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黒い洪水(Black flood)〜地獄の世界線へようこそ〜  作者: ライヒさん
1932年 混沌の中で起きる変化
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1932年3月〜4月 中華帝国崩壊 狂気な国家の誕生 国家と国民の為の独裁 新たなる国民政府 新たなる赤人国家 呑気なカナダ軍 ポルトガルコミューンの突如の滅亡

趣味で書いているので温かい目で見守ってください。

1932年3月2日 中華帝国初代皇帝 愛新覚羅毓嶦と中華帝国初代総統 金洋明の両方が暗殺され、そして暗殺を計画した金日成が西安にて「西安国」建国を宣言、初代国家主席に金日成が就任した。


1932年3月5日 ボリス三世は軍隊を使い、ブルガリア王国を軍事独裁政権にした後、「軍部が政治に介入するな」と前国王フェルディナンド一世は軍部の集まりで言い、政治から軍を排除、これに一部の軍人に支持されてる極右団体である「ズヴェノ」が勢力を拡大、政府内では「やはり軍部を政治から排除するのは駄目なのでは?」と言う声が出てたが、そんな事に気にしないフェルディナンド一世は自分の息子の為、そして自分の子孫の為に、ちゃんと息子から許可を取りながら行動していった。

(退位してからやる事がいっぱいになったフェルディナンド一世)


1932年3月6日 一部の旧中華帝国軍は反対し、閻錫山は大原を首都する「大原国民政府」を建国、国家主席に閻錫山が就任した。(だがその首都である大原は中華ソビエト国の占領下であり、その為早速、閻錫山は「大原奪還」を掲げ、軍隊を大原に進軍させた)(国民の不満を中華ソビエト国に向けた感じ)(臨時首都は延安)


挿絵(By みてみん)


1932年3月10日 「新たなる赤人国家」旧アラスカ準州のジュノーにてある男が現れた、その男の名前は「エルウッド・タウナー」、アメリカインディアン協会(SAI)の指導者であり、そしてこの日「亡命イギリスに独立戦争」を起こす男である。

タウナーは演説した

「白人は悪魔である!白人の支配から我々赤人は脱却し!400年と言う歳月で積み重なった恨みを!復讐をやるのだ!」

タウナーはジュノーにて新たなる国家「ベーリンジア」の建国を宣言し、白人をこのアメリカから追い出す為に行動し始めた。


1932年3月12日 ケベックとアイルランド入植者率いる民兵組織「アラスカ義勇団」は蜂起したベーリンジア軍と衝突、アラスカ義勇団はジュノー奪還、ベーリンジア軍はジュノー防衛で大規模な市街戦となった。

(ベーリンジアが首都としてるジュノーが落とされると困るベーリンジア軍は怒涛の抵抗を行い、アラスカ義勇団の損害を増加させた、そしてアラスカ義勇団は火力による集中運用でジュノーを廃墟にするぐらい打ち込み、ベーリンジア軍も損害を負った)


1932年3月15日 金日成が建国した西安国は史実の北朝鮮の主体思想とほぼ同じな主義「中華社会主義」を確立した。


1932年3月20日 ジュノーがアラスカ義勇団により奪還、結果ベーリンジア軍は北アメリカの北方に撤退することになる。

そしてベーリンジア軍はデンマーク領グリーンランドへ進駐、ヌークを首都する「グリーンランド部族国」を建国、傀儡政権を作り、ベーリンジア亡命政府を立ち上げた。


1932年3月25日 大原国民政府が大原を奪還した。

挿絵(By みてみん)

これによる中華ソビエト国の影響は

・領土失陥による支持率低下

・反体制派の行動が加熱

これにより中華ソビエト国の影響力が低下し、後々にある事が起きて悲惨なことになるがそんなの今関係ないので閑話休題それはさておき

結果中華ソビエト国は弱体化した。それだけである。


1932年4月2日 アラスカ義勇団を主力とするカナダ軍がグリーンランド部族国に侵攻、アラスカ義勇団とベーリンジア亡命軍・グリーンランド軍が戦うのをカナダ軍は優雅に高みの見物をした。(おい)


1932年4月6日 サンクトペテルブルク蜂起から3ヶ月ぐらい経過、サンクトペテルブルク蜂起軍と単一国軍との戦闘はサンクトペテルブルクに大規模な市街戦を生み出した。

挿絵(By みてみん)


1932年4月10日 西安国、国家主席「金日成」は「ここに新たなる中華を創造する」と宣言した。(????????)

・国民は国家主席を讃えよ!

・この西安国こそが世界の楽園だ!

・西安の民よ!国家主席に全て捧げよ!

などなど

徹底した偶像崇拝が行われた。


1932年4月15日 フランス国家社会主義共和国が突如としてポルトガルコミューンに侵攻、電撃的な侵攻によりポルトガルコミューンは降伏した。


1932年4月20日 旧ポルトガル植民地政府がブラジル第二帝国初代皇帝ドゥアルテ・ヌノ・デ・ブラガンサを「ポルトガル王国」国王とすることを発表、これによりブラジルとポルトガルは合体し、「ポルトガル・ブラジル連合王国」が成立した。















































































































































日本のテレビ放送とラジオ放送での緊急速報

臨時ニュースお届けします。臨時ニュースをお届けします。

たった今から衝撃な出来事を報告します。

「イスタンブ-ル証券取引所が大暴落しました!」

(1925年にイスタンブールに設置された)



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― 新着の感想 ―
[一言] フェルディナンド一世は退位後が忙しいと。
[一言] 中華はさらなる混沌、北米は先住民と白人の血を血で洗う抗争、ポルトガルコミューンの滅亡で世界は混沌を深めていく。 オスマン帝国ではイスタンブール証券所の大暴落で、内戦危機に陥りそう。
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