07.彼女は彼氏を見せつけたい。
八月の終わりに初潮を迎えていた蛍斗が二度目の生理に見舞われたのは、初潮から一か月半後のことだった。体育祭にカブらなかったのは幸いだが、最初のうちだから不順なのか、体質的に不順の傾向があるのかはまだ分からない。
およそ一か月の周期でそれがやって来る、という意識はまだない。来ていない、ということに危機感すら抱かない。悠士とやることはやっているのに、である。
幸い生理痛はごく軽いもので、生活に支障が出るようなことはなかった。
それよりも、と蛍斗は思う。
(女ってすげぇ)
真っ赤に濡れる下着を最初に見た時、蛍斗は気を失いそうになった。それほど衝撃的な光景だった。あまりの恐怖に階下の母親を大声で呼んだくらいだ。
トイレで用を足す時、白を背景に滴る赤い血という鮮やかなコントラストにがりがりとメンタルを削られる気がする。
女は血が苦手な生き物だと思っていたが、毎月こんなものを見ていてんなわけあるか、と蛍斗は考えを改めた。
血生臭い映画より、こっちの方がよっぽど怖い。
体育祭が終われば、次は文化祭だ。
「やっぱ有賀ちゃんに売り子やってもらいたいよ」
「そうそう、今や学校一のモテ女」
「だから嬉しくねーって、それ」
「でもきっと集客力すごいよ?」
悠士たちのクラスでは喫茶店をすることになっている。
ただ飲み物とお菓子を出すだけではつまらない、ということで趣向を凝らすべく皆で意見を出し合っているところだった。
「それか、高いメニュー注文してくれたら有賀ちゃんがコスプレのリクエスト受けてくれるとか」
「あ、それいい!」
「よくねぇ! なんでさっきから俺ばっかなんだよ」
「そりゃあ有賀ちゃんがうちの目玉だからだよぉ」
「ただの客寄せパンダじゃねぇか!」
教室の中央で固まっている女子たちを、遠巻きに男子が眺めている。蛍斗の説得は女子の役目だからだ。蛍斗に近づくことさえ許されない男子たちはなぜか悠士の周りに集まっていた。
「おい、悠士」
「お前から説得できねーの?」
「何を」
「だからほら、こう"萌え"な服着てくれって」
「……参考までに具体例を求む」
「メイド服とか」
「ナース服とか」
「チアガール!」
「スク水!」
「却下。途中から明らかにおかしい」
「お前だって見たいと思わん?」
「別に。見たかったら家で着せる」
「「「……」」」
男子たちがなんとも言えない表情で口を噤んだ。
だが、悠士は何もおかしなことは言っていない。恐らく悠士が着てほしいと言えば蛍斗は着てくれると思う。その辺りは男だった頃の感覚でノリがいい。ただし、それを第三者にも見せる必要があるかと言えばそんなことはない。わざわざ学校で蛍斗を晒し者にしなくても、悠士には何ら不都合はないのだ。そもそも具体例の中に悠士が"萌え"るものがなかった。
「友だち甲斐がないぞ」
「友だちなら友だちの彼女でよからぬことを考えるな」
よよよ、と泣き崩れるクラスメイトたちに正論を突き返す。
「お聞きになりまして? あのお堅い悠士の口から『彼女』ですって」
「『彼女』なんか作っちゃって。でもやっぱお堅いしー!」
「しかも蛍斗だぜー? ちくしょー、なんでだよぉ」
「つか悠士、束縛タイプなのかよ。男は鷹揚でなくちゃいかんぞ」
「なぁ、何やったらあんな懐かれんの?」
「普通に接してただけ」
「うそだぁ! 普通に接したら俺避けられた!」
「……人と話をする時は顔を見て話せ。蛍斗は自分もそうだったからそういう視線の動きには敏感だぞ」
「「「あ」」」
どいつもこいつも心当たりがあるらしい。やはりあの胸は悩みの種だ。
悠士も初見時は思わず見てしまったから分からないでもない。男であればそこに目が行ってしまうのはある程度不可抗力だ。とは言え彼氏としてはおもしろくないし、本人も嫌がっている。
「だいたいなんで俺が客のリクエスト受けなきゃなんないの。絶対やらしいのあるじゃん」
蛍斗の方もまだ抵抗していた。あれだけ女子に囲まれて折れないのは強いと思う。
「じゃあじゃあ有賀ちゃん誰の言うことなら聞いてくれるの?」
「誰って……悠士?」
「あー、まぁそうだよね。うん、そうだと思った」
「他は? 他」
「いねー。ろくなこと言いそうにないもん」
「あちゃー……しっかし有賀ちゃん、ほんと今井くんのこと信頼してんね」
「そらそう……あ、じゃあさ、悠士がリクエスト受けたらいいんじゃん」
「え?」
蛍斗が何やらおかしなことを言い出した。
「だからぁ、悠士の言うことだったら俺聞くし。客が依頼して、悠士が命令して、俺がやるの。どう?」
「どうって……」
「有賀ちゃん、それは……」
「あれ、だめ?」
「おもしろそうだけど、たぶんだめだわ」
「なんで」
「今井くんが全部却下しちゃいそう」
「悠士が全却下するようなリクエストしかない方が問題じゃね?」
そのうち蛍斗が女子全員連帯責任を言い出した。つまり、全員が同じ服を着るならば蛍斗もそれを着るということだ。蛍斗にしてはうまいやり方だった。
自分も着るとなると蛍斗に無茶を言う者もいなくなり、最終的に多少メイドチックなエプロンドレスに落ち着いた。男子はギャルソンスタイルになった。
文化祭は二日間にわたって開催される。
蛍斗と悠士は一日目の午後と二日目の午前にクラスを手伝った。
ただのエプロンドレスでも客寄せパンダとしては十分だったらしく、蛍斗たちのクラスは大繁盛だった。食品衛生法の関係上飲食物を提供しているクラスが少ないというのも要因の一つだったかもしれない。
指名率は蛍斗がダントツだった。そもそも指名制など想定していなかったのに、男の客が大抵蛍斗に注文した品を持ってきてもらいたがり、クラスの連中がそれに便乗した。あまりにも忙しすぎて一日目はくたくただった。
二日目は蛍斗が労働環境の改善を訴えたので、指名制ではなくガチャ方式が採用された。数人いるウェイトレスの誰に当たるかはお楽しみという、要するに飲食店としてはいたって普通だ。それでもそれなりに忙しく働き、昼過ぎにようやく解放された。
さて今日はどうしよう、と蛍斗は考えた。体育館では有志によるライブなんかも催されているがあまり興味がなかったし、めぼしい模擬店は一日目に行ってしまった。
ちなみに一日目の午前は、遊びに来た母親を連れていろいろなクラスを見て回った。もちろん悠士も一緒だった。
誰かが発案していたコスプレ大会は他のクラスで開催されており、蛍斗は母親にせがまれてフリフリのゴスロリを着る羽目になった。悠士は何もリクエストしなかったが、ゴスロリファッションに身を包んだ蛍斗を食い入るように見ていたからよしとする。
「どうする、悠士?」
「展示でも見るか」
「それ何が楽しいの」
「制作者が泣くようなこと言ってやるなよ」
それなりに人で混み合う廊下を並んで歩く。
相変わらず蛍斗には視線がよく集まっていた。他所の学校の生徒も混じっているようで、声をかけたがっている気配をひしひしと感じる。
(ナンパなら他所でやれ)
蛍斗はイベントが好きだ。見世物にされるのは嬉しくないが、見るのも参加するのも楽しい。楽しむべきだと思っている。その気持ちに水を差さないでほしい。
蛍斗は悠士の腕に自分の腕を絡めて胸を押しつけた。これでも声をかけられるものならやってみろと挑発するかのように。
「蛍斗?」
必要以上にくっつく蛍斗に、悠士が困惑の声を上げた。驚いているようだが、拒まれてはいない。そもそも蛍斗は拒まれるとも思っていない。
蛍斗はただにこにこと悠士を見上げた。
「あー……うん、なんか言いたいことは分かった」
こういうイベントは、それこそ恋人同士が結ばれるきっかけになったり思い出作りになったりするものだ。たまには普通の彼氏彼女のようなことをしてみてもいいだろう。悠士はイベントだからと張り切るタイプではないが、ノリが悪いわけでもない。蛍斗が手を握ったら、ちゃんと握り返してくれた。
見た目にはただのカップルだ。校内では"クマノミ"として好奇の目を向けられている蛍斗だが、外部から来ている人間には普通の女の子に見えているはずだ。
蛍斗の機嫌は上昇した。
昨日は特に興味を引かれなかった模擬店をひやかして回る。ただ二人でくっついて歩く、という行為を楽しむために。
賑やかで、行き交う人の表情はみんなどこか楽しげで、だから蛍斗はイベントが好きだ。この特別な空気感が、一旦嫌なことは忘れて楽しんでしまえ、という少し投げやりで刹那的な感覚が好きだ。
しかも、隣には悠士がいる。楽しくなければ嘘だ。
――日常を忘れて楽しむ。
――思い出作り。
普段ならできないことをして思い出を作る。そう考えて真っ先に思いつくのがアレ、というのは自分でもどうかと思うが、一度考え出すと止まらない。
だってこれだけ悠士にくっついているのだから、その体温を感じてしまったから、と正当化する。
イベントの楽しみ方としては間違っているような気もするが、忘れられない思い出になるのは間違いない。
(うん、そうしよう)
即断即決即実行――それが蛍斗だ。
「悠士、悠士」
「ん?」
腕を引き、悠士の耳に唇を寄せて小さく言った。
「……トイレ」
「……行ってこい」
「悠士も来て」
悠士の腕を抱いたまま、蛍斗は歩き出す。
そのまま悠士を拉致した。
胸が当たる。
その豊かな胸を惜しげもなく悠士の腕に当ててくる。腕に抱き着いているのだから当然そうなるに決まっているのだ。悠士にしかしないと分かっているからぐっと我慢できるが、傍で見ている男子たちの妄想の中ではどういう扱いになっているか、想像するのもなかなか腹立たしい。
蛍斗が男に触れることを厭わない、と勘違いされないために、学校での身体的接触はできるだけ避けてきた。あくまで元親友という関係を逸脱しない程度に抑えてきた。
だがやめた。抑えるのは、やめた。
恋人同士で触れない方がおかしい。触れてくる蛍斗を拒む理由もない。
だんだんと人が少なくなる。人気のない方へと蛍斗は進んでいく。蛍斗がどこへ向かっているのか、途中で悠士は気づいた。
悠士の予想通り、蛍斗は特別棟に入っていった。展示のために開放はされているが閑散としている。
しばらく蛍斗が使っていた特別棟のトイレを日常的に使用する者はほとんどいない。
特別棟はその名が示すように特別教室の集まりだ。生徒の出入りは頻繁だが、各階に個室が一つだけで、しかも男女共用のトイレを使う者は少ない。女子は男子とかち合うのを嫌がり、男子はわざわざ個室を使おうとしないからだ。数か月利用していた蛍斗はそれを知っていたし、蛍斗に付き合って足を運んでいた悠士も知っている。
ここで誰かとばったり鉢合わせしたことは一度もない。準備室を使う教師がふらっと立ち寄ることがあるので不良の溜まり場になることもない。長時間使用中になっていたところで誰も文句を言わない。
女子トイレの使用許可をもらったはずの蛍斗がなぜわざわざここへ来たか、理由はもちろん人目に付きにくいからだろう。
もつれるように、一緒に個室へ入った。中に洗面台が付いていて少し広めだが、もちろん二人で入ると狭く、すぐに壁に行き当たる。
「おい、蛍――」
悠士の呼びかけは蛍斗に飲み込まれた。壁に背を預けた状態で、身体を押しつけてくる蛍斗のキスを受け入れる。
すぐに主導権を奪い、舌を絡め、吸って吸われて、キスに没頭した。
しばらくして唇が離れたところで、悠士の口からは溜め息がこぼれた。
「お前の発情のタイミングが読めない」
「ん-、楽しいから?」
「は?」
「人いっぱいで、みんな楽しそうで、自分も楽しくなって、隣見たら悠士がいて――ヤりたくならない?」
「……」
たぶん、ならない。
悠士の思いは言葉にならなかった。
返事をする代わりに、悠士は体勢を入れ替え、蛍斗を壁際に追い詰めて逃げられないように腕で囲い、彼女の脚の間に自分の脚を差し入れた。
求められたら応えたくなるのは彼氏として正しい反応だろう。
挑発した蛍斗が悪い、と自分に言い訳しながら蛍斗を壁に押しつけて、もう一度その唇を味わおうと顔を近づけた。
高校二年の文化祭。
その思い出はとても人に話せない。




