第2話:震える秒針、久遠のずれ
「うそだ……。そんな、まさか……」
目の前に立っていたのは、亡くなったはずの美咲だった。
白いメイド服。柔らかな微笑み。
何一つ変わらない昔のままの姿。
「み……美咲……!」
なりふり構わず抱きしめる。義父の存在なんて、もう視界から消えていた。
頬を暖かいものが伝うのが自分でもわかる。
でも、もう絶望の涙なんかじゃなかった。
「どうして……」
もう二度とこの手を離さない。絶対に。
あの時から失った感触を、確かめるように強く抱きしめた。
「こうしてほしいのですね」
穏やかな微笑み、落ち着きのある声。
美咲は少し遅れて、優しく抱きしめ返してくれた。
久しぶりの温もり、懐かしい香水の匂いが僕を包んでくれる。
目の前に本物の美咲が立っている……。
彼女を見つめながら、抱きしめていた両手を頰に添える。
冷たい感触が指先に触れた。
「……これ……は……」
「……こほん」
わざとらしい咳払いが、僕を強引に現実に引き戻した。
美咲の耳には、それまで何度も見たことのあるアクセサリーが光っていた。
見慣れないメガネもかけている。
「改めまして。本日からよろしくお願いします、ご主人様」
――
「もう分かっているとは思うが」
義父が静かに口を開く。
「娘は……いや。この子は、アンドロイドだ」
背筋が凍りつく。その一言が、さっきまでの温もりを否定していく。
「いいかな? これは君へのプレゼントではない。警告でもあるのだよ」
警告――その言葉に顔を上げた。
「国際法・人口維持法は理解しているだろう」
29歳で死刑宣告され、30歳までに子孫を残さなければ罰せられる。
死のカウントダウンと呼ばれている法律だ。
「これは君が再び人間の女性と家族を築くための、いわば『リハビリ』だ。
アンドロイドの彼女と暮らし、もう一度日常を取り戻せ。その先にしか、君の未来はない」
優しくもあり、義務じみた響き。
その言葉が、胸に突き刺さる。
義父は美咲について説明と注意事項を丁寧に話してくれた。
『リンクシステム』についてが、まず一つ目。
アンドロイドは高価な存在だ。
新車が買えるほど、と聞いたことがある。
彼女たちは常に人間を観察し、感情を記憶し、記録する。
愛されるためじゃない。
壊されないために記録し、他の個体と共有する。
「耳元のアクセサリーは、街で見かけたこともあります。でも……そのメガネは?」
「この子は特別な……試験個体でもある。君の家にいる"ソレ"のOSはいくつかな?」
義父は、部屋の隅で掃除をしていた旧式ロボット『ロック』を指差した。
「確か……1.6だと思います」
「うむ。街でよく見かける個体は大体が3.0、最新が3.1だ」
その違いがなんなのかは理解できてはいないが、頷きながら聞いていた。
「この子はまだ世間には公開していない、4.0のOSを搭載している。
耳のリンクシステム以外にもスマートグラスを追加して、より多くの情報を得られるようにしているのだよ」
二つ目の説明は、正直あまりよくわからなかった。
より人間に近付けるため……なのだろうか?
――
それから僕の生活は、ガラリと変わった。
伸びきった髪も髭も、以前のように整えた。整えてくれたのはロックだ。
鏡の中の自分をまともに見るのは、何年ぶりだろう。
二人と一体。正確には、一人と二体。
響きは奇妙だけど、とても穏やかな時間が流れて行った。
「なるほど。そうやって洗濯するのですね。了解しました!」
ロックのぎこちない動作を、見よう見まねで覚える彼女の姿は、とても愛らしい。
モノクロだった日常に、少しずつ色が戻っていく。
止まった時間が、秒針が、動き出したのを感じるほど胸が高鳴っていた。
ロックに教わりながら、楽しそうに台所に立つ美咲の姿を無意識のうちに抱きしめていた。
「どうかされましたか?」
僕を不思議そうに見つめる美咲の、スマートグラスに映る自分の姿にドキッとする。
今はどんな情報を記憶しようとしているのか。
彼女の目に映る僕は、一体どう見えているのだろう。
それでも僕の目の前には美咲がいる。それだけでよかった。
一週間、そして一月。
同じ時間を過ごしていくうちに、美咲のことをたくさん知ることが増えた。
アンドロイドとはいえ、皮膚も表情も人間と変わらないこと。
構造を限りなく人間に寄せているため、食事もとれば排泄もすること。
ある時はシーツを赤く染め、申し訳なさそうに俯く彼女の姿があった。
そして、夜になれば同じように風呂に入ることも。
ドア越しに聞こえる水音。
わずかな衣擦れ。
生々しい気配に、意識を逸らせなくなる。
「お風呂……あがりました」
メガネを外した彼女の顔に、胸がざわついた。
部屋の隅で掃除をしているロックの無機質さとは大きな違いだ。
――
ある朝。
いつものようにロックが淹れたコーヒーを飲みながら、ぼんやりギターを触っていた。
美咲が家に来てから、自然とギターを抱える時間も増えて行った。
スマートウォッチにロックからメッセージが入る。
『体温の異常上昇を確認しました。至急、かかりつけの医療機関に受診することをおすすめします』
「ん? なんのことだ? 僕はどこも悪くないけど……」
美咲が朝食を運んできてくれる。
「お口に……合いますでしょうか……?」
卵焼きと味噌汁だ。
「そういうよそよそしい話し方はやめて欲しいって言ったのに」
いつもよりかなり甘い味付けだ。
「美咲?これって――」
その瞬間、彼女がふらっと倒れかかってきた。
「……申し訳……ござい……ませ……」
顔は真っ赤で、息づかいも荒い。
「え……?」
受け止めた僕の腕の中に感じる異常な熱さに、戸惑いを隠しきれなかった。
(第2話・了)
美咲のリンクシステムは耳当て型で、この時代の一般的なアクセサリーとなってます。
他にも指輪やカチューシャなど様々なタイプがあります。
100年後の世界でもメイド服は健在です。




