第52話「読みかけの本」
静かな午後だった。
ページをめくる音さえ、よく聞こえるような時間。
喫茶リセットのドアが開き、
一人の男性がゆっくりと入ってきた。
手には、一冊の文庫本。
カバーは少し擦れている。
「……コーヒーを」
「はい」
男性は席に座ると、本をテーブルに置いた。
しおりが、途中のページに挟まっている。
「それ以上、進まなくて」
コーヒーが置かれると同時に、彼は言った。
「面白くないわけじゃないんです。
むしろ、好きで」
「では、なぜ」
「終わるのが、
もったいなくて」
しおりの位置を指でなぞる。
「ここで止めておけば、
ずっと続いてる気がして」
マスターは、カップを静かに置いた。
「閉じたままでも、
物語はそこにあります」
「でも、読まなければ、
知らないままですよね」
「ええ」
男性は、少し考えた。
「昔から、
好きなものほど最後までいけないんです」
「終わりを、
受け取りたくない」
「はい」
コーヒーを一口飲む。
「……苦い」
「最後まで飲めば、
味は変わります」
男性は本を手に取り、
しおりを抜いた。
「少しだけ、
読んでみます」
ページをめくる音が、静かに響く。
数ページ。
また数ページ。
やがて、彼は本を閉じた。
「……まだ途中ですけど」
「はい」
「でも、
さっきより怖くない」
しおりを少し先のページに挟み直す。
「終わりは、
一気じゃなくていいんですね」
「少しずつで」
カップを見つめる。
「これも、
ゆっくり飲めばいいか」
「ええ」
最後の一口を、少し時間をかけて飲む。
「……ちゃんと、飲めました」
「それで十分です」
立ち上がり、本をバッグにしまう。
「また続きを読みに、
来てもいいですか」
「いつでも」
ドアが閉まり、
静かな午後が戻る。
喫茶リセットでは、
読みかけのままの物語も、
無理に終わらせることはない。




