第8話 この村で最初の味方です
「ふう、何とか助かったわ……」
バスタブに身体を沈めながら、独り言が溢れる。庶民風の小さな風呂場だったが、清潔だし、入浴剤の香りも最高。湯加減もちょうどいい。今の私にとっては贅沢すぎる待遇だった。
あの女性は私の小説のファンだった。あれよあれよと話がまとまり、女性の家に招待され、ボロボロ状態も心配され、風呂に入っているところ。ジ・エンドになりそうだったが、どうにか首の皮が繋がった。
女性の名前はパウラ・アンドレ。元奴隷の女性で、二十五歳。あのホテルでカウンター職、その他雑用として働いているが、職場環境がきつく、転職を考えているという。元々一年前から出稼ぎとして来ていたが、待遇は悪く、毎日が大変らしい。パウラについてはこの事ぐらいしか知らないが、文壇サロンや貴族連中とは全く違う目をしており、信頼できそう。事情を話すと、しばらく家にいても良いというし、好意に甘えることにした。
パウラの家は、村の商業地区から少し離れた住宅街にある。似たようなアパートや一軒家が立ち並んでいたが、パウラが住む一軒家はこじんまりとし、赤い屋根も可愛いところ。女性一人で住むのなら、十分かもしれない。
「お風呂と着替え、ありがとう。助かったわ、パウラ」
「いえ、いんだよ。わたしこそ、推しに会えて幸せだわ」
風呂から出ると、リビングでパウラと話す。主に小説の話題ばかり。パウラは子供の頃から小説が好きで、リビングの本棚には多種多様の小説が置いてある。私の小説も置いてあり、文芸誌の切り抜きまである。思わず赤面してしまうが、恋愛小説も好きそうだ。王都で流行っている恋愛小説も抜かりなくチェックしているという。今一番人気の恋愛小説もしっかりと置いてある。
「小説っていいわよね。この国だと男尊女卑だけど、小説の世界だと、そんな事ないもの。必ず真面目でいい子が報われるから、嬉しいわ」
そう語るパウラの目。今までの苦労が滲み出ていて同情してしまう。指先も荒れているし、仕事が大変そうなのはわかる。
「そうね。ま、実際は小説も男尊女卑の文壇サロンのおじ様を相手にしたり、アンチもいるからね」
「そうなの、ひっど!」
「そうよ。この国はね……」
しばらく仕事の愚痴などでも盛り上がってしまう。気づくともう夕方だが、時間を忘れてしまったらしい。パウラが焼いたというオートミールのクッキーや紅茶も美味しく、いつまでも女子トークも弾んでしまう。
しかし私は成金令嬢でよかった。作家として仕事も持っていてよかった。これが箱入りの貴族令嬢だったら、元奴隷のパウラと仲良くなる事は難しかっただろう。そもそもこの家に入る事も躊躇したかもしれない。貴族連中のパーティーに馴染めない自分も恥じてもいたが、今はこの生まれで良かったと実感した。
「ところで、パウラ。本当にこの家で暮らしてもいいの?」
「いいわよ。タラント村の時みたいに、汚いおじさん達をざまぁと言おう!」
「なんか、私よりあなたの方が推理したいみたい」
「ええ。一緒に推理しようよ。今、どういう状況?」
女子トークをしながらパウラも元気になってきたらしい。ノートとペンを取り出しながら、状況を整理。
・被害者
トリスタン・バルべ先生。文芸評論家のおじ様。
・殺害方法
撲殺。どこかで殺され、遺体は別荘に投げ込まれた模様。
・密室トリック
鍵はトリスタンが別荘の合鍵を作っていた可能性大。つまり、容疑者はトリスタンの身近な人物なら誰でも殺せる? 本格ミステリのような複雑怪奇なトリックはなさそう……。
・動機
???
・容疑者
???
「すごい。パウラと話していたら、状況が整理できて来たわ」
「嬉しい。アンナの小説読んだけどさ、天才の名探偵が大活躍っていうより、不器用だけど、みんなと協力しながら、徐々に犯人を追い詰めていくっていう推理方法が良くない?」
「そうかもね! 私もその方がいい気がする!」
実際、タラント村の事件でもカリスタやリズ、クリスやじいやと協力しながら、犯人を追い詰められた。特定の天才じゃなくても、この謎が解けるかもしれない。そう思うと、パウラと顔を見合わせ、握手。事件解決のため、二人で共闘する事に決定。
「パウラは殺されたトリスタン先生について何か知っていない?」
「そうねぇ……。私もここに出稼ぎに来て一年ぐらいだし、よく知らないのよ。あ、でもその人、うちのホテルに滞在していたわ。たぶん、部屋は白警団が調べるはずだけど、何かわかるかも?」
「本当?」
私はノートにこう書く。被害者の名前の横に、アサリオン・クイーンホテル滞在、と。
「それに、ちょっとあの人怪しいよね。一見紳士で優しそうだったけど、一度すごいクレーム入れてきた事あるんだ」
「本当?」
「あと、その人にアンナの小説をすすめた記憶もあるんだよね。よく覚えていないけど、まあ、全体的には良いお客様だったとは思うわ」
「そうなの? だとしたら……」
ようやく推理の糸口が見えてきた。あのホテルに行けば、何かわかる?
パウラによると、あのホテルは万年人手不足で、求人も出ているらしい。村の職安に行けばすぐに紹介され、働きながら潜入調査できるかもしれないという。
「どうする? ホテルで働く? 正直、待遇は最悪だけど」
「いえ、事件解決の為だったら、頑張るわ。明日職安いく」
「おー、アンナ! 見た目の割に逞しいね。普通の貴族令嬢だったら、絶対逃げ出すよ」
パウラは笑いながらも、少々呆れていたが、今後の方針も決定。
・次の調査
ホテルに潜入調査し、トリスタン先生を調べる!
こう書いたら、もう不安もなく、パウラと二人でケラケラと笑っているぐらいだ。思えば、同世代の友人はいなかった。タラント村でもできなかったが、今、ようやく同世代&同性の友達ができたみたいで、それだけで嬉しい。決してジ・エンドではないらしい。
「よし! 明日は私も休みだし、そんなアンナに協力するよ」
「わー、パウラ、ありがとう!」
「さあ、明日の為にご飯も食べよう。さっそく準備しようかね」
パウラは立ち上がると、リビングと地続きになっている、キッチンの方へ向かった。
一人残された私。特に手伝う事もないらしく、パウラの小説が詰まった本棚を眺める。なぜか王都で人気の恋愛小説が目につき、パラパラと捲る。序盤で壁ドン、中盤で頭ポンポン、クライマックスでキスシーンがあった。なぜか頭にクリスの顔が浮かび、急いで追い出す。
「そ、そんな。クリスの事なんか今はどうでもいいじゃない……」
しかし、この恋愛小説シリーズ、だんだんと恋愛描写が濃厚となり、最新刊は十八禁表示も出ていた。こんな小説を読むパウラって意外だ。見た目は素朴で優しそうな女性なのに。
人は誰でも裏面を持っているのかもしれない。私だって成金令嬢だが、本格推理作家の顔も持つ。殺されたトリスタン先生にも裏面の顔があっても、全く不思議ではない。
「じゃあ、クリスの裏面はなんだ?」
なぜかまたクリスの顔が浮かぶから困る。まさか、婚約者に執着するのが彼の裏面?
私は急いで恋愛小説を棚に戻すと、キッチンに向かい、パウラの手伝いを始めていた。




