08.彼女は彼氏に愛されたい。
体育祭に続いて文化祭も終わり、蛍斗の周囲は少し落ち着いた。
時間の経過と、それに交際宣言も抑止力として働いたのか、呼び出しの数は順調に減っている。即物的な手合いは相変わらずだったが、悠士が対応してくれるようになったのでだいぶ楽になった。蛍斗は悠士にくっついてにこにこしているだけでいい。楽だ。
ちなみに悠士の方の呼び出しは増えた。元男になら勝てると思われたのかどうかは知らないが、相変わらず悠士は応じていなかった。その辺は悠士の方が蛍斗よりも容赦がなかった。
本当は蛍斗もいちいち呼び出しに応じなければいいのだが。
「蛍斗は俺と付き合ってるから」
悠士に所有権を主張されるのは、ちょっとクセになる。
「……っ、彼氏がでしゃばんな!」
(いやいや、彼氏だからだろ?)
蛍斗が呆れていると、悠士も同じことを思ったらしく、蛍斗の心の声をそのまま代弁してくれる。
「彼氏だからでしゃばるんだろうが」
「ぐっ、お、俺は有賀と話がしたいんだ」
(俺は話したくねーよ)
そう思いつつ、ちらりと悠士の顔を見る。視線に気づいた悠士がだめだと言うように首を横に振ったから、蛍斗はおとなしく口を噤んだままでいた。
そのやり取りを見ていた男子は、何を勘違いしたのか勢い込んで蛍斗に迫った。
「有賀! お前の口から、本当のことを聞かせてくれ! お前の気持ちを――」
「あ、馬鹿っ」
悠士の制止は間に合わない。
「二度と顔見せんな変態」
蛍斗が言い放った言葉に男子は顔を青ざめさせ、蛍斗の隣で悠士が天を仰いだ。
「黙ってろって言ったろうが」
「だって本当の気持ちを聞かせろって言うからさぁ」
悪びれずに言う蛍斗に、悠士の顔は渋い。
悠士が蛍斗の代わりに呼び出しに対応するようになったのは、何も彼氏としての独占欲からだけではない。
蛍斗の「ごめんなさい」は相手を逆上させやすいのだ。もちろん相手に非があることも多いのだが、ただ男であるというだけで蛍斗にとっては罪深い。
うっかりさっきみたいな本音をぶちまけて怒らせてしまうのがオチなので、穏便に話を済ませるために悠士が引き受けてくれることになった。
「人の苦労を」
悠士はまだぶつぶつ文句を言っていたが、蛍斗はにこにこしたまま教室に戻った。
放課後の教室には数名の女子が残っているだけだった。
「有賀ちゃん、ご機嫌だね~」
「いやー、彼氏のありがたみをね」
「うーむ。有賀ちゃんはこの手の話あんま照れないの?」
「そんなこともないけど」
「じゃあじゃあ、今井くんのどこが好きー?」
「はっ!?」
「お、これは照れるんだ。なるほどなるほど」
「分析すんな!」
クラスの前で付き合っていることをバラした以上からかわれるのは宿命だ。たまにアウトな絡まれ方もするが、これぐらいなら蛍斗も悠士もいちいち目くじらは立てない。
「じゃあ今井くんは有賀ちゃんのどこが好き?」
矛先が悠士に向く。
蛍斗はどきっとした。それは蛍斗も気になっていることだったから。
悠士は、少し考えてから答えた。
「ん……秘密」
思わずぽかんと悠士の顔を見つめる。
それぐらい、悠士がやさしい表情で、やさしい口調で言ったから。
「あ、あぁ、そっか。うん、そうだよね」
答えをもらった女子も挙動不審になっている。
今のはかなり破壊力があった。
悠士にはこの手のからかいは通用しない。意識的に表情や口調を操るのがうまいからだ。蛍斗には絶対できない躱し方だ。
だが、今のは――直接的な言葉をもらうより、よっぽど心臓に悪かった。
付き合っているから、と言って大げさに何かが変わったわけではない。変えたわけでもない。多少恋人としての権利を主張したり利用したりしているぐらいだ。恋人らしいことは人目に付かないところでするに限る。
それでも時々こうして冗談なのか本気なのか分からない場面に遭遇して蛍斗は焦る。
いや、ただ追及を躱しただけなのだと分かっている。もしかしたら本気なのかもしれないと思ってしまうのは、たぶん蛍斗がそう思いたいからだ。
――秘密。
蛍斗のことも、蛍斗への想いも教えてあげないよ、と言われたような気がした。
ちらりと独占欲を覗かせながら蛍斗を守り、追及を煙に巻く。彼氏としては満点の答え方だ。とても敵わない。
「悠士」
「ん」
すでにいつもの悠士の顔に戻っている。
蛍斗が聞いたら、どうするだろうか。
(俺のどこが好き? いや、違うな)
本当に蛍斗が聞きたいのは。
――俺のこと、好き?
蛍斗自身が悠士に向ける感情については、まだ考えている途中だ。それこそ悠士の好きなところを上げていくのも一つの手だろう。なんだか恥ずかしくてまだやっていないが。
自分で考えなければならないとは思うが、つい悠士を頼ってしまいたくなる。先に悠士の答えを聞いて、それに乗っかりたくなる。
「……帰ろ」
「ああ」
結局聞けなかった。
聞いてはいけないと思うし、聞くのが少し怖くもある。今更嫌われているなどという残念なお知らせを受け取ることはないだろうが、よく呆れられているからたぶん言いたいことはいろいろあるのだと思う。どれだけのお小言を食らうことになるのやら。
外に出ると、すでに日が落ちかけていた。少し前まで暑さにぼやいていたのに、今は肌寒さを感じる。
制服のスカートは短い。いっそニーハイソックスでも履いてやろうかと蛍斗は思う。
「うー、さむい」
「スカートだからな。コンビニであったかいものでも買うか?」
「んー、それより早く帰ろ」
そう言って蛍斗は悠士にぴとっとくっつき、その腕を取って抱きしめた。
「体温分けて」
手を繋ぐのと迷ったが、たぶんこちらの方があったかい。
そう思った蛍斗の耳に、思いがけない言葉が降ってきた。
「……かわいいな、お前」
悠士がぼそっと漏らした単語に、蛍斗は目を丸くした。
「へ? え、え?」
そういうことを面と向かって言われたのはたぶんはじめてなはずだ。
むしろ「かわいくない」と言われた時のことを蛍斗ははっきりと覚えている。自分でも思いのほかショックだったようで、忘れっぽい蛍斗でもすぐに思い出す。
自分を美少女と形容するほどまでは開き直れていない。だって顔はほとんど変わっていないのだ。ささやかな男の矜恃ぐらい残していてもいいじゃないか、と思う。
とは言え、女になってしまった以上かわいく見られた方がいいということも分かる。かわいいかかわいくないかで言ったら自分がかわいい部類であることも知っている。「美人」や「かっこいい」という表現よりも似合うのは確かだし、悠士の認識も蛍斗の自覚とそう違わないはずだ。だから、見た目に関してだけなら言われたことはあったかもしれない。ただ、言動も含めた蛍斗の存在が、悠士にとって「かわいい」ものに相当するとは思っていなかった。
「……俺、かわいい?」
「と、思うぞ」
悠士は迷いなく頷いた。
「うあああぁぁ……っ」
蛍斗は顔を真っ赤にしてその場に蹲ってしまった。
突然赤い顔で道に座り込んでしまった蛍斗を訝しく思いながら、悠士も一緒に座り込んでみた。
「とりあえず足は閉じとけ」
悠士が正面に座っているから中身を見られることはないと思うが、往来で大股開きはいただけない。
未だに蛍斗に対する自転車禁止令は解除されていなかった。
「いきなりどうした」
「いきなりはそっちだろ! んなこと、今まで言わなかったじゃんっ」
蛍斗ががばっと悠士の胸倉を掴む。
「わりと前から思ってはいたぞ」
「はぁっ!? いつから!?」
「いつって言われても……あー、夏ぐらい?」
「けっこう前じゃん!」
ただ「かわいい」と言っただけでこの騒ぎだ。
昔の蛍斗がその言葉を嫌っていたことは知っている。だからあえて言おうとは思っていなかったが、それこそわりとよく抱く感想だったのでぽろっと口が滑った。やはりあまり言われたくない言葉だったのかと思いそうになるが、それにしては反応がおかしい。
「かわいくないって言ったくせに」
「それ、付き合う前だろ」
悠士は苦笑した。
「そりゃ親友をかわいいと思ったら最後だと思ってたからな」
「……?」
「お前に迫られて落ちない男はいないってことだよ。彼氏が彼女をかわいいと思うのは普通だろ」
「うあああぁぁ……っ」
まさかの追撃に、蛍斗は再び叫んで撃沈した。
一度かわいいと思ってしまうと、芋づる式にずるずると、しまいには何をしていてもかわいいと思えてくる。そうなりたくなかったら、最初からかわいいと思わなければいい。
親友として付き合おうと思っていた間は、むしろ「こいつはかわいくない」と自分自身に言い聞かせていた。そもそも蛍斗を見てかわいいと思わない男がいたらそいつの目は節穴だ。中身については一概にかわいいとは言えないが、素直で、甘ったれで、すぐ彼氏にくっついてくる――かわいくないわけがない。
周囲から彼氏彼女として扱われるのは思った以上に恥ずかしく、誇らしく、悠士もそれなりに影響されている。恐らく「俺の彼女、かわいいだろ」という無意識の優越感が、蛍斗をかわいいと思う気持ちを加速させている。
「ちなみにそれは怒っているのか悲しんでいるのか喜んでいるのか、どれだ?」
「ぐっ……よろこんでます」
「そうか、よかった」
「よくねー。何これ恥ずかしくて死にそう。埋まりたい」
「埋まるな」
校門前で座り込む怪しい男女の姿を、皆が何事かと好奇の目で見ていく。
蛍斗が気を取り直して立ち上がるまで、もうしばらく時間がかかりそうだった。
高校二年生の二学期も後半になると、卒業後の進路について考える時期だ。
蛍斗は配られた白い紙をぼんやりと見つめた。
進路希望調査票と書かれたそれは、文字通り高校卒業後の進路についての希望を調査するものだ。その後保護者を交えて面談し、三年時の選択科目の調整に入る。
早い者はとっくに決めてしまっているようだが、蛍斗は何も、まさしくなーんにも考えていなかった。
なりたい仕事なんて思いつかない。
昔に比べて大学進学率は伸びているし、高校生の大半は進学を考える。
蛍斗もなんとなく大学へ行く、というイメージを持っていたが、はたと気づいた。
悠士も大学へ行くだろう。その大学は蛍斗が入れるレベルだろうか。
蛍斗と悠士の学力には差がある。学校の授業だけでそこそこの成績をキープできる悠士は国公立にも現役で受かることができるだろうが、油断すると、いや油断しなくても追試とご縁のある蛍斗にはそんなことは不可能だ。
同じ大学に通えない。一緒にいられない。
ほとんど毎日顔を合わせている日常は、もう一年半もすれば日常ではなくなる。
(え……どうしよう……)
別々の大学へ進んで、今までと何も変わらないはずがない。
まず会える時間が激減する。最悪週末だけしか会えない。大問題だ。
蛍斗の面倒を見てくれる人がいない。誰も代わりにはならない。なれない。
蛍斗が一人で何もできないわけではないが、なんだかんだ悠士が干渉してくれるのが嬉しいのだ。甘えるのが好きなのだ。それが、できなくなる。
蛍斗は思い悩んだ。
思い悩むことに慣れていない蛍斗が悩むとろくな結論には至らない。それは蛍斗の心情を素直に反映したものだが、それゆえに周囲にしてみれば極論あるいは暴論ともなる。そして、その最たる被害者は悠士以外にあり得なかった。
今日も今日とて蛍斗は悠士の家に来ていた。
「なぁ、悠士」
「ん?」
「今日は、うんと激しくして」
「……どうした?」
蛍斗の方からわざわざリクエストしてくるなんて、と悠士は違和感を覚えた。
最近の蛍斗は肌寒い所為か、いつにも増して悠士とくっつきたがるし抱き合いたがる。
自分の楽しみのために時間を費やすことがあまりなかった悠士である。これでいいのだろうか、という思いは消えない。もちろん蛍斗と一緒に時間を過ごすのも、行為自体も嫌なわけではない。むしろこの上なく満たされる。
だが、悠士をベッドに誘う蛍斗の様子がどこかおかしい気がするのだ。不安げというか心細げというか、何かを怖がっているような印象を受ける。行為に没頭して現実を忘れたがっているようにも見える。
蛍斗が望むものは与えたいと思うが、悠士自身も望んではいるのだが、思考の停止を是とすることが正しいとも思えなかった。
悠士の疑問の声を無視して蛍斗が膝に乗り上げてくる。合わせた唇の隙間からは乱れた呼吸音が漏れる。
そのまま流されそうになる寸前、悠士は先に聞いておかなければならないことを思い出した。
「蛍斗、進路の紙もう出したか?」
「あー……まだ。悠士は?」
数日前に渡されたそれについて、悠士もまた迷っていた。
経済的なことを考えて国公立の大学に進学する、と高校入学の時点でほぼ決めていた。
しかし蛍斗と付き合うことになり、一生面倒を見ると約束した。恐らく早いうちに、もしかしたら十代のうちに結婚するかもしれない。まだ具体的に話し合ったことはないが、やることはやっているのだ。それを考えると、早い方がいいだろうとは思っている。
果たして大学に行っている場合だろうか、とも思うのだ。親から経済的に自立するまでは積極的に恋愛したいとも思っていなかった悠士である。恋愛どころか結婚すら考えている、と一年前の自分に言っても信じてはもらえまい。
ともかく、蛍斗と早く結婚するならその分経済的に自立する時期も早めなければならない。大学よりも専門学校へ、進学よりも就職を、どういう進路を取るのが最善なのか迷い、だがそれは一人で決めることでもないかもしれないと思い直した。蛍斗と相談した方がいい。
「大学に行くつもりだった、んだが――」
「あのさぁ、悠士」
「ん?」
悠士の言葉を遮っておきながら、蛍斗が言いよどむ。
「……俺、悠士の赤ちゃん欲しいんだ」
「…………は?」
久しぶりに、蛍斗の爆弾発言を聞いた気がした。




