第32話 クリスと夫婦のフリして潜入調査です
タラント村からフェソ街まで馬車と徒歩で約一時間。
私とクリスは二人でフェソ街に乗り込んでいたが、想像以上に賑やかだ。中心部は商業施設が栄え、工場地帯も近い。
王都と違い、労働者階級の人々が多く、地味なドレスやメイクにしてきて正解だったが、商業地区を歩きながら、クリスは予想外の提案をしてくた。
「アンナ嬢。潜入調査の割に変装が甘いな。もっと細部にこだわれよ」
「へ?」
「そうだ、あの仕立て屋に入ろう。もっと俺と夫婦らしいドレスや髪にしろ」
「はー?」
まさかの命令口調。相変わらず不遜な様子のクリスにイラッとしたが、確かに隣にいるクリスを見上げると、私と容姿の釣り合いがとれていない。悔しいが向こうはルックスがいい。確かにこれで夫婦設定には無理がある。
「そうね。推理小説を書いた時も、公爵家の主人公が風俗街に潜入調査をする時、確かに浮浪者の格好をしたわ」
「だろう? アンナ嬢、小説ならできてるじゃないか」
偉そうなクリスだったが、一理ある。とりあえず商業地区の仕立て屋に入り、ドレスを選ぶが、クリスは店員にあれこれ指示。
「この令嬢にあう色を。レースが多めに、できるだけ派手に。かといって下品には見せるなよ」
店員はクリスの名前を聞くと犬のように従順だった。私は大量のドレスとともにし試着室へ放り込まれた。
試着をしてはクリスに確認。なかなか似合うものがなく、十五着目の若草色のドレスでようやくクリスがゴーサインを出す。裾や襟元にもレースがあり、春らしい明るい雰囲気のドレス。鏡で自分で確認しても確かに似合っていた。
また店員に靴やネックレス、イヤリング、ハンドバッグも合わせてもらい、トータルコーディネートも大変バランスがいい。
「あら、お嬢様。大変お似合いです」
「だな。こっちの服も全部買う。タラント村のこの住所に全部郵送で送って欲しい」
「かしこまりました!」
クリスと店員は勝手に話を進め、私が止めるスキなど全くない。それに試着だけでも結構疲れてきて、クリスに逆らうのも面倒。これほどまで潜入調査に熱心だった事に少し見直す。案外、村長が殺された事に憤りがあり、正義感が強いのだろう。
こうして服は決まったが、次は美容院にも行かされ、ヘアセットやメイクもさせられた。
「わかったわ。やはり潜入調査にはディテールが必要ね」
「そうだぞ、アンナ嬢。次はあのジュエリーショップに行くぞ。指輪もつけておいた方がいい。今日は我々は夫婦だ」
「そうね!」
だんだんと変装するのもノリノリになってきた。安物だったが指輪もクリスに買ってもらい、その場ではめた。クリスももちろん、左手の薬指に指輪をつけ、準備は全て整う。ジュエリーショップの店員も私達が本物の夫婦だとすっかり誤解していたし、ディテールにこだわるのは悪くない。
「よし、アンナ嬢。このまま風俗街に乗り込むぞ」
「ええ。この様子だったたら、私達、どこからどう見ても夫婦ね」
商業地区から風俗街に向かう途中、なぜかクリスの口角は上がりっぱなしで機嫌もいい。たぶん、これは夫婦のフリをする演技だ。私も隣にいるクリスに同調し、仲良し夫婦を演じようではないか。小説と同じ。潜入調査もディテールが大事だ。
ふと、クリスとの賭け事も思う出す。シャルルが犯人だったらクリスの勝ち。契約結婚を提案されたが、意外と夫婦のフリだけはできるか?
それにしても、クリスはその話題は全く出さない。もう忘れていそうだが、今は潜入調査に集中だ。
「クリス、ここが風俗街ね。想像通りゴミも多いし、酔っ払いや娼婦も昼間から歩いているわね」
「だな。ようし、アンナ嬢。ここは夫婦のフリも本気度を増そう」
「え?」
なんとクリスは手を繋ごうとまで言ってきた。さすがに演技にしてもディテールが濃すぎる?
「それにここは治安が悪いぞ。俺と完璧に夫婦のフリをしていた方が得策だ」
「確かに、そうね……」
どう考えてもクリスの提案に合理性がある。という事で手を繋ぐ。クリスの手は想像以上に大きく、なぜか心臓が揺れ動く。
成金令嬢とはいえ、ダンスで殿方とよく踊っていた。別に異性と手を繋ぐのは難しい事でもないが、おかしい。クリスと手を繋ぐと、急にドキドキとする。
といっても向こうは平然とした顔だ。演技以上の思惑がなさそうで、そこはホッとしたが。
「ところでクリス。シャルルは犯人だと思う?」
風俗街の派手な看板をチラリと見つつ、クリスに聞く。
「それにセニクが犯人でも不思議でないかも。アリバイの確認が必要だけど、あの男だったらやりかねない」
「アンナ嬢、それは私怨ではないか? もっと冷静になれ。推理は客観的証拠が必要ではないか?」
クリスの発言は正論。ぐうの音も出ない。セニクが嫌いすぎて、感情的になっていた。
「でもま、セニクが犯人だったら。俺はそれはそれで面白いと思うがな」
「え? 何か言った?」
クリスの声は大きな風が吹き、聞き取れないと思った時だった。
「あ、あいつ! シャルルだ!」
クリスが大声を出し、指差す。そこのは紫色の派手なスーツの若い男がいた。
「あいつがシャルルだ!」
「本当!?」
「おお! 前に別荘で会った!」
クリスが言うから間違いないのだろう。シャルルは酒に酔っていた為か、逃げ足も遅い。私達が走って捕まえると、子犬のように震えているぐらいだ。
「違う! 俺は村長を殺してない! 助けてくれよ!!!」
シャルルの絶叫が響く。耳がキンとし、思わず顔を顰めたが、クリスは冷静だった。
シャルルの肩をガッチリと掴み、低い声で脅していた。
「何で別荘から逃げた? おいシャルル。今すぐ吐けよ!」
「ぎゃー、ごめんなさい!」
シャルルは泣き叫んでいたが、クリスは容赦しない。このままシャルルを別荘まで連行する事になった。
帰りの馬車の中でもシャルルは無言。黙秘を貫くつもりらしいが、隣にいるクリスを見るたびに震えている。目が座り、不機嫌なクリスは、確かに白警団のモイーズより怖いかもしれない。
震えているシャルルを見ていたら、同情心は生まれてしまう。今のところ、犯人である可能性が高いのに。
とりあえずシャルルから話を聞く必要がある。今の様子なら逃亡の可能性も低い。その辺りは安心して良いだろう。
そう思いながら、私はダミーの指輪を外していた。




