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白金少女の物語  作者: 北野紅梅
序章 日常
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第九話 <ブルアの雨>

ヒーナ率いる義勇兵の部隊は、山賊たちを簡単に片付けてしまった。

義勇兵も守備隊も一人も失うことなく、しかもほぼ無傷であったのだが、代わりに兵舎は焼け落ち、周りの建物も少し類焼した。

夕方から本格的に雨が降り出した事もあり、燃えていた建物の火はあまりひどくならずに鎮静化した。


そんな軽微な損害で済んだと、ヒーナは沢山の喝采と賛美を受けた。

義勇兵からもブルアの守備隊からも、そして、町の人たちからもである。


ヒーナたちは、燃え落ちた兵舎跡の地下入り口に蓋をして、二十名程の見張りを置いて一晩監視する事にした。


夜になっても雨は止まず、帰ってきたライズと共に、ヒーナ達は取り合えず祝勝会を開く事にした。


通常は広い兵舎の食堂や広間が会場となるが、そこは焼け落ちてしまって雨ざらしである。

町の議事堂を借りて、百名弱の四交代で宴会をする事に決めた。

勿論、ヒーナ、ヤード、セルドにライズといった隊長たちはでずっぱりであった。


町の代表の者が十名程、それに、若い町の女が数十名、さらに、男たちを相手にする商売の女たちが数十名集まり、会場になった町の議事堂は酒場、盛り場のような様相を呈した。


そんな歓喜の喧騒の中で、ヒーナは、祝辞を述べに来た町の代表者に、

「焼けてしまった家の人に謝罪したい」

と申し出た。


「こちらで言っておきます」

という町の代表者であったが、

「私の作戦のミスで迷惑をかけたのです、私が謝らないと…」

と、ヒーナは頑なだった。


そんなヒーナを見てベッヘルが、

「じゃあ、その家の人間が、何か損害を補償しろとでも言ったら、ミツカイ様はどうするんだぁ?」

とヒーナにたずねる。


ヒーナは浮かない顔をそのまま、ベッヘルに向けた。

眉の両端が下がって、いかにも困った顔をしている少女を見て、山賊上がりの男は少し笑いそうになった。

「千人以上の兵を持つ師団になれば、その軍資金の中から補填するのだろうが…」

そう言ってから胡椒入りワインを一口飲んで続けた。

「普通は、町が助かったんだから、補償も何も、命があっただけマシだと思うもんですぜ…例えば、強盗に襲われたからって被害分を、あなたが払う事はないでしょ?」


ヒーナの表情はより暗くなった。

ベッヘルの言う事はよくわかる。それを気にしていては人々を守るという大義を果たせない場面もあるだろう。

しかし、自分が出した損害なのだから謝罪くらいはしたいという気持ちも強い。


「道理は分かるのですが…そんなものですか?」


「世の中はそんなもんですぜ。そんなことで悩んでないで、ミツカイ様も飲みなぁ~」

ベッヘルは軽くそう言うと、ヒーナの前のカップを指差した。

そのカップには並々と赤黒い葡萄酒が入っていた。


「世の中の道理なんてどうでもいい!」

ヒーナは当然そう叫んで立ち上がった。

目には涙を浮かべていた。


今までワイワイと楽しそうな飲み会の雰囲気が、一気に静かになって凍てついた。


ベッヘルは鋭い視線でヒーナを見つめる。

ヒーナは、そんなベッヘルを涙を浮かべた目で見つめ返す。


「私は今日、沢山の人を殺しました…焼き殺したんです。…でもそれは山賊達がしてきたことを考えれば当然の罰とも言えます。でも、今日家を焼かれた人は、何で焼かれなきゃならなかったのですか?!しかもその町を守るべき味方である私に焼かれたのです…」

そう言うと、一つ、大きな涙の粒がポロリと落ちた。


「ミツカイ様、あんたはその代わりに、ここにいる兵士達の命を守った。一人も失うことなく、町の者も一人も殺されず、山賊どもは全員退治した。これは物凄いことですぜぇ?」

そう言いつつベッヘルはワインを口に運ぶ。


周りの人々もそれに頷き、口々に賛同した。


ベッヘルは、口の周りに付いた、ワインにたっぷり入っている胡椒を左腕で拭いながら、

「それよりまだ完璧を求めるのは、ちょっと贅沢じゃあないですかねぇ~?」

と、鋭い目だが、なんとも思ってないような口調で言った。


「私は皆さんを率いる立場です。なるべく戦わず、皆さんが傷付かず、楽に勝てる様に考えるのが役目です」


ヒーナは涙を右腕で拭いながら、

「だけど、皆さんが戦う理由はこのフランを守る為でしょ?フランの人々を守る為なはずです。それを私は…その人達の家を、私は焼いたのです…」

と訴えた。


聴いていたベッヘルはピクリと頬を動かした。

「じゃあ聞くが…ミツカイ様。もし山賊が町の人を人質に取って逃げようとしたらどうしたね~?」


ベッヘルの問いに、ヒーナは全く考える間もなく、

「人質に構わず、山賊たちを殺すよう指示しました」

と即答した。


「なぜ?」と聞くベッヘル。

小娘の先程の言い分と、矛盾がある。


「山賊を野に放つ方が被害が大きいからです。それに、山賊を逃がしても人質が無事とは限りません…」

というヒーナの答えに、ベッヘルはニヤリと笑った。


「笑ってる場合ではありません。ベッヘルさん、私たちが討ちもらした山賊を退治してくれたそうですね…」


ベッヘルは、イタズラが見付かった子供のような顔をして、ガモの座っている方へ首を回した。

こちらを静観していたガモは、それで視線を反らして、素知らぬ顔で料理を食べ始めた。


「今度からは私に言ってから行動して下さい。ベッヘルさんたちに何かあったらどうするんですか…」

ヒーナが困った顔で大の男に苦言を言う。

ベッヘルの頬がまたピクリと動いた。


ベッヘルの部下は三百人いたが、今ブルアの町にいるのは五十人ばかり。

山賊団の骨遊び一家として潜入していたのは二十、連絡や偵察係が二十、実質、呪い藤を倒した時には十名しかいなかった。

呪い藤はその倍の二十人はいた。

だから積極的に攻撃せずに追跡するだけに留めていたのだが、山賊たちが町の住人を人質に取ると言い出したので出て行かざるを得なかった。


確かに無謀な行動だった。

ヒーナに報告し、骨遊び一家として潜入させいた兵を連れて行けていれば、もっと簡単だったかも知れない。


ランド率いる町の守備隊五十名が間もなく来るまでという状況ではあったし、弓矢で先制攻撃をかけた後という事でもあったが、まだ数的に不利であったのは否めない。

山賊団の頭である眼帯の男アンクロズを討った事でいけると思ったが、逆に、追い詰められて開き直った山賊の反撃により、負傷者を出してしまっている。


「参ったね、こりゃ…」

ベッヘルは有効な反論ができないまま頭を掻いた。


そこへ、アンナがやってきて、立ったままのヒーナに向かって持っていたカップを差し出した。

「山賊退治が終わったんです、今はそれを喜びましょう。そういう宴会でしょう?」

カップの中には茶色い液体が波打っていた。


これは何かと聞きたそうな顔のヒーナに、先んじてアンナが、

「港町ガガリアで手に入る輸入物の高級紅茶です。それを少し甘くして、風味付け程度にブランデーを垂らしています。そんな、酔う程ではありません、雰囲気程度です」

と説明して、味を見るように促しながら傍らに控えた。


ヒーナは一口含んでみた。

茶葉を煎った芳ばしい香りが口に広がり、同時にブランデーの香りも湧いてくる。

ブランデーのアルコール部分を感じきってしまう前に、紅茶の甘味が出てくる。

おかげでブラックコーヒーが苦手で、お酒を飲めないヒーナでも、美味しく飲む事が出来た。


少し明るい表情になったヒーナは、

「美味しいです、ありがとう」

とアンナに伝える。


アンナは納得して給仕の仕事に戻っていった。


そんなやり取りの間に、ベッヘルはこっそりと宴会場からいなくなっていた。


副隊長ヤードが隣にやってきて、ヒーナの方に少し屈み込み、ヒーナにだけ聞こえるような声量でこう言った。

「座って下さい、兵達に勝ちの喜びと、戦闘という緊張からの解放を与えるのも指揮官の役目です。上が楽しく飲食していないと、下の者は安心して騒いだり解放されたりしません。それとも、皆に何か言いたい事でもありますか?」


言われてヒーナは、今の自分の言動にハタと気が付いた。

アンナまで心配して、特別に飲み物を作ってくれたのだ。

反省して座ろうと思ったが、自分は皆の注目を集めている事に気付いて、急に真っ赤になった。


「あの…すいません…」

何か言わないとと思って出てきた言葉がこれだった。

だが、これでは、座って料理を食べ始めても元の雰囲気に戻らないだろう。


「えっと…」

ヒーナは言葉を続けた。


「まだ地下に山賊を残した状態です。山賊は何名残っているか分かりません」

ヒーナの言葉で、皆の顔が少し緊張した。


「でも、今日は無事に仕事を終えたことを祝いましょう。それから…皆さんが無事で、ホントによかった!」

ヒーナは少し笑顔を見せた。


「ミツカイ様に乾杯!」

ガモがカップを高く上げ、よく響く声でそう言うと、慌てて他の義勇兵たちもカップを上げて「乾杯!」と唱和した。




「どうしたんですかい?」

ベッヘルの部下の一人、骨遊びの頭を演じていた人相の悪い小太りの男が、外に出てきたベッヘルに声をかけた。

彼の名はコールという。

ベッヘルに古くから仕え、信頼関係にある部下の一人だ。


外は相変わらず雨足が強い。

二人は議事堂の軒下の乾いた壁にもたれ掛かった。


ベッヘルはおもむろにパイプを取り出すと、コールが吸っているパイプの草と火を借りて、一呼吸、煙を吐き出した。


「お頭…いえ、隊長らしくないですぜ?」


ベッヘルはもう一つ煙を吐くと、

「少し、熱くなっちまったかなぁ…」

と顔をほころばせた。


「でも、やっと仕えるべき上官を見付けたって顔ですぜ?」


部下の言葉に驚いたベッヘルはその男の顔を少し見つめてから、

「バカ言うない~。あの娘はなぁ、…そうだなぁ、物凄い傑物か、ただの馬鹿か…だなぁ」

と言って少しにやけ、真っ黒な雨空を見上げた。


昼過ぎから降り出した雨は止まず、大きな雨粒が降り注いでいた。

この分だとこの夏のブルア湖は渇水しないだろう。

水不足にならないだろうが、代わりに溢れ出して浸水するかも知れない。

第一、この広場は造り的に水害に会い易い。


「火事の後は洪水かなぁ~?」

ベッヘルは冗談めかしてそう言うと、ふと足下に視線を落とした。


議事堂に上がる五段ある階段の下には、既に水が波打ち、木屑や黒い燃えカスが打ち寄せている。


「これは…不味いなぁ…」

ベッヘルはパイプを逆さまにしてポンと叩き、パイプから火を落とすと隣にいる男に、

「縄を持ってこい、なるべく長いのをだ!」

と命令して議事堂に戻って行った。




ベッヘルからこっそりと報せを受けたヒーナは、急いで議事堂を出た。

それを見たヤードも後を追う。


ベッヘルが案じていた通り、兵舎の焼け跡にある地下牢には水が入っていた。

ちょろちょろと流入しているが、水量はまだそれほど多くないように見える。


「地下に降りると、腰まで水に浸かります」

兵士の一人がヒーナに報告した。


「中の山賊を助け出しましょう」

ヒーナは躊躇なくそう言い放った。


「何言ってるんだミツカイ様ぁ?どうせ奴等は死罪になる。このまま死なしても構わないんじゃないかぁ?それどころか、中に入ったら出られなくなるかも知れんし、中の奴等に何をされるかも分からんぞぉ…」


「取り合えず出てくるよう呼び掛けます」

ヤードはそう言うと見張りの兵士達と共に山賊たちに呼び掛けた。

ぞろぞろと青い顔の男が二十名ばかり出て来て、出てくるそばから縄を打たれ、連行されて行く。

その山賊たちの顔からは既に毒気が抜けていた。


中にはもう居ないかとたずねても、皆一様に分からないと答える。


だがその中の一人が、

「そう言えば隣の部屋からは声が聞こえたが…あれは無理だ。扉が開かなくなってたぜ…」

と答えた。


煙を避ける為に扉を閉めきっていたが、隣は水が入ってきたのにその扉を開かないでいた。

それが災いし、もう水の重みで扉が開かなくなってしまっているらしい。


それを聞いたヒーナが地下に飛び降りた。

ヤードは見張りのランプを奪うと、慌ててヒーナの後を追う。

ベッヘルも部下が持ってきたロープを持って、ヒーナの後を追った。


「命がけでまで、なんで助ける?!」

先を行くヒーナにベッヘルが叫ぶ。

足下の階段には水が流れて地下へ注いでいる。


「まだ彼は死ぬ時ではありません…そんな気がするんです…」

そう答えた直後にヒーナは小さな悲鳴を上げた。

地下牢まで降りて来たヒーナは、階段の下の汚いゴミ混じりの水に浮かぶ死体を見たのだ。


「こんな中に突っ込んで行く価値があるのかぁ?」

ベッヘルが言う。

「ヒーナ様、危険です。戻りましょう」

ヤードも説得にかかる。


しかし、ヒーナは返事代わりに無言で水に飛び込んだ。


水がヒーナの胸元まで来ている。

その水は徐々に水位を増しているようで、一つ一つの扉を叩いて中を確認している間に、水位は肩まで来た。


ヤードとベッヘルはヒーナよりも背が高いが、それでも腹まで水に浸かり、持っているランプを高く掲げないと水に浸かってしまうような有り様であった。


「ヤバイぞ、戻らないと…」

ベッヘルが浮いている死体を確認しながら呟く。

ヤードも同意のようで、深く頷いた。


その時、

「この扉の向こうに、人が居ます!」

とヒーナが叫んだ。


そこは一番奥にある扉であった。

確かに、「助けてくれ」と懇願する声が水音の中でかすかに聞こえる。


ベッヘルとヤードが急いで水を掻き分け扉に近付いたが、それをヒーナが制する。

「この扉は今、人の力では開きません!」

叫ぶようにそう言うと、二人に下がっているように指示した。


「扉の向こうの人、なるべく扉から離れて、横の壁にぴったりくっついて下さい!奥の壁はダメです!横の壁ですよ!」

とヒーナが扉に向かって叫ぶ。

間もなく、「いいぞ!」と叫び返す声がした。


ヒーナは扉から少し離れる。

一呼吸の後、ヒーナの前の水が光った。

そして、少女の前から水が消え、光がヒーナの前にある何もかも飲み込んで行く。

汚い水も、扉も、壁も…。


そして、飲み込んだ光はすぐに消えた。


「今のは何だ…?」

ベッヘルも、牢の中にいた山賊も、しばし呆気に取られていたが、ヒーナが「早く出て!」と叫んだ事で状況を思い出した。


今ので少し水かさが下がったが、ヒーナの首まで来ていたのが肩までになった程度であった。

しかも、中に詰まっていた水に新たな空間を与えた事で、牢の奥に向かって激しい水流が出来てしまった。

ヤードがヒーナの腕を握ってくれていたが、流されずに立っているので精一杯である。


「よし、皆!これに掴まれ!」

ベッヘルが持ってきたロープを差し出す。

全員がそのロープを掴むと、

「引っ張れ!」

とベッヘルが指示した。


最初はズルズルと簡単に引けたが、間もなくしてロープが地上へ引っ張られて行く。


「掴まれ!放すなよ!」

階段まで引っ張られた後、ヒーナ達はロープを放して階段を駆け上がり、なんとか無事に地上まで上がって来た。


地上では、心配して見に来ていたアンナと、セナとジュリア兄妹が、雨にうたれながら三人でかたまって立っていた。

ヒーナが出てきた時、三人は慌てて駆け寄り、安堵した表情で抱き付いた。


アンナなどはヒーナの肩を抱き、頬を寄せ、まるで胸につかえていた不安や心配を吐き出すかのように、「無事でよかった…」と溜め息をついた。


地下から出てきて一息ついてから、自分のした事、あの中で死ぬかも知れなかった事に思いが至り、だんだん恐怖が湧いてきた。

しかし、アンナに抱き付かれ、アンナの温かみのおかげで良くない感情が溶かされていく。

ヒーナは照れ臭くはあったが、もう少しこうして抱き付かれていたいと思った。


その時、

「兄ちゃん、アレ…」

とジュリアが男を指差した。

その男はヒーナが地下牢から救出した男である。


「あの時の…」

セナもじっと、縄を打たれて連行されるその男を見つめている。





翌日、ヒーナは燃やしてしまった家に謝罪に訪れてから、昨日地下牢から助け出した男を自室へ呼び出した。


義勇兵たちは、半分燃えた兵舎の宿泊棟ではなく、議事堂の二階や三階にある休憩室やら小会議室を、宿泊用に改造して寝泊まりしていた。


改造といってもたいした事はない。

大きな机を運び出し、ベッドやテーブルや毛布やらを運び込んだだけであった。


ヒーナの自室は、議事堂の三階にある小さな会議室に、ベッドやらテーブルやらを運び込んで急きょ作られた。


その部屋の扉がノックされ、ブルアの町の守備兵数人が、一人の男を縄に繋いで連れて来た。


その男は細い眉で、鼻もアゴも目も尖った、まわりに比べても少し背の低い小男であった。

短く、薄い茶色の髪で、目の色は片目が灰色、もう片方が濃い茶色であった。

左耳の下側、耳たぶが、切り取られたように直線になくなっている。


ヒーナはその男の縄を解くように命じた。


躊躇する守備兵達に、

「私にはアノ力があります。逃しもしなければ、襲われもしませんよ、ねえ?」

と縄で縛られた男を見ながら言った。

男も恐縮しながら、

「まったくで…」

と答えていたので、守備兵達は渋々縄を解いて、何かあったら直ちに駆け付ける事を念を押し、退出した。


「アッシに何の用で…?」

冷や汗のようなものを額に滲ませながら、男は問いかける。

縄がキツく縛られていた両腕を胸の前でさすって、いかにも怯えている様子であった。


「地下牢の様子を聞きたくて…」

とヒーナが答えたところで、アンナがカップを二つお盆に乗せて入ってきて、その一つを男の前に置いた。


「飲んで下さい」

ヒーナが勧めると、

男は意を決したように、湯気の上がっているコーヒーを飲み込んだ。


それを見たヒーナは、

「アンナの淹れたコーヒーは、美味しいですよ」

と言って微笑んだ。


「…牢の中の事、ですかい?」

恐る恐る男が問う。


ヒーナはこくりと頷いて自分のカップを傾けた。

しばらく沈黙した後、観念したのか、男は牢の中であった出来事を、ポツリポツリと語りだした。


自分は最初に地下に入ったこと。

地下に降りたのは四、五十人程度で、それ以外は皆焼け死んだこと。

大火傷を負って降りて来た仲間十人ばかりを、一番奥の部屋にかくまって看病していたこと。

そして、洪水が起こり、火傷で立ち上がれない仲間は水死したこと。

あの部屋で助かったのは自分だけであったことを話した。


最後に、

「うまい儲け話がある、と、知り合いの山賊に誘われてここまで来てみりゃ…今はこのザマでさぁ…」

と言いながら、涙ぐんで鼻の下を拭った。


「そうですか…分かりました。情報提供の功を認め、あなたを無罪放免します」

ヒーナはそう言うと山賊をじっと見た。


あまりに意外な言葉に、山賊はその意味を理解するのに少し時間がかかった。

「え…?なんと…」

しばらく言葉を失っていたが、その後すぐに我に返って頭を振ってから、

「いけません…」

と答えた。


「それでは、死んでいった奴等に顔向け出来ねぇ…」

男はうつむきかげんに、辛そうな表情で、そう吐き出すように言った。


ヒーナは軽く溜め息をついて、

「一匹狼の盗賊グリュー、またの名を鼠のグリュー。あなたの名前はそうですね?」

と、小男にきいた。


小男、鼠のグリューは、少し唖然としてから、

「まったく…ミツカイ様にはかなわねぇや…」

と言って頭を手で押さえた。


「私は、幼い二人の兄妹から聞きました。あなた達に襲われて皆殺しにあったイノック村で、あなたは山賊側でありながら、幼い二人を助けましたね。しかも、その二人を殺そうとした山賊を殺害してまで…」

ヒーナはじっとグリューを見つめた。


「…て、事は…あの二人は無事で?!」

グリューは驚いたようにヒーナに問う。


「えぇ。今は私の給仕係の見習いをしてもらってます」


ヒーナの答えに、

「よかった…」

と目に涙を浮かべて安堵する男は、とても悪人には見えなかった。


グリューは、それなりの家の長男として産まれた。

しかし彼は、母親が小間使いの男に乱暴されて出来た子であった。

その男の瞳が灰色、母親は濃い茶色であったのだ。

産まれてきたグリューの色違いの目を見て、母親は自らの命を断った。


それからというもの、父親は昼間から酒を飲み、酔ってはグリューを呼び寄せ、彼の顔を見る度に母親を乱暴した男を思い出すと言って暴力をふるった。

家は傾き、その日の食もままならなくなり、グリューは盗みを覚える。

ある夜、グリューの父親は彼を殺そうとナイフを持って寝込みを襲った。

その時に、父親によって左の耳たぶを失った。

すんでの所で飛び起き、父親と揉み合い、グリューはそのナイフで父親を刺し殺してしまった。


「こんな呪われた顔を持つアッシは、生きている意味なんてない。でも、愛されて育ったあの子達の命だけでも、せめて…」

そう言ってグリューは、赤くなった目と鼻を腕で拭った。


そこへ、アンナがタオルを二つ持ってきて二人に手渡し、空のカップをたっぷり入ったカップに置き換えて下がった。


「…なんででしょうね…なんでアッシは、こんなつまらない話をミツカイ様に…」

少し照れ臭そうにそう言ってタオルで鼻をかむグリュー。


その姿を見ながらヒーナは、

「あなたには二つ感謝しないといけない事があります」

と切り出した。

「まず一つは、二人の子供を救った事です。そしてもう一つは、私のあの力は人を殺すだけでなく、使い方によっては人を助ける事も出来ると教えてくれた事す…ありがとうございます」


ヒーナの言葉に、グリューは「もったいねぇ」と繰り返し、涙した。


それからヒーナは厳しい顔になり、

「しかし、あなたには一つ、怒らないといけない事があります」

と言い出した。


「人は皆、生きている意味なんて持ち合わせていません。その意味を探す長い旅が人生で、それが人の生きる意味でしょう!あなたが救った二人の子は、これからそれを探そうとしているのです。あなただって、今までの行いを悔い改め、生きている意味を探し出せばいいじゃないですか!」

ヒーナは鼻水を垂らしながら、自分より倍ほど永く生きている男に説教した。


グリューは目を閉じ、深くうなだれて小娘の話を聞いていたが、やがで、涙でいっぱいの目を開いてヒーナをじっと見つめた。

当のヒーナは鼻水をタオルで押さえながら、グリューを真っ赤な目で見つめている。


グリューはふいに、ふっと笑った。

「ミツカイ様、アッシにも生きる意味が見付かりますかね?」


言下、ヒーナは、

「あなたが懸命に生きて、真剣に探すのなら、必ず…」

と即答した。

そして、

「あなたは幼い二人の命を救ったのです。親代わり、とまではいかなくても、二人の行く末を見届けたいと思いませんか?」

と聞いた。


グリューはためらいながらも、「えぇ、まぁ…」と答えた。

自分のような罪人に、親代わりになられては迷惑だろうという配慮もある。


「だったら、遠くでもいいので見守り、援助してやって下さい。悪い道に入りそうになったときに正す役目なんて、あなたなが一番適任でしょう?命を救ったなら、その後にも責任を持って、ね?」

ヒーナはそう問いかけて少し微笑んだ。


「それがアッシの生きる意味ですかい?」


それを聞いたヒーナは、

「さぁ?知りません」

とプイと横を向いた。


その後、部屋に和やかな笑い声が響いた。


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