08.巨乳妻、思い惑う。
たくさん抱き合って、愛し愛されて、新婚生活を満喫した。
多少ぶつかったりすれ違ったりもしたが、プライベートスペースがないおかげでほとんど早期解決した。
蛍斗にしては規則正しく、悠士にしては不規則な夏休みだった。
いつものぬるま湯よりも少し温度の高い湯に浸かっているような一か月だった。
「意外に子どもってできないもんだな」
一年と少し、一貫して中に出し続けてもらっているのに、蛍斗の腹部はぺったんこのままだ。
なんとなく結婚よりも妊娠の方が早いような気がしていた蛍斗だが、二学期も元気に登校していた。
蛍斗の女性機能に問題がないことは"クマノミ"の検診で証明されている。
大抵の夫婦は二年か三年で子どもができると言う。その昔は三年子どもができなければ妻は石女の烙印を押されて婚家から追い出されるということもあったらしい。子どもが欲しいと望んだのは蛍斗だから、できないからと言って悠士は追い出したりしないだろうが。
まぁまだ一年だ。悠士の方に不妊の原因があるかどうか調べてもらうのはさすがに気が早い。
それに、と蛍斗は思う。
今の蛍斗はそれほど焦っていない。
悠士の子どもが欲しいとは思っている。そう思う理由の大半はきっと本能の部分で、"クマノミ"であることも関係している。しかし、蛍斗の心がそう願ったのは、子どもができたら悠士を失わなくて済むと考えたからだ。
子どもができれば女になれる。女になれれば悠士を繋ぎ止められる。そしたら悠士を失わなくて済む、という三段論法だ。
蛍斗と悠士は結婚した。
一生続く関係性を得た。もちろん離婚や死別という可能性もゼロではないが、少なくとも今の二人にはそんなつもりはない。一生と言えば一生だ。
蛍斗は悠士を捕まえた。いつ失うかとびくつかなくていい。二人の関係は続いていく。だから、蛍斗は焦らなくなった。
抱き合うことの意味が一つでないことも知った。
結果としては生殖を目的とする行為だが、愛情表現としての側面もある。
愛を伝え合うために身体を繋げることを知った蛍斗は、もう少しこのままでもいいんじゃないかなと思ってすらいる。
二人っきりの生活はとても楽しかった。しあわせだった。
子どもができるということは、二人っきりではなくなるということだ。
悠士と一年以上付き合って、子どもが欲しいと言って、結婚もして、それでも蛍斗には、子どもを産むということへの心構えがまだ足りていない。
学校では、悠士は旧姓で通している。書類上は変更済だが、旧姓を通称として使うことが認められているのだ。結婚したことを隠したいというより、これもまた無用の混乱と悪目立ちを避けるためだ。
この時期に妊娠していなければ、卒業までに出産を迎えることはまずないだろう。
二学期は受験生にとって山場となる。実際の入試は年が明けてからという者も多いが、悠士は推薦入試枠なので早ければ年内に結論が出る。
悠士が蛍斗と一緒にキッチンに立つようになり、蛍斗が実家に寄る回数は減った。週一回か二回学校帰りに寄り、蛍斗が母親から卒業検定と銘打ってあれこれさせられている横で、悠士は勉強させてもらう。二人っきりだとなかなか集中できないが、そばにいても彼女たちの意識がこちらに向いていなければ、賑やかな背景音楽として聞き流すことができる。
「母さんたちはどれくらいで赤ちゃんできたの?」
聞こえてくる会話の中にはたまに聞き流せないものもあるのだが。
蛍斗の中身はあまり変わっていないが、男と女の中間でふらふらしているというよりは、だいぶ女性の方に傾いているようだ。
その言動は相変わらず男っぽいまま、一人称も「俺」のままだ。悠士も蛍斗の家族も無理に矯正しようとはしなかった。体面より、蛍斗らしさが失われない方が大事だった。
最近の蛍斗は、自分から進んで家事をする。
これは別に女らしくなろうと思ってはじめたことではないようだが、かつては見向きもしなかったことに積極的になった。見た目から入るタイプの蛍斗は、一般的に男らしくないと言われることを避ける傾向があった。家事手伝いもそれに含まれる。悠士は当たり前のように行なっていたが、知り合った当初はとても驚かれた。悠士が普通にしていたから、男らしくないわけでもないと思えたのかもしれない。
形を気にする蛍斗があえて女らしくなろうとしなかったのは、一人称も変えなかったのは、悠士が原因だと本人から言われた。悠士が態度を変えなかったから、自分にとって不自然だと思える部分を変えようとは思わなかったらしい。
悠士の妻になるからと言って名前を変えた蛍斗も、悠士の妻になったのに一人称を変えない蛍斗も。
一見矛盾するようだが、どちらも蛍斗らしいと悠士は思う。
女性らしい服も違和感なく着るようになった。
男の頃の服もよく着ているが、ほとんど室内だけのことだ。外出する時の格好はずいぶん女の子らしくなったと思う。新しく服を買う時は大抵レディースを選んでいる。かと思えば家にいる時は勝手に悠士の服を着ていたりもするのだが。彼シャツ状態が標準装備の新妻を前にして、夏休みの間悠士は毎日のように己の理性と体力と闘っていた。勝率は聞かないでほしい。
女性用のものを使うことに抵抗がなくなったと言えばいいのだろうか。
女性として身だしなみを整えるのはなかなか大変そうだ。まだ化粧は嫌だと言っている。悠士も必要性を感じないが、クラスの女子などはすっぴんで出歩けないそうだ。
蛍斗は蛍斗らしいまま、女の性を受け入れていく。悠士の妻になった、ということで一層前向きに受け入れようとしている。
蛍斗は変わっていくが、根っこの部分は、大事な部分は、悠士が好きになったところは変わっていない。だから、無理をしているのでなければ、蛍斗の好きなようにしたらいいと思う。
母親のこともすっかり同性の親として認識できるようになったらしい。
それでも親にそれを聞くのはアウトな気がする。
「蛍斗、さすがに私もそれは答えづらいわ」
蛍斗の母親は笑って煙に巻くのかと思ったら。
「だって、一発でできちゃったから」
(答えづらいって、そっちかよ!)
やっぱりこの親子は悠士の想定を超える。
夏休み中に、蛍斗が「大学に行く」と言い出したことがあった。
『悠士、俺も大学行く』
『は?』
『中にカフェあるじゃん? あそこで働く』
悠士もまだ受かっていない大学で働く計画を立てていることに驚いた。
オープンキャンパスでもらってきた資料を見て思いついたらしい。
『え、本気で言ってる?』
『もちろん』
『なんでまた』
『一緒にごはん食べよ』
『いやその場合昼食の時間帯はお前仕事中だろ』
『あ』
相変わらず蛍斗は考えなしで、悠士は笑ってしまったが。
『悪い?』
『いや、悪くない』
笑われて不貞腐れた蛍斗をなだめながら、悠士はそんな蛍斗を好きだと思った。
来年になっても子どもができていなかったら、そんな未来があってもいい。
悠士が考えもしないことを蛍斗は考えつく。
蛍斗が考えないなら悠士が考えればいい。
――お互いを補完できる関係って素敵ね。
蛍斗の母親が言った通りだ。
ちなみに蛍斗の母親は授かり婚ではなかったらしい。いわゆるハネムーンベビーという奴だ。
蛍斗の父親は意外にやる男だった。
さて、二学期と言えば学校行事が目白押しだ。
今年も蛍斗はさぞ気合が入っているに違いないと思ったら、ずいぶんおとなしかった。
「いやだって去年の二の舞はやだしさぁ」
連日のお呼び出しは苦い記憶だ。
発端となったのは体育祭での大活躍である。
ついでに生理も遅れている、ということで、妊娠の可能性を考えたら無理はさせられなかった。
蛍斗の戦力はクラスでかなり期待されていたのだが、徒競走などもっての外だ。玉入れや障害物競争など比較的おとなしめな競技にエントリーした蛍斗は、それはそれで楽しそうだった。
遅れていた生理は体育祭にカブってやって来たらしく、当日はどの道おとなしくしているしかなかったようだ。
蛍斗の生理周期は最初こそ不順だったが、二年目はわりと順調に毎月来ていた。
文化祭は体育祭から約一か月後に開催された。
受験の追い込みともろ被りの時期であるため、あまり準備に時間をかけなくていいもの、ということで今年は自分たちのクラスでコスプレスタジオをすることになった。クラスに貸衣装店の息子と写真館の娘がいたのだ。
並べた衣装の中から好きなものを選んで着替えてもらい、写真を撮るだけのシンプルなサービスである。写真の背景画像は風景写真を拡大コピーしたものを都度かけ替えるだけだ。
リクエストを受け付けてモデルを貸し出す、要は希望の衣装を着せたい子を店員の中から選んで一緒に写真を撮る、という案も出たのだが、去年のように指名が集中してしまうことも考えられたので没になった。代わりに、悠士と蛍斗をモデルにして着用イメージの写真を撮影し、そのパネルが数枚飾られた。
蛍斗はメイドもナースもチアガールも制覇した。悠士は執事に白衣に学ランだった。貸衣装店にあるとは思えない代物もあったが、どうやら個人所蔵らしい。深くはツッコめなかった。
結構ノリノリで撮ってしまってから、後で恥ずかしさが襲ってきた。別にいかがわしいポーズを決めたわけではないが、ほんのり甘い空気感が写真越しにも伝わってくるような出来上がりだったのだ。もちろん蛍斗の母親は大喜びしていた。
そんなこんなでイベントを消化し、十一月に入った。
悠士は希望する大学の推薦入試を受験した。学科試験だけで決まるわけではないため、手応えは今一つはっきりしない。面接や小論文も大きくミスしていないとは思うが、あくまで主観の話だ。
悠士にはもう一つ気がかりなことがあった。
「なぁ、蛍斗」
「ん?」
「……お前、最近生理来てるか?」
「へ」
体育祭から一か月半以上経つが、どうも来ている気配がない。
「え……あれ?」
「体育祭の後、来たか?」
「……来てない」
二学期に入ってからも、受験の追い込み中であっても、まったく何もしなかったわけではない。同じベッドで眠るのだ、それなりに仲良くしていた。
前回も遅れていただけだったから、今回もそうなのかもしれないが。
「え、え、悠士」
「ああ、いや、どうだろ、自分ではどうなんだ?」
「分かんないよ、全然。え、そうなのかな」
たとえ妊娠でないにしても二回続けて不順、というのは少し心配かもしれない。
「一回診てもらった方がいいかもな」
「いるのかな……」
「さぁ? でも、いるといいな」
何か病気だと言われるよりは、明るいニュースであってほしい。
「そう思う?」
「欲しかったんだろ?」
「そうだけど」
「?」
「……なんか、もうちょっと、二人でもいいなぁとか」
「……」
妻がかわいいことを言うので困る。
思わず伸ばしかけた手を、悠士は気合でどうにか押さえ込んだ。
一度診てもらった方がいい、と悠士が言うので、いつも診てもらっている産婦人科を受診した。蛍斗がかかっているのは総合病院で、蛍斗の主治医は平日しか外来を診察していない。悠士は一緒に行くと言っていたが、蛍斗は母親に付き添ってもらうことにした。
「十四週目ですね。妊娠四ヶ月です」
「……はい?」
蛍斗も、蛍斗の母親も、ぽかんとした。
妊娠の週数は最後に来た生理の一日目を起点にして数える。いまいち意味が分からなかった蛍斗だが、十一月半ばで十四週ということは、つまり八月に妊娠していたということらしい。
「え、おかしい」
九月末の体育祭の時に、蛍斗には生理が来ている。そんなはずはない。
「いつもの生理と色や量などが違う様子はありませんでしたか?」
「えっ、と、少なかったような気はします、けど」
「妊娠初期には出血が起こりやすいものです。普通の月経とそう変わらない場合もあるので、妊娠に気がつかないというケースも多いんですよ」
「流産という場合もあるのでしょうか?」
母親の質問に、医師は大丈夫と笑った。
「検査の結果に異常は見られません。母体も赤ちゃんも健康ですよ。もし体育祭の時に激しく運動していたら危なかったかもしれませんがね」
蛍斗は腹部に手を当てた。
相変わらずそこはぺったんこのままで、だが新しい命が宿っていると言う。
「つわりの症状などはありませんでしたか?」
「あんまり」
多少食欲が落ちていたが、夏バテだと思っていた。
「有賀さんは十八歳になられたんでしたね。アルコールを飲まれたりしましたか?」
「あ、いえ、飲もうかと思ったんですけど、気持ち悪くてやめました」
蛍斗の誕生日に悠士がワインを開けてくれたのだが、その匂いで気分を悪くしたので結局飲めなかった。
「それはよかった。赤ちゃんが教えてくれていますね」
言われてみればいろいろと兆候はあったのかもしれない。
やっぱり蛍斗は言われなければ気がつかない。
「出産予定は来年の六月になります」
蛍斗が女として迎える三回目の季節に、家族が増える。




