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黒い洪水(Black flood)〜地獄の世界線へようこそ〜  作者: ライヒさん
1932年 混沌の中で起きる変化
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1932年9月〜10月 黒人の反乱 武漢停戦協定 マンネルヘイム線突破 アブデュルメジト2世暗殺 アルメニア人追放 日本金融強化 アラビア連邦の崩壊 アメリカ連合国の分裂 イェニチェリの復活

趣味で書いているので温かい目で見守ってください。

(情報量が凄いのでゆっくり読むのをオススメします)

1932年9月2日 アメリカ連合国で黒人中心とする「黒人の反乱」が発生(白人も一部含む)

反乱勢力は「アメリカ統一戦線」を結成、アメリカ連合国に打倒を目指した。


1932年9月4日 オスマン帝国軍がシリアとイラクの反乱を鎮圧。


1932年9月5日 南京国民政府と重慶国民政府が武漢にて停戦協定を締結、戦争は停戦した。だが両軍の小競り合いは戦争が停戦後続いていった。


1932年9月8日 フィンランドのマンネルヘイム線がついに突破され、フィンランド軍含む連合軍は「ヴァーリマー・ラッペーンランタ線(略称は『VL線』)」と「カヤーニ・ヌルメス線(略称は『KN線』)」へ撤退。

フィンランド北部はゲリラ戦による圧倒的嫌がらせ、奇襲、物資強奪を行った。

そしてフィンランド政府は国民に対して「疎開」を命令、フィンランド北部の村々は『オウル』に疎開、フィンランド南部の村々は『ヘルシンキ』『タンペレ』『トゥルク』そして要塞化が進んでいる『オーランド諸島』に疎開が決定した。


突破された原因としては単一国軍が作った対歩兵用兵器「オグニゴ」が原因と思われる。

オグニゴはアイ○ンハー○ストにでるロ○ヴィ○トの兵器「SHM-56 Ognivo」とほぼ一緒であり、装甲が堅い。

ドイツの二足歩行戦車は単一国軍の火力集中により撃破が多発しており、そしてそれにより少なくなった二足歩行戦車に大量のオグニゴを投入!

単一国軍の火力支援もあり、マンネルハイム線はオグニゴの登場、単一国軍の火力集中により突破されてしまった。


1932年9月14日 オスマン帝国第37代皇帝アブデュルメジト2世が帝都イスタンブールで行われていた式典で暗殺される!

犯人はアルメニア人の青年で、アルメニア人虐殺でトルコを恨んでいた。

本来はアブデュルメジト2世と一緒にいたムスタファ・ケマル・パシャを狙っていたが、守られるはずのアブデュルメジト2世がムスタファ・ケマル・パシャを守ったことでムスタファ・ケマル・パシャは生きながらえ、そしてアブデュルメジト2世は亡くなった。

アブデュルメジト2世は死ぬ間際にムスタファ・ケマル・パシャに「……大宰相よ…このオスマン…トルコ…の…事……頼…ん…だ…ぞ」と言ったという。


1932年9月15日 オスマン帝国は狂気と化す、皇帝の暗殺で、ムスタファ・ケマル・パシャはアルメニア人を虐殺…をするところだったが大日本帝国の外交官がムスタファ・ケマル・パシャと会談し、「追放処分」に下げられた。

そしてオスマン帝国のムスリムたちも暗殺を行ったアルメニア人に対して多くの憎しみを持つことになる。(イラク人といった非トルコのムスリムたちはオスマン帝国の支配に不満を持っていたが皇帝にしてカリフだったアブデュルメジト2世が暗殺されたことでそんなことで不満を持つ場合じゃなくなり、キリスト教徒に対する憎しみが一層深くなった)


1932年9月16日 追放処分になったアルメニア人の多くはオスマン帝国から強制的に追い出され、キリスト教徒を多数派とする国家に亡命するなどしていったが、その中にはキリスト教徒ではないがアルメニア人を多く受け入れる国家が現れた、そうそれはアルメニア人を虐殺から追放処分にまで下げさせた「大日本帝国」である。


日本は多くのアルメニア人を能力によって選別し、高い能力を持つ者を本土へ、それ以外を扶桑半島にブチ込んだ。

アルメニア人はユダヤ人と同じく金融に明るい人が多く、日本の金融強化をどんどん進めていった。

(これにより多くのアルメニア人は日本に救われる事になる)


1932年9月20日 アラビア連邦が内部崩壊!

原因はアルメニア人の過激派組織を受け入れた事で、アラビア連邦政府に対する国民の信頼が失墜、各地で「カリフの敵を討てぇ!」など反乱が起き、アラビア連邦が占領してるイスラム教の聖地「メッカ」ではムスリムたちによる反乱によりアラビア連邦はメッカを失陥、そして首都がある「リヤド」は国民よる大規模な反乱により政府は崩壊、軍部もそれと続いて崩壊し、砂漠によって長い戦争になりそうだった「中東大戦」はアラビア連邦の内部崩壊で終わりを迎えるのだった。


1932年9月22日 アラビア連邦臨時政府はオスマン帝国に無条件降伏した。


1932年9月25日 アラビア連邦をオスマン帝国が併合。


1932年9月28日 アラビア半島にあるイギリス植民地(クウェートは除く)を日本が購入し、オスマン帝国に低価格で売却、オスマン帝国での日本の影響力が拡大する。


1932年10月2日 アメリカ統一戦線がアメリカ連合国をルイジアナ、フロリダに追放、ほとんどの領土を勝ち取ったが、あらゆる政治思想の闇鍋だったことで分裂、アメリカ連合国の領土でテネシー州とノースカロライナ州の一部がアメリカ

労働共和国に寝返り。


サウスカロライナ州とジョージア州に「アトランタ暫定政府」が成立(KKKクー・クラックス・クラン支配下の国家)

暫定指導者として「チャールズ・リンドバーグ」が就任した。

(黒人の反乱が起きた事でKKKクー・クラックス・クランも武装蜂起、まずアメリカ連合国をルイジアナ、フロリダに追い出し、その後一緒に蜂起した組織に従属を命令、拒否した組織を潰していき、サウスカロライナ州、ジョージア州にKKKクー・クラックス・クランに影響された国家を建国した)


アラバマ州にはKKKクー・クラックス・クランから離脱し『ブラックレギオン』を作った指導者「ヴァージル・エフィンガー」が「アラバマ・レギオン」を建国し、暴力によるアメリカ統一を掲げた。


アーカンソー州とミシシッピ州には反乱を起こした黒人と白人による「ディキシー共和国」を建国した。

指導者には各地を転々としていた元アメリカ合衆国大統領の「カルビン・クーリッジ」である。


1932年10月5日 アメリカ連合国を崩壊させたのは「ヒューイ・ロング」が原因だとして軍事クーデターが起き、ヒューイ・ロングはフロリダへ亡命、「アメリカ連合国正統政府」を成立させた。

軍事クーデターを起こした軍部は「ウィリアム・ダドリー・ペリー」を新たなる指導者とする「アメリカ連合国ルイジアナ政府」を成立させた。


挿絵(By みてみん)

ニューイングランドはカナダ領(亡命イギリス)


1932年10月9日 オスマン帝国政府は世俗的改革と一緒に「イェニチェリ」の復活を決定、復活理由は「スルタン(皇帝)のボディガードをするため」としている。

イェニチェリの復活には、スルタン派の軍人などをブチ込んだ事で軍部は「ケマリスト」、イェニチェリは「スルタン、カリフなど」の皇帝派となった。

(これにより対立関係となったが国を守るのは一緒な為、時には協力関係になる事があるがそれは先の話なので言わん)


1932年10月15日 「ジャコバン・テルールの再来」が開始、過激派組織などの多くはル・ソレイユにて「吊るされるか」「銃殺されるか」など事実上の公開処刑で恐怖を垂れ流した(後始末は帝国親衛隊がやる)


1932年10月20日 強制予備役になっていた牟田口廉也、花谷正などの史実では盛大にやらかした指揮官を有田官房長官から「お前らには今の職を辞めてもらう」と命令、多くの指揮官が辞めさせられ、多くは「シベリア行き」と書かれた切符を持って日本から消えた。


それとともに日本に「政治将校制度」が作られ、徹底されたシビリアンコントロールがされることになる。

(軍事に明るく、政治にも明るい人が政治将校になった)

















































































































































日本のテレビ放送とラジオ放送での緊急速報

臨時ニュースお届けします。臨時ニュースをお届けします。

たった今から衝撃な出来事を報告します。


「本日11月8日に行われた西海岸連邦第一回大統領選挙で農民労働者党と進歩党が議会の過半数を締め、初代大統領に『フロイド・オルソン』初代副大統領に『クエンティン・ルーズベルト』が就任しました!」

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― 新着の感想 ―
[一言] アメリカ内戦はアメリカ連合国の内部崩壊、単一国による大攻勢、アブデュルメジト2世の暗殺をきっかけに起こるアルメニア人の強制追放、アラビア連邦の崩壊からオスマン帝国への併合、ブルグント王国では…
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