12.結婚
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「 …は?」
目の前で告げられた言葉に、思わず言葉を失った。軽薄な笑みを浮かべた男ーーダンテ=アヴォレードが、アンナリーザの前で軽く手を振ってみせる。
「 だから、アンナリーザのおとーさんにも許可を取ったんだって。アンナリーザは今日から俺の奥さん、ね?」
「 …」
許可をとった?
アンナリーザの父、ファヴィオに?
閉じ込められている部屋の寝台から、痛みに耐えて身を起こす。
「…どういうこと?あの男が、貴方との結婚を許可したと? 」
「 そうだよ?」
「嘘をつかないで頂戴 」
ファヴィオとアンナリーザの仲がいくら悪かろうと、あの男は皇帝の忠臣なのだ。皇帝から命じられたラインフェルトとの縁談を蹴って、一介のマフィアとの結婚を認めるとは、到底思えなかった。
「 …酷いなあ、本当なのに」
ダンテは軽く笑う。首元のタイを緩め、つまらなそうに長い指先でくるくるとタイをいじる。
「おとーさんから言われたら信じるの? 」
「…ここに呼んでくださるっていうの? 」
言外に嫌味を込めて言えば、ダンテは何でもないことのように頷く。それに拍子抜けして、思わず目を瞬いた。
「いいよ?ここには呼べないけど、侯爵には会わせてあげる 」
「… 」
何を考えているのだ。まさか、本当に?あの男が、アンナリーザとマフィアとの縁談を認めたのか?
何の利がある?
この縁談で得られるものはーー武力か、それか、金だ。けれども、それを提示する必要が、なぜアヴォレード側にあるというのだ。アンナリーザを娶るためだけに、そこまでするとは思えない。
「…かーわいー 」
ダンテが歯を見せて笑い、アンナリーザの頬を掬って、猫にするみたいに顎を撫でた。
「 …やめてくださいませ」
「ごめんね? 」
「 やめて」
やめる気配のない男の指先を軽く払って、睨めつける。
「何のつもりですの? 」
「 可愛いから、撫でてみただけだよ」
「 そういうことではなくーー」
「 じゃあ、今日の夕方ね?おとーさんと会う準備、整えといてよ」
ダンテはアンナリーザの言葉を遮ってそう言うと、ひらりと手を振る。傍に控えていたディエゴに何かを告げると、そのまま退出してしまう。
(…なんなのよ、もう )
ずきり、と脇腹が痛んだ。もうずっと、気を張っていた。あの男がいなくても、ディエゴ、という入墨の男が監視するように部屋に立っているせいで、ひとかけらも休まらない。
不安と痛みはアンナリーザを静かに蝕んでいるようで、夜中に悪夢で目覚めることも多かった。
それに、置いてきたゲルダとヨハナーーほかの侍女たちの様子も心配だった。きっと、とても心配しているだろう。アンナリーザの様子を伝えたいがーー
「 …歩けますか」
いつの間にか寝台のそばにいたディエゴが、重々しく口を開く。
「 なんですの?」
「 ロレンツォ侯爵との食事会が夕刻に行われるため、その準備を。歩けないのであれば、私が抱えて運びーー」
「 歩けますわ」
「……」
冷たい口調でいえば、ディエゴは押し黙ってしまう。
「 ただいま、エルザが出払っておりまして、お着替えのお手伝いができる女性がおらずーー」
「 構いませんわ、一人で着替えますもの」
「…かしこまりました 」
しばらくして、ディエゴが赤いドレスを持ってやってくる。
血のような赤のドレスは袖付きの上品なもの。薔薇をあしらった派手な刺繍が印象的だった。
大嫌いな赤に、思わず眉をひそめる。
「 …お気に召しませんか」
「 …ラーヴァローラがフェリスディーリアを嫌うくらいには」
「 ……」
貴族の婉曲表現は伝わらなかったようで、〈大嫌いです 〉の意味の言葉に、ディエゴは困惑した様子で視線を揺らしている。
「大変申し訳ありません、その…当主が準備したものでして 」
「… 別に、これで構いませんわ」
少しだけ罪悪感を覚えて、素早く紡いだ。彼が悪いわけではない。赤なんて、赤毛のアンナリーザに映えるとか、そういう理由だろう。ダンテ=アヴォレードが選んだのなら、適当な理由かもしれないが。
ディエゴを部屋から追い出し、するり、とドレスに腕を通した。白い肌に、紅い絹が馴染むように滑っていく。
脇腹に巻かれた包帯には、血は滲んでいなかった。けれどもそこは、まだ痛みを主張するように熱を持っている。
心臓についた傷。脇腹をえぐった傷。
傷だらけの体に、自嘲が漏れた。
「 …こんな身体、大嫌いよ」
『アンナリーザ 』
母は優しかった。
誰よりも綺麗で、いつも穏やかに微笑んでいた。日向に咲く、野薔薇のようなひとだった。
『お母様のせいで、ごめんね 』
母の言葉はいつだって優しく、少しだけ寂しげな音を纏っていた。
母は、アンナリーザのために何だってしてくれた。アンナリーザを守るために。
小さく息をついて、よろめくように立ち上がった。赤いドレスがまるで血が広がっていくみたいに、絨毯を汚していく。
痛い。
いっそのこと、心臓を貫いてくれれば、もっと楽だったのに。
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『ヨハナ 』
ジュヌヴィエーヴの声が、どこか朦朧とした頭の中に響いた。もう三日ほど、休んでいなかった。靴ずれのせいで血のにじんだ足には、乱雑に包帯が巻かれている。
『ヨハナにね、お願いがあるのよ 』
ジュヌヴィエーヴは柔らかく微笑んだ。女神のように、綺麗に。
ああ、違う。
これは、ずっと昔の。ずっとずっと昔の記憶だ。
『この子が生まれたら…』
大きいお腹を抱えて、優しい笑みを浮かべていた。
大きく息を吐き出して、深い森のなかの木に手をついた。立っているのも億劫だった。白い息が、森の息吹と共鳴するように泡立って、消える。
『 どうか、ヨハナも大切にしてあげて』
ジュヌヴィエーヴの声。
反響するように、頭の中に響いた。
『この子には祝福があるわ 』
『きっと… 』
ジュヌヴィエーヴは優しい瞳をしていた。満月色の瞳を細めて、お腹を優しく撫でさすった。
『 わたくしには、この子を守ってやれないの』
ジュヌヴィエーヴは困ったように、今にも泣き出しそうな顔で、ヨハナを見上げていた。
『 だから、どうかお願いよ、ヨハナ…』
白く細い指先が、ヨハナの手のひらに、縋るように触れて。そのぬくもりを、今でも覚えている。
『 この子を、守ってやって頂戴…』
記憶が混濁して、溶けるように脳の中に消えていく。
「…当たり前です、奥様」
頬に伝った汗を、小さく拭った。
何度か息を整えると、また痛む足を引きずるように、歩き始めた。




