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親友、のち彼女  作者: 織架
Lv.2 こいあい
15/32

09.彼女は彼氏を愛したい。

「俺の頭じゃ悠士と同じ大学(とこ)には行けないし、だったらさっさと働いて、金貯めたい」


 蛍斗の言葉は、悠士の想像の斜め上を行った。

 積極的に避妊する気のない悠士だが、子どもができてもいいと思うことと、子どもが欲しいと思うことはまた別だ。

 実際に子どもが欲しいと言われると、悠士は動揺してしまった。

 悠士の誕生日は七月の終わりだ。十八歳――男性の結婚可能年齢までおよそ九か月ある。二人が高校を卒業するにはまだ一年以上かかる。今の悠士には蛍斗を社会的に守れるだけの力がない。経済的に支える力もない。

 それに、悠士には別の懸念があった。


「……それ、家族の人には相談したのか?」

「母さんには言った。一回悠士とも話したいって言ってた」

「そうか……うん、俺も聞きたいことがある」


 悠士が直接的な返事をしなかったことで蛍斗は不安そうな顔をしたが、その時の悠士には何も言えなかった。

 結局二人は何もせずに悠士の家を出た。蛍斗の家までの道のりが、いつもより遠く感じた。





 蛍斗の家のダイニングテーブルで、悠士は蛍斗の母親と向かい合って座っていた。蛍斗は悠士の横にいる。


「蛍斗から話を聞いたのかしら?」

「はい」

「悠士と話したいことって何?」

「悠士くんはたぶん分かっていると思うけど」


 そうなの、と悠士を見るが、悠士はこちらを見てはくれなかった。


「聞きたいことがあります」


 悠士が口を開いた。


「"クマノミ"が子どもを作りたがるって、本当ですか?」

「……え?」


 悠士が何を言ったのか、蛍斗は咄嗟には理解できなかった。

 確かに蛍斗は悠士に「赤ちゃんが欲しい」と言った。

 考えて、考えて、突き詰めたら蛍斗の願いは一つだった。

 悠士の子どもが欲しい。

 身体の準備は整っている。心もそれを願っている。

 蛍斗は悠士の精を中で受け止めるのが好きだ。最近は口ですることも覚えたが、やはり中で出されたいと思う。気持ちが良いし、満たされる。子どもができたら、と恐れることも厭うこともない。むしろできてしまえ、とさえ思う。

 その結論を蛍斗はすんなりと受け止め、受け入れた。だから母親にもそう言ったし、悠士にも伝えた。


「悠士、何――」

「本当よ」

「え、母さん?」

「……やっぱり、そうなんですね」


 蛍斗の知らないところで、母親と悠士は理解を共有したようだ。

 蛍斗には訳が分からない。何も、分からない。


「それは、どれくらい蛍斗に影響を与えているものなんですか」

「臨床データが少なくて、まだ確たる答えは出ていないみたいよ。有力なのは身体の変化が本能を刺激するという説ね。心の性が身体の性を変化させるように、身体の変化が心に影響する。人格が変わってしまうようなことはないと言われているわ。今のところはね」


 蛍斗を置き去りにして、話はどんどん進む。


「そもそも"クマノミ"になるのはね、好きな相手との子どもが欲しいと思うからなのよ。人間社会ではまだ子どもと言われる年齢のあなたたちだけれど、身体が大人に変わる時期は、普通の動物なら相手を見つけて種を残す時期」


 クマノミをはじめ生物が性転換するのは生殖のためだ。同じことが"クマノミ"――身体を変化させた者にも当てはまる。

 自身の心の性をもっとも強く自覚するのは、やはり性愛の対象を認識した時だろう。その心の性にしたがって"クマノミ"は身体を変化させる。

 少女になった者は、好意を寄せる男の子どもを産みたいと。

 少年になった者は、好意を寄せる女を孕ませたいと。

 心の性が身体の性に作用するように、身体の変化が心にも変化をもたらす。種を残したいという本能がより強く働くのだ。それは、あるいは性転換したことへの戸惑いを押し流すための自己防衛本能でもあるのかもしれない。

 "クマノミ"は、本来の身体をベースに、身体的な魅力をより強める場合が多いのだと言う。要するに、今まで同性だった相手を思わずその気にさせてしまうような身体に変化するということだ。たとえば蛍斗の身体には少し不釣り合いに大きい胸もそうなのではないかと診断されていた。


「好きな相手との子どもを残せるように身体を変化させる"クマノミ"は、当然子どもを欲しがるの。変化のきっかけとなった相手との子どもをね。中には特定の相手を想定しないまま、ただ自覚する性認識に合わせて変化する子もいるけれど」

「蛍斗の場合は?」

「特殊よね。そもそもきっかけがきっかけだもの」


 同性への好意や思慕による変化ではなかった。男としての自分を否定したわけでもなかった。

 女性との性体験を夢見て、けれどなかなか叶わず、せめて触りたい、ならいっそ自分が女になったらいいのでは――そんな妄想で実際に変化できてしまったのが蛍斗だ。

 ただでさえ高校二年生での変化は遅くて稀だと言うのに、しかも妄想力だけで変化したという例は過去にない。医者たちは、潜在的に同性への恋心を抱いていたのではないかと考えているようだが、母親の目からも親友の目からも、それはないと思えた。


「だから、だったんですね」

「ええ。ごめんなさいね、悠士くん」

「ちょ、ちょっと待った!」


 二人だけで話が通じても、納得されても困る。


「なんだよ、それ。俺、俺がなに、なんだっていうの」

「蛍斗、落ち着け」

「落ち着けるかよ!」


 今の話は、それはまるで。

 蛍斗が薬の所為で子どもを欲しがっているとでも言うような。

 蛍斗が"クマノミ"の本能でそれを願っているとでも言うような。


「……知らない」

「蛍斗?」

「俺そんなの知らない! 聞いてない!」


 混乱した蛍斗はその場から逃げ出した。





 ばたばたと階段を駆け上がる音を聞きながら、蛍斗の母親はふぅ、と溜め息を吐いた。


「……蛍斗、知らなかったんですか」

「医者からの説明は一緒に聞いていたはずなんだけど、変化してすぐだったから、それどころじゃなかったんでしょうね」


 それなら、蛍斗の混乱も無理はない。

 蛍斗が考えなしであることを差し引いても、彼女はやたらと中に出されたがった。最初がそうだったからそういうものだと思い込んでしまったのだろうか、と悠士は考えていたのだが、最初のそれで強く本能が刺激されて一層加速したのだとしたら。

 蛍斗が子どもを欲しがるのはなぜか――本人に直接聞くのは躊躇われ、ならば蛍斗の母親に聞こうと思った。その場に蛍斗を同席させたのはマズかったかもしれない。

 蛍斗が「とりあえずヤろう」と言ったのも、やたらと中に出されたがったのも、そして蛍斗の母親が二人の交際に大賛成だったのも、すべて同じ理由だった。

 どうしてあれほど自分たちをけしかけるような真似をするのかと思っていた。

 好意を抱く相手がいないまま変化してしまった蛍斗の生殖本能がどうなるのか、きっと心配していたことだろう。特定の相手ができるだけでも御の字、ましてやそれが自分も知る我が子の親友だったなら。

 そりゃあ応援するだろう。絶対逃すなと言うだろう。

 もっと早くに話してもらえたらとも思うが、もしそうだったら、悠士は蛍斗との接し方に困っていたに違いない。蛍斗から求められる度に悩んだはずだ。それが蛍斗の意思なのか、ただの動物的本能なのか、分からなくて。


「"クマノミ"が少子化対策だと言われる所以はそこにあるの。若者が恋愛しなくなり、結婚しなくなり、子どもを作らなくなる。だったら否応なしに生殖意欲が増す思春期に、子どもを作りたくなるようにしてしまえばいい。作らせてしまえばいい。そういう薬なのよ」


 蛍斗の母親は少しだけ苦々しい表情を浮かべた。


「これって、最初に投与する時には言われないことなのよね。子どもの自主性を尊重できる、そんな甘い謳い文句に釣られたことをちょっと後悔したわ」


 思いもよらない息子の変化に驚き、そしてダメ押しのようにそんなことを言われたら、きっと彼女は自分の責任のように感じてしまっただろう。


「でも、だから、改めて蛍斗とのこと、考えてもらえないかしら」


 蛍斗の母親の真剣な言葉に、悠士も言葉を選ぶ。


「それはもちろん。ただ、いきなり赤ちゃんとか言い出すからちょっとびっくりして。やっぱり薬の影響が強いのかと」

「あらあら。あの子いきなり言っちゃったの?」

「俺は、結婚とかどうするっていうことを先に相談するつもりでいたので、その、すみません」

「それはお互いびっくりするわよね」

「それに、俺だけ進学して蛍斗を働かすのは……」

「"クマノミ"の妊娠・出産・育児には国からの補助が多めに出るわ。だから経済的なことはあまり気にしなくて良いの。むしろ進学して良い就職先を見つけてくれる方が後々のためでもあるから」


 ああ、そういう考え方もあるのか。


「蛍斗だけ働かせるのが気になるのなら、悠士くんが大学生の間は花嫁修業ということにしてもいいわ」


 急いで全部決めなくていいのよ、と彼女は笑った。


「道はひとつではないわ。いろいろとやり方はあるものよ。だから、先に目的地を決めて、それから生き方を決めたらどうかしら」

「……蛍斗とちゃんと話してきます」

「ええ。ありがとう、悠士くん」


 改めて、親というのはすごいなと悠士は思った。そして、親になるということを考えさせられた。





 蛍斗は自室の電気も点けずにベッドの上で膝を抱えていた。

 その姿に既視感を覚える。あの時は悠士の部屋で、冬至よりも夏至に近い日だった。


「蛍斗」


 呼んでも顔を伏せたままで反応してくれない。

 悠士はベッドに近づいて腰かけた。

 手を伸ばせば届く距離、伸ばさなければ触れない距離。


「一応確認しておきたかったんだ。"クマノミ"に関する俺の知識は自分で調べたものだから、正確とは限らない」


 本当は付き合いはじめた時に聞いておけばよかったのだが、悠士もそれなりに浮かれていたので後回しにしてしまっていた。


「家族になるなら、ちゃんと知っておきたくて」


 弾かれたように蛍斗が顔を上げた。


「……俺の子どもを欲しがるのは蛍斗の本心なのか、と思って」

「え?」


 "クマノミ"はヤりたがり。

 "クマノミ"について調べた時に、ネット上でまことしやかに呟かれていたことだ。

 つまるところ本能的なのだと。

 はっきりとそれを突きつけられるのが怖くて、確認を先延ばしにしていた。

 ネットには情報が散乱している。まったくの嘘や真偽が分からないものも多い。

 比較的信頼性の高い情報源から得た情報をもとに、自分なりに"クマノミ"を解釈していた悠士だが、実際に蛍斗を見ている医者の意見や、蛍斗の母親の意見を聞いておきたかったのだ。今は母親が担っている役割を、悠士が引き継ぐことになるのだから。


「"クマノミ"は、たぶん普通より子どもを欲しいと思う気持ちが強くなる」

「……俺がそうだって?」

「ただ子どもが欲しいだけなのか、俺の子どもが欲しいのか、と思って。いや別に前者でもいいんだ、けど」

「後者だよっ!」


 尻すぼみになる悠士の言葉を蛍斗が引き継いだ。


「俺バカだし考えなしだし本能で生きてるようなもんだけどでも誰の子どもでもいいとか思わないしつか子どもだけ欲しいとも思わないしっ」

「わかっ、分かった、分かったから落ち着けって」


 ぽかぽかと、いやぼかぼかと悠士の胸を叩く蛍斗をどうにか落ち着けようとするが、頭に血が上ったらしい蛍斗はまるで言うことを聞かない。


「悠士の赤ちゃんが欲しいって俺ちゃんと言った!」

「うん。うん、ごめん」


 自分に素直であるがゆえに、蛍斗の言葉はそのまま蛍斗の本心だ。

 簡単なことだった。悠士が難しく考えすぎただけで。

 蛍斗の手を握る。ぎゅっと握り返された。


「俺、考えたよ。ちゃんといっぱいまじめに考えた」

「うん」

「どうしたいのかなって、どうしたらしあわせになれるかなって」

「うん」

「考えて、そう思ったの」

「うん」

「悠士と一緒にいたい。悠士の赤ちゃん産みたい。そしたら俺、しあわせになれる」

「そっか」


 恋だの愛だのという直接的な言葉ではないが、それはもう熱烈な告白だった。

 ただただまっすぐに、悠士の心に響いて、震わせた。

 恋をしている暇はなかった。恋かもしれないと思う暇もなかった。

 今も、蛍斗に恋しているかと聞かれると返事に困るが――愛しているか、と聞かれたら頷ける。

 大事にしたいと思う。守りたいと思う。かわいいと思う。愛おしいと思う。


「蛍斗。俺と、家族になろう」


 だから、その言葉を言うことは躊躇わない。


「俺が十八になったら、結婚しよ――」

「するっ!」


 最後まで言わせてもらえなかった。プロポーズは人生の一大イベントだというのに。

 苦笑しながら、悠士はがばっと抱き着いてきた蛍斗をしっかり受け止めた。顔が見えないのが少し残念だ。悠士の好きな、あのふにゃりとした顔で笑っていたらいいと思う。

 何はともあれ、喜んでくれているようなので安堵した。

 悠士の首に手をかけたまま蛍斗が後ろに重心を傾けた。いつかの再現のように、二人してベッドに沈み込みながらキスに酔う。

 唇が離れた後、悠士と蛍斗は同時に口を開いた。


「とりあえず――ヤるか?」

「とりあえず――ヤろ?」


 二人は顔を見合わせて、またもや同時に吹き出した。

 それは二人の関係を変えた起点の言葉。そこからすべてははじまった。

 変えたとは言うが、まったく別のものに変わったわけではない。すでにあった基盤に、新たにいろいろなものがくっついて、他の誰にも代えられない、唯一無二の関係性が出来上がっていった。

 親友で、恋人で、家族で――少しずつレベルが上がっていく。これからのことも楽しみだと思う。だが、とりあえず今は恋人らしい時間を楽しもう。



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