1932年11月〜12月 中道左派政権の成立 ジョン・リードの選挙約束 雲南軍閥の崩壊 上明天国の成立 扶桑半島にいる朝鮮人ゼロ達成 ロシア第二帝国からやってきたウクライナ人はいい感じの模様
趣味で書いているので温かい目で見守ってください。
(情報量が凄いのでゆっくり読むのをオススメします)
1932年11月8日 この日中道左派政党『農民労働者党』『進歩党』が勝利、初代大統領に『フロイド・オルソン』(農民労働者党党首)初代副大統領に『クエンティン・ルーズベルト』(進歩党党首)が就任した。
オルソン大統領は就任後、「国旗と国歌」の制定を決定。
国旗には現在の西海岸連邦の領土をそのまま旗に載せたものと、国歌には自由の喊声(battle cry of freedom)が採用された。
1932年11月10日 アメリカ労働共和国労働総取引所会長「ジョン・リード」は新しい国旗と国歌を制定した。
新しい国旗https://www.reddit.com/r/Kaiserreich/comments/mfij9y/flag_i_made_for_the_commonwealth_of_america_in_my/?utm_medium=android_app&utm_source=share
新しい国歌「我が祖国:This Land is Your Land」
(ウディ・ガスリーがジョン・リードの依頼で10年ぐらい早くこの曲が誕生し、そして国歌となった)
そしてジョン・リードは「1935年にアメリカ労働共和国の初めてのこの国のリーダーを決める選挙を行います!」
1932年11月13日 重慶国民政府に服従してる雲南軍閥(雲南軍閥の勢力圏だった四川省と貴州省は内戦の影響で重慶国民政府が直接管理することになった)
で一貫道の指導者「張天然」率いる「上明天国軍」が蜂起!
雲南軍閥の指導者「唐継尭」などの主要人物が軒並み殺され、唐継尭を直接殺した人物に「顧品珍」「羅佩金」がいるらしい(この二人は張天然率いる「上明天国」に従った)
(史実では顧品珍と羅佩金は1922年に亡くなったが、中国が史実以上の政治闘争に発展し内乱へ、内乱の結果(中華大戦争)列強諸国が中国を分割したことで争い合う場合じゃなくなった為、一応ではあるが雲南軍閥に従った、だが上明天国が蜂起したことで二人は「これは好機だ」と思い、まず指導者の唐継尭を惨殺、雲南軍閥の主要人物を殺しまくった事で雲南軍閥は崩壊、結果は下の通り)
そして雲南軍閥は壊滅し、「上明天国」が建国された。
1932年11月14日 旧雲南軍閥に所属していた胡若愚 (雲南)、竜雲が従った事で、旧雲南軍の一部が上明天国軍に合流していった。
上明天国軍の最高司令官はもちろん「張天然」
そして上明天国大将軍に「方志敏」
従った将軍は「顧品珍」「羅佩金」「胡若愚 (雲南)」「竜雲」
上明天国の建国された経緯
張天然は中国が列強諸国に分割され、新しく建国された「大清帝国」が自分が見た昔の清より腐敗したことに愛想を尽かしており、天命を奉ずるに足りないと見なしていた。
そこで清より良い国を見つけるため中国各地を転々、最終的に(当時)広東共和国の雲南に住むことになった。
そして広東共和国が中華合衆国に併合された事で今度は中華合衆国の腐敗を張天然は目撃、そして中華合衆国が張天然率いる「一貫道」を弾圧してきたために、雲南の山々でゲリラ戦闘を続けた。
そんなゲリラをやってたとき中華合衆国を作ったアメリカ合衆国が崩壊し、その影響が中華合衆国に波及し、国民党左派の「汪兆銘」がクーデターを起こし「南京国民政府」を成立させ、そして重慶に逃げた旧中華合衆国の指導者「蒋介石」は重慶国民政府を作り、南京国民政府に対抗した。
内戦になった旧中華合衆国は南京国民政府側が有利に進め、結果は停戦となった。
このことに独裁者に戦ってほしい張天然は汪兆銘に「会いたい」と返事をした。
相手からの返信は「わかった何処で会う?」の返事だった。
(雲南でゲリラをやってることは汪兆銘も南京国民政府も知っていたため何か繋がりがあれば話したかったので会うことにした)
汪兆銘と会った張天然だったが、そこで三度目の目撃をした。それは汪兆銘から「儒教思想(中華思想)を我々は廃絶する」と言うものだった。
一貫道は儒教の思想を取り込む新興宗教であり、その儒教を廃絶すると聴いた張天然は冷静ながら落ち着いて「儒教思想(中華思想)を廃絶すると?」と聞いた。
相手からの答えは「廃絶と言うと全部に聞こえるかもしれませんが『一部を廃絶』するですよ」
「い、一部?」
「ええ、『我々が崇高なる民族であり、我々以外の民族は我々に服属するべきだ』を廃絶するです」
それを聴いて張天然は怒った「あ、あなたは何という事を言ってんですか!我々中華民族にとって儒教と言うのは……」と続きを話そうとした張天然だったが、汪兆銘と目が合ったときゾッとし、後退りした。
汪兆銘は張天然に言った「儒教が中華民族に良い影響を及ぼしたのはわかる、だがその儒教のお陰でこの国!この中国はあらゆる意味で混沌に突き進んだ!そんなものをまだしがみつく気が!我々は新たなる思想を作る!日本が儒教思想の良い部分だけを受け継いで日本独自のものを作ったように!我々も作る!だがその新たなる思想に真っ向から反対するなら我が国に来るな!そして出ていけ!そんなに中華思想が好きで!我々が嫌いなら中華思想の国へ行け!そんなこともできるやつではないならお前の一貫道はただの戯れ言と言うことになる!で返事は!?」
張天然は「一貫道を侮辱したのは許さん!わかった!ここから出て行けば良いんだな!なら出ていく!」と言い、雲南へ戻っていった。
結果は重慶国民政府と南京国民政府と敵対することになり、色々と面倒臭い状態になった。
そして張天然はある真理に到達した「新しく生まれ変わった清も天命ではなく、中華合衆国も天命ではなかった、そして天命だと思った南京国民政府は儒教思想の廃絶を目指してると聴き、我々の一貫道と相反する新たなる思想を作ろうとしていた」
『なれば我々が天命を目指せばいい』
そうゆう真理に到達し、「上明天国」を建国した。
1932年11月16日 雲南軍閥の指導者「唐継尭」の弟「唐継虞」と唐継尭の息子「唐筱蓂」が重慶に命からがら亡命。
これを聴いた蒋介石はテーブルを叩き!ドン!「雲南軍閥の上層部が丸ごと全部消し飛んだだとぉ!?」そして一部敵側に寝返った将軍、兵士がいると聴くとさっきとは打って変わって冷静にこう言った「そいつらの家族がここにいるなら処刑しろ!いないなら将軍と兵士を指名手配しろ!兵士は指名手配してもあんま意味がねぇから見つけたらいいので殺せ!将軍はここに連れてこい!何時間何日何年でもいい!私は待つ!………………………なに突っ立ってるだ!行けぇ野郎ども!」
「ハ、ハ!」
1932年11月18日 上明天国は内閣発足させた。
上明天国
首都 昆明
国家元首 張天然祖師
首班 孫慧明
政体 神権政治(一応寡頭制を採用してるが独裁制)
経済状態 あると思うか?
国民感情 上明天国万歳!一貫道万歳!祖師万歳!
民族 漢民族を主体とし、あとは少数民族
言語 漢語(中国語)共通言語「英語」
人口 国勢調査中で不明
常備軍 10万人
限界動員数 100万人
祖師 張天然
首班 孫慧明
内務大臣 竜雲
財務大臣 繆雲台
司法大臣 張天然
国土大臣 胡若愚 (雲南)
監査院長 竜雲
天国軍部大臣兼大将軍 方志敏
北部方面軍司令官 顧品珍
北部方面軍副司令官 羅佩金
1932年11月26日 重慶国民政府は南京国民政府と最近戦争してたこともあり展開に遅れ、この日に攻撃することになった。
上明天国軍は方志敏、顧品珍、羅佩金の三人
(方志敏は史実では初期の中国共産党の指導者だったが、ロシア革命の失敗による共産主義の衰退によって早々にその思想を捨てた、その後不幸が大量に重なった事で精神的にヤバイ状況となった、だが張天然によって助けられ、この世界では張天然のための軍隊を創設させた)
(顧品珍は史実では敗死したが、中国が身内で争う場合じゃなくなったことで史実で起きた内乱は政治闘争ぐらいに治まった、だがそれが仇になり大規模な国家社会主義者、共産主義者の蜂起が起き、そこを付け込まれ分断された)
(羅佩金は史実では顧品珍に従った事で処刑されたが、この世界では史実と同じく顧品珍に従ったが中国分断で宗主国から「反乱起こすな!起こしたらこれだ」(チャカを見せながら)と言われたことで「殺されるよりマシだ」と思い渋々顧品珍とともに唐継尭に服属したが、上明天国軍の蜂起によりチャンスと思い、顧品珍とともに唐継尭を殺し、そして今度は上明天国に従った)
そして南京国民政府は初代副総統をやった「李宗仁」を送った。
1932年12月6日 この日は朝鮮人が扶桑半島からゼロになった日である、ゼロになった朝鮮人の代わりとしてウクライナ人がどんどん入植してきた(北朝鮮の山間部など人口密度が低い地域にどんどん入植させていった)
ロシア第二帝国に行った朝鮮人は使い潰され、蒙古では朝鮮人にとっては嫌な納税(?)、安住の地と思われた朝天国は血に汚れていた。
ところ変わってウクライナ人は本当の意味での安住の地を手に入れた。
1932年12月15日 入植してきたウクライナ人の街ができた、名前は「白頭市」白頭山近くの山をいい感じに(?)削ってできた街
日本のテレビ放送とラジオ放送での緊急速報
臨時ニュースお届けします。臨時ニュースをお届けします。
たった今から衝撃な出来事を報告します。
「尾崎行雄内閣は1933年の年期満了で持って解散をします!」
あとに「予告解散」と呼ばれた
(その後の政権は予告解散をするようになっていった)




