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黒い洪水(Black flood)〜地獄の世界線へようこそ〜  作者: ライヒさん
黒い洪水年表
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史実と乖離していて意味が分からねえよと思ってる読者のための『黒い洪水年表』その1

趣味で書いているので温かい目で見守ってください。

1909年 伊藤博文暗殺未遂事件が発生、大日本帝国政府はこれをきっかけに大韓帝国を併合しようとしたが、生き残った伊藤博文からの「併合はやめろ」の一声でやめることに、当然大日本帝国政府は「併合しないなら大韓帝国はどうするんだ?」と言い、そして伊藤博文は「腐敗しきって崩壊するまで併合しない」と言う解答を得た、これに文官は「維持費がかかるし、治安も民度も低いような国家は併合したくありません!あと開発するなら東方などの開発してないな地域にしてください!」ともっともな意見をいい、なんとか納得させた。


1910年 この年は日韓併合が行われた年だが、上の通り、なんとか説得させたことで併合はされず、逆に大韓帝国の腐敗はマッハで加速した。

少数ながら優秀(?)な朝鮮人は日本に移住し、日本の文化を受容し、日本語を学び、そして帰化していった。

そして大韓帝国に愛想を尽かしたが、日本に移住するほど勇気や頭が使えない朝鮮人は満洲へ移住し、大規模な農園など作って生計を立てた。(もちろん大韓帝国の経済は垂れ流しになった)(従業員は家を捨てた漢民族)


1912年7月30日に明治天皇が崩御、崩御とともにあとを追うはずだった乃木希典は明治天皇からの遺言と迪宮裕仁殿下の説得で殉死はしなかった。


1914年 第一次世界大戦が始まったが、ドイツは史実とは違う行動を取ることになる、まずフランス国境には最低限防御できる数だげ残し、それ以外は頼りない二重帝国に代わってのセルビア侵攻、そしてロシアに全てゴリ押した。


一方日本はイギリスから参戦要請が来ない限り特需で大儲けすることになる(これにより工業も発達していく)


1915年 ロシアに全集中したドイツはモスクワとペトログラードを陥落させ、講和を行った(ブレスト=リトフスク条約)これによりロシアが大戦から離脱した。


一方日本は中華に対する「対華21カ条要求」は特需による好景気により「大陸に進出する価値あるか?」と言う声が大きくなったこともあり、そんな要求はこの世界では白紙になった。


1916年 ロシアをぶっ倒したドイツは軍隊の半分ぐらいをフランス国境、そして念の為ベルギー国境に配置、もう半分はイタリア侵攻に活用しようとした。


そしてそのドイツの行動に痺れを切らしたフランスはベルギーを経由してのドイツ侵攻を開始、宣戦布告なしの侵攻だったため、ベルギー王国王都ブリュッセルは早々に陥落。


イギリスはフランスと元々仲が悪い事もあり、いとこであるドイツ側、そしてベルギーとの同盟もあり参戦。


日本もイギリスからの参戦要請に従い、フランス領インドシナ半島へ侵攻、そしてヨーロッパにも少数ながら大日本帝国陸軍が派遣された。


1917年 ベルギーから侵攻してきたフランス軍を撃退し、フランスに逆侵攻、大規模な空爆を行い、結果ブリュッセルを奪還し、パリに入城した。

だがフランスは徹底抗戦を貫き、臨時首都をマルセイユにおいた。


このときに欧州に派遣された大日本帝国軍が「マルヌの戦い」で、フランス軍が逆侵攻してきたドイツ軍に奇襲をし、パリ陥落を阻止しようとしたが大日本帝国軍がイギリス軍を引き連れて万歳突撃を敢行したことで、ドイツ軍を追い詰めてたら突然日本軍とイギリス軍が突撃してくるという謎の状況に陥り、大混乱の末、マルヌの戦いは日本とイギリスの珍勝と言うものになった。


1918年 負け確と思ったイタリア王国は講和を行い、そしてイタリア領を通ったドイツ軍がマルセイユに進軍、フランスはドイツが突然イタリア経由で侵攻したことで大混乱に陥り、急遽フランスはマルセイユに待機していた「フランス外人部隊」を応援として派遣したが(イタリアに軍を配置せず、西部戦線に集中していたため)(国境警備隊は一応いたが最低限の数しかおらず、味方のイタリアを信用してしまった事でマルセイユは…)


1919年 マルセイユは外人部隊や国境警備隊による攻防があったがドイツ軍が物量による浸透で撃破していき、外人部隊は全て壊滅し、ドイツ軍に対して大きな被害をもたらしたが後ろの方にまだドイツ軍の応援が来たことでこの戦いで死んだ外人部隊は第一軍に被害をもたらしただけで、その後の第二軍、第三軍を止められず(第一軍は外人部隊から受けた被害で休憩)マルセイユは陥落した。


マルセイユに軍上層部がほとんどいた事で拘束され、そして前線にいたフランス軍の将軍「フィリップ・ペタン」が臨時の代表として「フランス軍の武装解除」「フランス降伏」を行い、休戦した。


1920年 ロンドンのバッキンガム宮殿にて戦勝国、敗戦国が集合し、講話が行われた。


ドイツはフランスに対して「エルザス・ロートリンゲン」の領有権、請求権の放棄、そして二度と領有しないことを条約に書くのを要求し、そして賠償金とフランス本土の割譲を要求しない代わりにフランス植民地のほとんどの割譲を要求した。

ロシアに対しては「ブレスト=リトフスク条約」の継続、そして賠償金を要求した。

イタリアにも賠償金を要求した。


イギリスはフランスに対して賠償金「100億ポンド」を要求し、フランス海軍の戦艦などの軍艦の解体を要求

ロシアとイタリアには賠償金を要求した。


日本はフランスからインドシナ半島の割譲、ロシアからは北樺太の割譲、そしてフランスとロシア、イタリアに賠償金を要求した。


二重帝国は三国に賠償金を要求。


オスマン帝国は三国に賠償金を要求し、特にイタリアにはリビアの返還を要求した。


セルビアとモンテネグロは二重帝国に併合が決定。


この要求に全て受けた敗戦国は後に国家が崩壊することになる。


バッキンガム宮殿で締結された「バッキンガム条約」は戦後に「バッキンガム体制」と呼ばれ、ドイツとイギリスの二大大国による覇権が確立された。(日本は地域大国として君臨する)


1921年 ロシアではレーニンが暗殺、共産主義は主流にはならず、サンディカリズムが主流になっていった

レーニン暗殺でロシア共産党は瓦解し、トロツキーが残党の指導者になり、スターリンは国家社会主義に鞍替えし、国家社会主義政党の指導者になった。


レーニンを暗殺したのはドイツのスパイ、ロシア帝国を破壊するのを阻止するため暗殺を命令した。(この世界の教科書では「ファーニャ・カプラン」が暗殺したと記されてる)

そしてドイツは共産主義者の粛清を敢行した。


オスマン帝国ではスルタンがムスタファ・ケマル・パシャを大宰相に指名した。


その2へ続く……



















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