第8章 気づいたもの、気づかなかったもの
聞き込みは思った以上に進んでいなかった。
正確に言えば「情報は集まったが中身がなかった」。
中庭の端、講義棟の回廊、食堂の隅。
ニーナは丁寧に声をかけて回った。
「何か、変わったことなかった?最近、気になる人とか…」
返ってくる答えはだいたい似ていた。
「うーん……」
「よく分からないけど……」
そして、やたらと名前が出てくる人物が一人いた。
「……セオ、かな」
「臨界研究室の人」
理由を聞くと決まって、歯切れが悪い。
「なんとなく怪しい」
「目が合うと、ちょっと怖い」
「何考えてるか分からないし」
ニーナは眉をひそめた。
(それだけ……?)
根拠はない。
噂話を噂話で重ねただけの評価。
それでも名前だけは何度も出てくる。
─────────────
夕方、
五人で集まった後、リアナとリコが席を外す。
ベンチに残ったのはアルス、ニーナ、ユンの三人だった。
「……セオって人」
ニーナは切り出した。
「結構名前出たの。怪しいって」
アルスは昨日のことを思い出す。
研究室の扉
感情の読めない視線
淡々とした声
「……確かに、変わってはいるよね」
ユンは腕を組んだ。
「セオか」
「知ってるの?」
二人が顔を向ける。
「変なやつとして、ちょっとした有名人だ。臨界演術の研究に異様なまでにのめり込んでいる」
「じゃあ、怪しい?」
ニーナが問う。
ユンは首を横に振った。
「分からない。詳しくは知らないんだ」
「ただ……」
少し考えてから言う。
「噂だけで疑うのは気が引けるな。この間のこともあるしな」
アルスは小さく頷いた。
自分も同じことを思っていた。
─────────────
「じゃあさ」
ニーナが言う。
「直接、見に行こう。疑うんじゃなくて、確かめるのよ」
アルスは一瞬ためらったがすぐに頷いた。
「……うん、それなら」
ユンも同意する。
「正面から行こう。変に隠れるより、その方が良いさ」
──────────
臨界研究室の前。
相変わらず無機質な扉。
文字だけが浮いて見える。
アルスがノックしようとして一瞬だけ手を止めた。
(相手に悟られないように)
自分に言い聞かせてから軽く扉を叩く。
「……入って」
中から低い声。
扉を開けるとセオが机に向かっていた。
相変わらず眼鏡。
相変わらず眠そうでもあり
覚醒しているようでもある目。
「新入生か」
視線がアルスに向く。
「また来たのか。今日は……三人か」
ユンが一歩前に出る。
「臨界演術に興味があって、見学させてもらえますか」
セオは数秒、
何かを測るように三人を見てから小さく頷いた。
「構わない。どうせ今日は誰も来ない」
──────────────
研究室の中は散らかっていた。
紙束、黒板いっぱいの式、用途不明の器具。
セオは淡々と話し始める。
「臨界演術とは何かが式の外側に出た結果だというのが僕の仮説だ…」
止まらない。
「標本が極端に少ないから情報が少ない。あったとしてもこの学園のように大昔のものだ。」
「だが発生条件を“傾向”として捉えることは可能だ。例えばーーーー」
アルスは途中から理解を諦めた。
ニーナは必死に付いていこうとしている。
ユンだけが時々頷いている。
「感情の爆発、精神的負荷。そういったものがトリガーが存在しているのか。生まれつきのものなのか。それとも未知の外的要因なのか。」
ニーナがそれとなく口を挟む。
「……最近、臨界演術が発現した例って」
セオは即答しなかった。
数秒
沈黙。
「“発現した”かどうかは不明だ」
視線が宙を泳ぐ。
「観測されていない現象は…存在しないのと同義だ」
それだけ。
アルスはそれとなく聞いてみる。
「……そういえば最近、事件があった見たいですよねー」
ニーナはアルスの棒読みに衝撃を受けた。
セオはほんの一瞬だけ眉を動かした。
「どうでもいい」
ため息。
「ただ、臨界演術をすり抜けたのか、もしくは無効化するすべがあるのか…」
臨界演術以外には興味がないようだ。
「……じゃあ」
ニーナが言う。
「何が起きたかも…分からない?」
セオは肩をすくめた。
「分からない。現場を見ていない。」
それだけだった。
───────────
研究室を出たあと、三人は回廊を歩く。
誰もすぐには口を開かない。
「……違うね」
ニーナが最初に言った。
「怪しくはあるけど事件とは関係なさそう」
ユンも頷く。
「少なくとも、今分かる範囲ではな」
アルスは少し胸を撫で下ろしていた。
優しそうでも、
不気味でも、
変わっていても、
それだけで犯人にするのは間違っている。
「……じゃあ」
ニーナが前を向く。
「振り出しね。被害者本人を知るところから」
アルスも頷く。
この学園は安全なはずだ。
だからこそ
起きた出来事がまだ理解できない。
でも、焦る必要はない。
──少なくとも今は。
アルスはそう思うことにした。
───────────
講義室は穏やかなざわめきに包まれていた。
席に着く音。
ノートを開く音。
誰かが椅子を引きずる音。
事件の噂は完全には消えていないが、授業が始まれば空気は自然と切り替わる。
それが学園だった。
黒板の前に立つ教師はゆったりとした口調で話し始める。
「今日は演術の“安定性”についてです」
チョークが軽く鳴る。
「派手な演術は見ていて楽しいですね。ですが、実際に大事なのは“続けられるかどうか”です」
数人が小さく笑う。
「一度できた、では足りません。十回、百回、同じ形で出せるか」
ニーナは頷きながらノートを取る。
(浮かせるのも、結局そこなのよね)
教師は続ける。
「調子が悪い日もあります。集中できない日もある」
「そういう時は、無理に上を目指さなくていい。安定を保つ。それだけで十分な成果です」
数人の安堵。
「演術は競争ではありません。自分のペースを知るためのものです」
鐘が鳴る。
「今日はここまで」
生徒たちは一斉に立ち上がり、談笑しながら教室を出ていった。
─────────
食堂はいつも以上に賑やかだった。
昼時。
人も多く、声も大きい。
ニーナがトレーを持ってきょろきょろすると、すぐに見つけた。
「いた!」
アルス、ユン、リコ、リアナ。
今日は全員揃っている。
「ニーナ来たよ!」
リアナが手を振る。
「講義どうだった?眠くなかった?」
アルスが聞く。
「失礼ね。ちゃんと面白かったわよ」
ニーナは腰を下ろす。
「安定性の話だったよ。派手じゃなくてもいいって」
リアナはパンを頬張りながら言った。
「私は派手な方がいいけどねー」
ユンが小さく笑う。
「俺からしたらもう少し落ち着いて欲しい」
リコがくすっと笑った。
「でも、最近の講義の雰囲気、少し変わった?」
「分かる。なんか違う気がする!」
ユンは落ち着いて否定する。
「変わってない。俺ら生徒が落ち着いてないだけ」
アルスはスープを飲みながら言う。
「確かにそうなのかもね」
リアナは机に肘をついて言った。
「なんかさ。事件とか噂とかあるけど」
一瞬だけ空気が止まりかける。
リアナはすぐ続けた。
「それでも、ここ楽しいよね」
ユンは頷いた。
「日常が続いてるなら、それでいい」
リコも小さく頷く。
「うん……」
ニーナは周囲を見回した。
笑い声。
食器の音。
談笑する生徒たち。
少ししてリコが少し身を乗り出した。
「ねえ、昨日から気になってたんだけど。アルスたちって外を旅してたんだよね?」
「うん。」
アルスは素直 に答える。
リアナの目が輝く。
「旅!? どんな感じ?」
「長くなるよ?」
アルス達はつかの間の日常を楽しむ。
────────────
その日の夜。
寮の廊下は昼とは別の静けさに包まれていた。
足音も少なく、遠くの部屋から小さな笑い声が聞こえる程度。
アルスは自室でベッドに寝転び、天井を見ていた。
今日の講義。
食堂の会話。
旅の話。
考え事をしていると、扉が軽く叩かれた。
「アルス、起きてるか」
ユンの声だった。
「うん」
アルスは起き上がり、扉を開ける。
ユンはいつも通り落ち着いた顔をしている。
「少し話せるか」
部屋に入ると、ユンは椅子に腰掛けた。
しばらく沈黙が続く。
アルスは待つ。
ユンが口を開いた。
「リアナのことだ」
「リアナ?」
「お前やニーナ、リコには分からないかもしれないが、あいつは弱ってる」
アルスは少し驚いた。
「……そうなの?」
「外から見ればいつも通りだ。明るいし、うるさいし、よく笑う。でも兄の僕から見れば丸分かりだ」
ユンは視線を落とす。
「夜あまり寝てないだろうし、食欲も少し落ちてる。笑う回数は多いが、目が笑ってない時がある」
アルスは黙って聞く。
「事件のこともある。あいつは想像力が強い。考えなくていいところまで考える」
「……」
「だから今後、犯人探しにはできるだけ参加させたくない」
はっきりした口調だった。
「可能ならあいつが居ない時に動く。リコとニーナにはもう話してある」
「そうなんだ」
「事件の話もあまり耳に入れたくない」
ユンはアルスを見る。
「協力してくれるか」
アルスは少し考えてから頷いた。
「うん。もちろん」
ユンの肩がわずかに緩む。
「助かる」
少しだけ間が空く。
アルスが言う。
「気づかなかった」
「兄の特権だ」
ユンは小さく笑う。
「気づきたくないことも見える」
部屋の中は静かだった。
外から虫の鳴く声が聞こえる。
「リアナには言うなよ?」
「分かってるよ」
ユンは立ち上がる。
「じゃあ、」
「うん」
扉が閉まる。
アルスはベッドに座ったまま、少し考えた。
リアナの明るい笑顔が浮かぶ。
(気づかなかったな)
学園は守られている。
でも心までは守れない。
そんな言葉がふとよぎるが、深く考えすぎないようにした。
明日も講義がある。
アルスは灯りを消した。
夜は静かだった。




