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親友、のち彼女  作者: 織架
Lv.3 あいかた
22/32

06.巨乳女子、進化する。

 "大好き"と"愛してる"をお互いに伝え合って、悠士と蛍斗は満ち足りた春を過ごした。

 季節は過ぎ、また夏が巡ってきた。





 引っ越しの日は、夏休み初日にした。

 ある程度絞り込んでいた候補の中で比較的好条件の部屋がうまく空いていたので、六月に契約を交わし、入居日を夏休み初日に設定したのだ。

 持って行くもの、処分するものを整理し、新たに買うものを相談した。家電製品や家具はほとんど新しいものにすることになった。新たな家族構成と新たな部屋に合わせてそろえるのだから当然だった。

 準備は大変だったが、いよいよその日が来るのだという期待感が大きく、苦にはならなかった。

 悠士の家では悠士が家事のほとんどを引き受けてきたが、母親が家事のできない人だというわけではない。休日には掃除も洗濯も料理もする人だ。

 婚約が決まった頃から、悠士がいないことに慣れようと母親が平日も家事をやりはじめたのだが、弟がうっかり「兄貴のごはんの方がうまい」と口を滑らせて拳骨をもらっていた。ちなみにその弟は、新学期がはじまってすぐに弁当を作ってくれる彼女をちゃっかりゲットしていた。要領が良いのは今井家の血なのかもしれない。またしてもうっかり口を滑らせてこじれないように祈っておいてやった。

 親元を離れるという不安はない。言うほど実家が遠くなるわけではないし、蛍斗はしばらく実家で花嫁修業を続けることになる。まだしばらくはすねかじりのまま、新生活の楽しい側面だけを考えていられる。

 七月になると、蛍斗の母親が役所からやたらファンシーなデザインの婚姻届をもらってきた。そんなところに力を入れてどうするのだろう、と思ったのは内緒だ。お偉いさんの考えることはやっぱりよく分からない。

 結婚式も、指輪もない。

 それはいつか自分の力でちゃんとしたい、と悠士が言ったからだ。


「時間がかかるかもしれないが、待ってくれるか」


 蛍斗は首を縦に振った。

 もちろん人生一大イベントではあるのだが、形ばかりに捕らわれても仕方がない。

 学生で、一方は"クマノミ"で。大げさな式などせず、身内だけの食事会ぐらいで十分だ。

 指輪も、蛍斗はあまりアクセサリーにこだわらないし、二人とも指輪を付け慣れていない。ただ「結婚の証としてペアで身に着けるのは少し憧れる」と蛍斗が言ったので、安物の指輪を交換した。

 高校生のお小遣いで買うものとしては少し奮発した、けれども指輪としては安物だ。

 悠士はあからさまなペアルックを好まない。特に恋人同士の場合は見せつけ感があるので苦手だったのだが、二人だけで楽しむ分にはさほど抵抗を感じないし、結婚指輪はただのペアルックとは訳が違う。

 結婚式も、指輪も、ちゃんとしたものにしたかったが、今の悠士と蛍斗には経済力がない。「やりたい」と言って親に出してもらうのは何か違う気がする。


「あ、でも写真は撮りたい」

「写真?」

「そう、写真。こう、結婚した瞬間の二人、みたいな?」

「ああ、いいな」


 大げさなことはいらない。ちゃんとするのもいずれでいい。

 ただ、その瞬間を、夫婦をはじめた日のことを切り取って残しておきたいという気持ちには同意できた。

 蛍斗が女になってからの写真はちゃんと整理した上で蛍斗の家に置いてきた。データはもらってきたので、飾りたければまた印刷するなりデジタルフォトフレームで再生するなりすればいい。

 結婚するということは名字が変わるということで、どうせなら一緒に改名すると蛍斗が言い出した。

 "クマノミ"は無条件で改名する権利を有する。変化した性に合った名前を付けるために。あるいは過去と決別するために。

 蛍斗自身は"クマノミ"だとバレても気にしない性質だったため、特に改名の必要性を感じていなかったようだが、立場的には悠士の妻になるわけで、さすがに男の名前のままではマズい気がしたらしい。

「蛍斗」の最初の一文字だけを取って女らしく「(ほたる)」と読む案は悠士が却下した。慣れ親しんだ呼び方とはかなり違ってくる。蛍斗だという気がしない。

 結局悠士が呼び方を変えないと言ったから、だったら「(けい)」にするということで落ち着いた。


「俺が『有賀』になるから」

「へ?」


 悠士の言葉に、蛍斗はきょとんとした。


「だから、俺が『有賀』になるって」

「……なんで? 俺が全部変えちゃった方がよくない?」


 氏名の変更はいろいろと面倒だ。ありとあらゆる書類を変えなければならない。手間を思えば、一人だけにした方がいいというのは確かに道理だった。

 ちなみにこの国では夫婦別姓が認められているのだが、悠士も蛍斗も、家族になるなら同じ姓を名乗りたいと思う方だった。時には名目も大事だ。


「『有賀』も『蛍斗』もなくなるのは寂しい気がする」


 それが悠士の言い分だった。

 名前は個人を示す記号に過ぎない。しかし個人の人生を表わすものでもある。これまでの蛍斗の人生を表わす記号がどちらもなくなってしまうのは、十七年間の蛍斗の人生を否定するようなもの、男だった頃の蛍斗を否定するようなものだと、悠士には感じられた。

 悠士が「蛍斗(けいと)」と呼び続けるのは、男だった蛍斗も含めて今の蛍斗を愛しているからだ。蛍斗が男でなければ二人の関係がスタートしなかっただろうことを思うと、呼び方を変えたくない。

 蛍斗は、蛍斗だ。


「有賀、悠士?」

「そう。『有賀(ありが) 悠士(ゆうじ)』と『有賀(ありが) (けい)』」


 今井 悠士も、有賀 蛍斗もいなくなる。

 消えてなくなるわけではないが、新しい名前が新しい二人のはじまりになる。


「……へへ」


 悠士が好きな、あのふにゃっとした顔で蛍斗が笑った。

 蛍斗自身があまりこだわっていなかったのは恐らく本当だろう。

 それでも、元々二人の姉を持つ末っ子で長男だった蛍斗が家名を継ぐと思われてきたはずだ。

 核家族化が進んだ今では、夫婦別姓が認められた今は、家名を継ぐという意識自体ほとんど空気のようなものではあるが、結婚に伴って女性が名前を変えるという風潮はどことなく残っている。

 蛍斗が改名すると言い出さなければ、悠士も当たり前に「今井」を名乗り続けたかもしれない。その名字に思い入れがあるわけではない。あえて変えるという発想がなかっただけだ。

 悠士の母親も特に反対はしなかった。どちらかと言えば「有賀」の方が人口は少なそうだから、とむしろ賛成された。

 婚姻届を書くのは緊張した。蛍斗も「手が震える」と言っていた。たかが紙切れ一枚、しかしそこに二人分の人生が乗っかっている。

 人は人、自分は自分。

 先入観に捕らわれず、これからは二人のルールを作っていこう。

 違う環境で育った赤の他人が同居する。どうしたって問題は起こる。それでも、どちらか一方が我慢したり遠慮したりするのではなく、ただ甘やかすのでもなく、言いたいことをちゃんと言って、どうしたらいいかは二人で考えよう。

 家族は、他人ではなく自分に属するものだから。

 名ばかりでなく、ちゃんと家族になっていこう。





 そして高校生活最後の夏休み初日、悠士と蛍斗は新居へ引っ越した。

 リビングとダイニングキッチン、それから独立した八畳の部屋で構成されている南向きの角部屋だ。

 引っ越し当日に配達を依頼していた家電製品や家具が続々と到着し、がらんとしていた部屋が彩られていく。

 独立した部屋はセミダブルのベッドを置いて寝室にした。それぞれのプライベートスペースはないが、蛍斗が「ベッドは一つ」と頑なに主張したのでこうなった。ダブルベッドにしなかったのは部屋が狭くなることを考慮してというよりは「どうせくっついて眠るから」というこれまた蛍斗の主張があったからだ。喧嘩でもしてしまうと気まずいだろうが、最悪リビングのソファで眠れないこともない。

 先に相談して決めておいた場所に家具を配置し、段ボールから中身を移していく。平日だったため手伝いに来てくれたのは蛍斗の母親だけだった。値段の安さには代えられない。

 はじめての引っ越し作業はあまり効率的には進まなかった。運ぶべき荷物は運び込み、そもそも量もそれほど多くなかったのだが、一度しまってから「やっぱり変えよう」と言い出すことも多く、結局作業は一日では終わらなかった。

 引っ越しにかかった費用の総額は怖くて聞けていない。概算ははじき出してあるのだが、どう見ても頼んだものより質の良い製品が届けられている気がする。本当に母親たちには頭が上がらない。


「片付かないもんだね」

「とりあえず台所周りが整理できたら飯食うか」


 日常的な生活をしてみて、きっと足りないものに気がついていく。

 冷蔵庫にはまだ何も食材が入っていない。夕食に、と蛍斗の母親が作ってきてくれた弁当と、ペットボトルが数本冷やされているだけだ。明日はいろいろ買い物に行かなければ。

 大学受験を控えた高校三年の夏休みである。遊んでいる場合ではない。ないが、少なくとも七月中は何も考えず、束の間の同棲生活と新しい二人の門出に没頭しようと思う。人生に一度きりの機を逸するのはあまりにももったいない。

 ひたすら蛍斗のことだけを考えて過ごしてみるのもいいかもしれない。たまには思いっきり馬鹿になってみてもいいかもしれない。しあわせぼけしてみてもいいかもしれない。

 とは言え根が真面目な悠士は、夕食を食べた後ももう少しキリのいいところまで片付けてしまおうと再び段ボールと格闘していたのだが、ふと気がつくと蛍斗の姿が見えなかった。


「おお、いい感じ」


 声がした寝室の方を覗くと、蛍斗が新しいベッドの上でぽよんぽよんと跳ねていた。その胸もやはりぽよんぽよんと跳ねている。


「悠士、悠士」

「あ?」

「こっち来て」

「……まだ終わってないぞ」

「終わんないよ、どっち道」

「キリの――」

「ゆーじ、来て?」

「……ああ」


 真新しいベッドだ。真新しいシーツだ。


「先に風呂入った方がよくないか?」


 今日は一日引っ越し作業にかかりっきりで、汗もかいたし多少汚れてもいる。


「もー、悠士ってほんと真面目」

「真面目っていうか」

「じゃあ考えすぎ?」

「……考えすぎか? これ」

「俺は考えなかったからたぶん」

「……」


 考えなしの蛍斗と考えすぎる悠士。

 足して割ったらちょうどいい、と蛍斗の母親に言った悠士だが、ちょうどいい落としどころを見つけるのはそう簡単なことではないようだ。


「どうせ汚れるじゃん」

「口にできる汚れとできない汚れがある」

「真面目な顔ですごいこと言うー」


 蛍斗がけらけら笑った。


「じゃあ先にお風呂でいいや。一緒に入ろ」

「狭いぞ」

「ちゃんと二人で入れるって確認してたの知ってるよ?」

「……」

「また洗って」

「……」

「ゆーじが食べられるように、ちゃんと悠士が洗って」


 まったく、恐ろしい魔性である。

 それでも妥協点が見つかった。

 きっとこんな風に二人のルールが作られていく。

 蛍斗の家のバスルームよりは狭いが、二人で入れないこともない。トイレは別だ。こだわり条件はわりと希望通りだ。

 最初が風呂場、というのもどうかと思い、自制に自制を重ねてそそくさと入浴を済ませた。ちょっとしたフライングはご愛敬ということにしておいてほしい。


「俺たちしかいないね」


 蛍斗は終始ご機嫌だった。


「……隣近所には聞こえるぞ」

「でも、ね?」


 防音効果のある壁ではないからそれなりに気をつけなければならない。とは言え、カップル向けの物件ではある。聞こえないふりをするのが暗黙のルールだ。

 二人っきりの城だ。

 誰にも邪魔されない。誰に気兼ねする必要もない。時間を気にすることもない。

 真新しいベッドの寝心地は最高だった。しっかりと二人の体重を支えてびくともしなかった。

 二人だけの部屋で、広いベッドで、それはもう快適な夜を過ごした。

 ご近所に気を使いながらそれでも散々声を上げて啼いた蛍斗は、翌日声を枯らしていた。





 引っ越しから五日後、二人は悠士の誕生日に入籍した。

 今井 悠士は有賀 悠士に、有賀 蛍斗は有賀 蛍になった。



というわけでここからは有賀 悠士と有賀 蛍の物語になります。

が、文中では引き続き「悠士」と「蛍斗」として表記させていただきます。

もうしばらくお付き合いください。

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