第12話 被害者の秘密を探ります
このホテルはマーガレット嬢の一族が経営者らしい。貴族の一族だ。それでもクリスは支配人に自分の名前を出すと、すぐにトリスタン先生の部屋に行けることになった。
ホテルのロビーから南館の一番日当たり良い部屋らしい。低層のホテルではあったが、貴族御用達といったところ。他の貴族らしき観光客も多く泊まっているらしく、チェックイン前の時間でも賑やか。アーリーチェックインで早く来ている貴族も多いという。
「ところでクリスはどこに泊まるの?」
「このホテルに決まってるだろ。俺も泊まりながら事件を調べてやるぜ」
トリスタン先生の部屋まで長廊下を歩いている。絨毯はふかふか、調度品も豪勢で、成金令嬢の私は緊張するが、クリスは堂々と大股で歩いていた。
「ちょっと、クリス。歩くのが早いわ」
「お、わかった」
訴えると、すぐにクリスは私と歩幅を合わせてくれた。クリスは脚が長く、私と歩幅が合わせにくい。かなりゆっくり目に歩いてくれているらしいが、タラント村の事件では決して見せなかった対応だ。変な気分になりそうで、慌てて事件に集中。
まずはトリスタン先生の部屋を見ないと。トリスタン先生の裏の顔、秘密、トラブル等なんでもいいので手がかりが欲しい。
そして部屋に到着し、二人揃って入る。鍵はクリスが支配人からもらったものだそうが、すでに白警団の調査済みらしい。
ざっと部屋を見る限り、手書きのメモ類などは落ちていない。
一人で使っていた部屋だそうだが、広々とし、ベッドも大きい。タラント村の事件の時はベッド下に手がかりがあった。何か落ちていないか探るが、収穫はない。
机周辺はトリスタン先生の私物がまだ残っている。食べかけの菓子類もあり、仕事もしていたのだろう。文芸誌、小説、植物図鑑なども積み上がっていた。卓上カレンダーには締め切り日にも丸がついている。仕事への意思が感じられる机だ。これは絶対にトリスタン先生は自殺ではない。
「おい、アンナ嬢。何、見ているんだよ」
「い、いえ……」
そして机の端にあるタイプライター。最新のものだ。私もタイプライターぐらい買える貯金はあったが、入手していない。
タイプライターは作家にとっては憧れの一品。いつかトリスタン先生も唸らせる傑作を書き、その原稿料でタイプライターを買うのが目標だった。夢といってもいい。
トリスタン先生のタイプライターを見ていると切ない。その夢はもう消えてしまった。確かにお金を出せばタイプライターぐらい買えるが、その過程だって大事じゃないか。思わずため息が出る。犯人への憎しみが湧き上がるから困る。それに机周辺を見ても何の手がかりもない。
「タイプライター、欲しかったわ」
ついつい呟くが、クリスは無視しなかった。小さな独り言も拾い上げ、なぜか腕を組んでドヤ顔している。いかにも性格が悪そうな顔。若き極悪経営者と呼ばれているのも、誇張表現ではない。
「タイプライターぐらい、俺が買ってやるよ」
「いいえ、けっこうです」
「仕事で必要なんだろう?」
なぜかクリスは私に迫り、壁の方まで追い詰めてくる。
「あのね、タイプライターはちゃんと印税で欲しいのよ。やめてよ、買ってくれても全く嬉しくないから。作品が認められた報酬で欲しいんだから」
至近距離のクリスを睨む。こっちの気持ちは全く知らないらしい。モノでつられるような女に思われているのか。そう思うと、下唇を噛んでしまう。
「いいや。タイプライターは俺が買ってやる」
「どうしてそこにこだわるの?」
「ふん、別にいいだろ。俺の好きなようにさせろよ。ただし、俺と結婚したらな。だったらタイプライター買ってやる」
そしてさらに私を壁際まで追い込むと、ドンと叩いた。その拍子で側の机の上にあった文芸誌や小説がバサバサと落ちた。
「うん?」
私は落ちた小説を拾い上げる。王都で流行っている恋愛小説だったが、パラパラとめくると、壁ドン、プレゼント攻撃、頭ポンポンなどイケメンヒーローの求愛が描写されていた。
「え?」
さっきまでのクリスの威勢の良さが無い。むしろ、叱られた後の子供のよう。目も泳いでいたし、顔も赤い。耳の端まで真っ赤。タラント村で突然、「俺と結婚しろ」とプロポーズして来た日を思い出す。
「ま、まさか。クリス。この恋愛小説を参考にしている?」
この恋愛小説のヒーローは強引&俺様風で、王都で女性読者達に人気があると編集部から聞いた。おまけに恋愛小説の帯には「全ての女性が夢中になる!」と書いてある。クリスがこの恋愛小説を参考にし、アプローチしてきた可能性大。通りで今まで芝居がかっていたのか。謎が解けた。
この推理はクリスに大ダメージを与えてしまった模様。その場所にしゃがみ込み、頭を抱えている。
「そ、そうだよ! 恋愛小説を参考にして悪い事か!」
子犬みたいに吠えている。実に残念な姿だ。全く怖くない。呆れてくるが、私のこの恋愛小説自体は嫌いじゃない。
「クリス、あなたも余裕ない一面があったのね……」
今まで性格悪い、口も悪い男だと思い込んでいたが、こんな余裕がない姿は人間らしい。可愛いとも言えるかもしれない。クリスが私を相手にしている理由は全くの謎だが、それを推理して見るのも悪くない?
私はしゃがみ込んでいるクリスと視線を合わせる。
「別にあなたと結婚する気はないけど、仲良くはしましょう?」
「は、アンナ嬢。どういう事さ?」
クリスは自身の前髪をかきつつ、顔を上げた。抜けた髪の毛が一本、床に落ちた。
「私はあなたのこと何も知らない。はっきりいって謎。でも、この謎を解くのも面白いかもしれない。あなたのこと、仲良くはしたいわ。この謎解きをする為に」
さっきまで余裕がなかったクリスの目。それなのに、みるみると光が戻ってきた。
「わかった。トリスタンの謎解きとも一緒にこの謎も推理しろ」
「ええ。そうするわ。たぶん、私、あなたのことは嫌いじゃないから」
またクリスは顔が赤くなっていたが、まずはトリスタン先生の事件が優先だ。他、カーペットの下、ベランダ、トイレなども手がかりがないか探るが、見事に何も出てこない。これは白警団に先越されたと思うと、全く笑えない。
「やっぱりここで潜入して、掃除のスタッフなどから聞き込みもした方がいいかしらね?」
「そうしろよ。俺もここに泊まって協力する。っていうか、潜入調査は別人になりきった方が良くないかね?」
クリスの提案はもっともだ。ただでさえアンナ・エマールは殺人犯の疑いを持たれている。アンナとしての潜入調査は難しいだろう。本格推理小説で別人になりきって調査するのは鉄板だ。ヒロインが男装し、貧困街に潜入調査するシーンも書いたことがある。
気づくと、クリスは立ち上がり、顔も赤くない。いつも通りの顔に戻り、私も推理モードにスイッチが入った。
「そうね。潜入調査しましょう。次はその準備ね?」
「ああ、そうしよう」
なぜかクリスの口元がふむふむとしていた。嫌な予感がしつつも私は頷いた。




