騎士を鼻で笑った後、陽気な騎士は枕元の台に毒薬の瓶を丁寧に置くと、いきなりベッドの敷き布団を剥がして、隠していた雑誌を出しました。露出の過剰な女性達が最新型の魔導機で印刷された、刺激の強い雑誌を、さもつまらなそうに、実直な騎士に投げつけます。
「いらないんだが」
「それ、やっぱり燃やしといてくれ」
陽気な騎士はその言葉を最後に頭から布団を被りました。月明かりに照らされて、女性の艶めかしい肌が見えます。実直な騎士は怪訝そうに眉を顰めて、陽気な騎士のベッドに投げ返しました。
「……明日、騎士学校に行くぞ。孤児院に迷惑はかけられない。卒業者名簿の名前を消してこよう」
「そうだな。明後日で、ぜーんぶ、お別れになるんだしな」
――――
生誕祝宴の開会式で、お姫様はワイングラスを、男の子はぶどう酒を、女王様に持っていきます。女王様がそれを飲み干すのが、祝宴開始の合図なのです。広い祝宴会場には既に、いくつもの円卓と豪華な料理、貴族や名高い軍人達が揃い、一段高い舞台には女王様が王座に腰掛けていました。薄暗い舞台袖で、舞台の方を覗き込みながら緊張しているのは、ワイングラスを持ったお姫様です。下がった眉尻は、お姫様の不安を言わずと語っていました。そんなお姫様の肩に、男の子は手を置きます。お姫様は肩を震わせた後、男の子の顔を見て安心したように笑みを漏らしました。
「……ん、シャルロット」
「何でしょうか、お兄様」
「ワイングラスに手垢が……その、汚いから、拭こう」
お姫様は不思議そうにワイングラスを注視しましたが、こうも薄暗いとよく判りません。きっと、暗所でも目の効く男の子には見えたのでしょう。お姫様がワイングラスを差し出し、男の子がぶどう酒の瓶を差し出し、互いに受け取り合いました。男の子は空いた方の手で、白いハンカチーフを出して、ワイングラスを磨きました。丁寧に、丁寧に、ぶどう酒を湛え、口を付ける、内側には特に気を付けて拭きました。これで大丈夫、と、再び持ち物をお姫様と交換し合います。浮かんだ笑みの正体が殺意だなんて、お姫様はこれっぽっちも気付きません。
司会の男の声がして、お姫様と男の子は舞台に上がりました。薄暗さに慣れた目が、華やかな会場にはすぐに馴染めず、少し眩しくて、お姫様は目を細めました。しっかりと目を開ける頃には、既に女王様の前に着いていました。
女王様の前で、お姫様と男の子はお辞儀をします。そして、向かい合って膝を着きました。お姫様が差し出したワイングラスに、男の子がぶどう酒を注ぎます。奥深い赤紫が、昼間みたいに明るい魔導機灯に照らされてきらきらと輝きました。注ぎ終えると、男の子はぶどう酒の瓶を横に置いて、少し下がりました。お姫様が女王様にぶどう酒の注がれたワイングラスを献上し、女王様がそれを受け取ります。お姫様と男の子は立ち上がり、再びお辞儀をして、舞台袖に引き上げます。お姫様と男の子が舞台から見えなくなると、女王様はワイングラスを呷りました。
「わたしも、将来は、あそこに……」舞台袖から舞台上の女王様に見とれて、お姫様が呟きます。何か思いついたらしく、くるりと男の子を振り返りました。「ねえ、お兄様、わたしが女王様になったら、お兄様が――」
「それは出来ない」
お姫様は不思議そうに目を丸くしました。驚きの余り、続く言葉を失ってしまいました。何故なら、男の子のすぐ後ろに、ここにいるはずのない――そもそも入場許可も出されていないはずのない――下級の騎士が二人、並んでいたからです。帯刀御法度なこの平和な祝宴で、二人揃いも揃って腰に剣を下げ、あまつさえ男の子の太刀まで持って。
男の子は、実直な騎士から太刀を受け取り、お姫様に体を向けました。真っ直ぐにお姫様の顔を見つめる男の子は、淋しさと悲しさを感じさせる、無感情な顔をしていました。
「俺はきっとこの国に戻ってこない。たぶん駄目だろう」
言葉の意味が理解できなくて、お姫様はすぐに返事をすることも出来ませんでした。でも、その返事はすぐでなければ、男の子には届かなかったのです。
男の子が目を見開き、口角をつり上げました。お姫様が男の子の名前を呼ぶ刹那。がしゃあん。ガラスの割れる音。振り返るお姫様。光の中で痙攣する女王様。男の子の手をとった二人の騎士。駆け出す男の子。振り返るお姫様。男の子の背中。空を切った手。遠くなる背中。届かない腕。遠くなる足音。届かなかった言葉。遠くなる理想郷。耳をつんざく悲鳴。大衆の絶叫。
誰も、お姫様の慟哭を見つけることはありませんでした。
「王子、つらくはありませんか!」
「疲れたら、このサイモンが王子をおぶりますので、ご遠慮せず!」
「まだまだ、だいじょうぶだ!」
男の子と二人の騎士は、既に王城を抜け、夜の街路を駆け抜けていました。魔導機灯を頼りに、逃走を続けます。しかし、神様の子とは言え、男の子もまだ十です。走り続けた疲労が祟ったのか、男の子はつまづいて転んでしまいました。二人の騎士は男の子をすぐに助け起こし、建物と建物の間に身を隠しました。
「そもそも、エリック様は俺たちの身の安全を保障してくださったんです。無理をしてまで急ぐことは……」
真っ暗だった壁と壁の隙間が、一瞬にして明るくなりました。実直な騎士がマントで男の子を隠します。陽気な騎士は光源の方を見ました。懐中魔導機灯。そして、今二人の騎士が着ているものと同じ服。王城護衛の騎士団の服です。陽気な騎士が驚いて目を丸くしていると、相手の騎士の男も目を丸くして、小刻みに震えていました。
「アンドリュー・アタラクシアに、サイモン・アパテイア……! 何の真似だ……!」
「はは、いえ、その王子が、夜空をご覧になりたいと仰ったので」
陽気な騎士が笑うと、実直な騎士が立ち上がります。小脇には男の子を抱えています。陽気な騎士は彼の行動が理解できず、は、と声を漏らしました。答は騎士が叫びました。
「大逆の罪人を発見した! 恥ずべきことに、我らが騎士団の者も共にいる!」陽気な騎士の顔が見る見るうちに青ざめ、見開いた目が、細い肩が、わなわなと震えを始めました。「アンドリュー・アタラクシアとサイモン・アパテイアだ!」
騎士がそう叫んだ瞬間です。実直な騎士は建物の陰を飛び出しました。小さな男の子を脇に抱えて。陽気な騎士も続きます。彼らの足下は照らされています。後ろから照らされているのです。既に後ろに回り込まれていたのです。実直な騎士はただ前だけを向いて全力で駆けました。その後ろを陽気な騎士が追いかけます。振り返ります。元は仲間だった者たちが追いかけてきています。陽気な騎士の体を悪寒が走りました。恐怖が這い上がってきます。
「どういうことだ! エリック様が、エリック様が適当に収めてくださるんじゃなかったのか!」
陽気な騎士は情けない声を張り上げます。
「バカ! 俺たちは騙されたんだよ!」実直な騎士が怒鳴ります。「初めから、俺たちを庇うつもりなどなかったんだ……!」
実直な騎士は奥歯を噛み締めます。男の子が今にも泣きそうな顔をしています。実直な騎士は、そんな男の子の顔を見てしまいました。罪悪感のような暗いものが実直な騎士の心を襲い、喰い荒らします。実直な騎士の心はぐちゃぐちゃになります。残った破片は、とてもつややかなものでした。実直な騎士は全力で走っています。息一つ切らしていません。男の子の顔を見て、ひどく安らかな微笑みを浮かべました。男の子が不思議そうに目を丸くしました。実直な騎士は男の子の疑問に目もくれません。いきなり方向転換すると陽気な騎士を肩に抱き上げます。そして、大きく跳躍しました。家屋の屋根に軽々と飛び乗り、飛び越え、追っ手との距離を僅かに開きます。
右腕に男の子を、左肩に陽気な騎士を抱えて、ある一つの屋根の上で、実直な騎士は立ち止まりました。夜風が冷たく、髪と服を揺らします。
「アンドリュー、カルトまでの道は覚えてるな……?」
「は、な、なに言って、」
「…………察しろ」
陽気な騎士の質問を遮るように、実直な騎士は屋根の上から飛び降りました。華麗に着地をします。陽気な騎士を落とし、男の子を下ろすと、実直な騎士は男の子にひざまずきました。
「……大変恐れ多いことではございますが、このサイモンは、王子やクレハ様と同じく、×人でございます」
「今はそんなことをしてる場合じゃ――」
「×の父と人の母によって、人より丈夫で強い体を授かっています。脳と胸さえ貫かれなければ、人間向けに用意されたいかなる刑にも耐えうるでしょう」
「…………サイモン……?」
男の子が顔を驚愕に染めました。陽気な騎士は呆然と立ち尽くすだけです。三つの影を、灯りが照らし出しました。
「貴方のお手を私から離すことになってしまって、大変申し訳ございません」
男の子が実直な騎士の発言の意図を理解する頃には、既に彼は立ち上がって、男の子に背を向けていました。駆け出そうとする男の子を抱え上げたのは、陽気な騎士です。
「実のお子であり、神の御子でもあらせられるクリス様を蔑ろにする人面獣心の悪徳女王ジュリアを誅したのは、このサイモンである! 罰したくば罰すが良い! 今に汝に神の裁きが下らん!」
「構わん! 我らが騎士団の面汚しを捕らえろ!」
砕けそうなほど歯を噛み締めて。見えなくなってしまいそうなほど涙を溜めて。死んでしまいそうなほど心を殺して。陽気な騎士は、地面を蹴りました。
「サイモン! サイモン!」実直な騎士は、押し倒されて、髪を捕まれて、もみくちゃにされて。男の子から、やがて彼は見えなくなりました。男の子は無我夢中で泣き叫びます。「俺が転ばないよう両の手を握るって言ったのに! お前がいなくなったら、俺は転んでしまう!」
届くかも分からないのに、男の子はただただ、叫びました。怒りに似て、完全に非なる想いを、吐き出すように。
「この、無責任者っ!」
陽気な騎士は、涙をぼろぼろ落としながら、ただただ走りました。日常の一つになっていた親友に託されたものを、大事に大事に、抱えながら。
――――
「マシュー様、クリス様とアンドリューが来ました。来ると同時に倒れたので、スタテイラに言って休ませましたが」
神様の国、神様の居城。紫色の塔の最上階の下の階にある、神様の寝室。長身の軍人が魔導機灯をつけると、ベッドで寝転がっていたらしい神様はむくりと起き上がりました。寝ていたにしては意識がはっきりしているので、恐らく、目覚めてはいたのでしょう。頭を掻きながら、長身の軍人を見やります。
「……はぁ? 何でまた……」
「インジェリットの女王が毒殺されたそうです。真偽はともかく、犯人は」
長身の軍人は途中で言葉を切りました。神様はその先に続く言葉を、既に察していたからです。ショックに目を見開いた神様は、少しして、悲しげに俯きました。
「……そうか、ジュリアが、殺されたか」
長身の軍人からは、垂れた髪で神様の顔を確認することは出来ません。しかし、彼には分かりました。神様は、笑っています。気持ちが悪いほどの、歪みに歪んだ笑みを、浮かべています。
「フッ……ヒヒ……ヒヒヒッ……」神様は顔を上げました。長身の軍人が思い描いていた通りの笑顔を、神様は浮かべていました。「ジュリアのいないインジェリットなんて恐れるに足らねえ! これで、インジェリットの軍事力はカルトのモンだ! 俺のモンだ!」
一国の女王を騙し、実の子供を利用し、実の母親を殺させた神様。神には到底ほど遠い、悪魔のような男が浮かべるにはとても似合わない、無邪気な、少年のような笑みでした。ベッドから飛び降りた神様は、腕をいっぱいに広げ、感動にうち震えています。
「これで……これでやっと! 俺を落としやがったあの兄貴を……! 俺を追放しやがった、あの竜の国を……! 徹底的に潰すための、力が揃ったぞ!」
長身の軍人は、顔色一つ変えずに応答をします。こんなのは既に慣れたものでした。
「神様、とは、よく言ったものです」神様のその素顔を知る、数少ない人である長身の軍人は、今の神様の興奮した様子を見て、鼻で笑いました。神様を名乗るその男にも、神様を崇める国民たちにも、彼に付き従う自分にも。「あんなに野蛮だと人間に忌み嫌われる、竜の御身でありながら」
長身の軍人の憎まれ口にも、神様……否、緑の竜は、得意げに口の片端をつり上げました。
「力は手に入れた。後は、手駒だ、クレハ」
「まだ何か壊すおつもりですか。『神様の許し』とかいうので、クリス様を壊しただけでは飽き足らず」
「念には念を入れて。用意周到と言ってくれ」
「貴方は、本当に外道ですね」
長身の軍人の苦笑。緑の竜は、歯を見せました。
「当たり前だろ。俺は神様なんかじゃあねえんだよ」
――――
後日。女王様の国に、新しい女王様が即位しました。まだ十にも満たない、幼い女王様です。幼い女王様の名で、王城前広場では公開処刑が行われることになっています。処刑には似合わぬ、清々しい快晴が、大罪人の足下に広がっていました。
手首と足首を十字架に打ちつけられ、足を天に、頭を地に向けて固定されたその男は、元は名誉ある騎士団員でした。逆さまになった彼のとがった耳を、髪は隠すことが出来ず、とがった耳が大衆に晒されています。神様によって、とがった耳を持つ者……竜は野蛮で残忍な者たちと知らされていた人間たちには、彼が女王様を毒殺したというのは疑いようのない事実に映ります。だからこそあの男は、彼をこの刑に処したのでしょう。
体の丈夫なことを誇っていた彼でしたが、もう見物人の顔さえ定かではありません。友の名も、主の名も、神の名も、発することなど出来はしません。友は聡いが非常事態にめっぽう弱く、まだまだ情けなくて、目が離せないと、嘆いていたところでした。男の子に笑いかけたときには、あんなに、無念も後悔もなく、清々しい気持ちだったのに、彼の心の中には、やり残したことばかりがぐるぐると巡り続けました。
しかし、それらともやがてお別れでしょう。彼は諦めて、目を閉じました。
と、そんな広場を一陣の風が駆けました。太陽を隠す飛行物体が、広場に影を落とします。ざわめきに彼は目を開きましたが、殆ど何も見えませんでした。その代わりに響いたのは、聞き慣れた友の声。
「神が仰せになっている! 女王の死は、神による当然の裁きであった! その男に、命で購う罪などありはしない!」
彼の目はもう何も映してはくれませんでしたが、彼の耳は、声とざわめきだけは脳に届けてくれました。竜だ、とか、おおきい、だとか、そういう声は拾えました。
『かみさまの、ゆるし』
彼は心の中で呟きました。きっと、男の子が受け取ったそれによって、神様と、友が迎えに来てくれたのでしょう。無念と後悔でいっぱいな彼を、見かねて。
「サイモン! 騎士なら誓いを守れ!」
家族のように育った友の声が、落ちゆく彼の意識を引きずり上げます。何かが落ちてきた音がして、彼は目を開きました。何も見えはしないのですが、ぼんやりと、深緑が見えました。
「サイモン」
それは、何度も何度も見つめた、男の子の深緑でした。
「俺の右手が、空いてる」
「ク、リス、さ……ま」
掠れる声で名前を呼んで、彼の意識は闇に落ちました。返事は、それだけで充分でした。
故郷に捨てられた王子と、故郷を捨てた王子のお話。