第十話 <自覚と決意>
フラン国の首都プリスに戻ったヒーナは、歓声と讃辞の声に迎えられた。
フランは、熱烈な歓待をしてヒーナたち義勇兵の労をねぎらった。
身の回りの世話はアンナがしているし、その手伝いを二人の幼い兄妹がしている。
ところが、そういった身の回りの世話もせず、ブルアへ同行するどころか、プリスに残っていて何もしていない狂いウサギのピートは、まるで自分が山賊を退治したかのように、軽い口で周囲にふれ回っていた。
フランは城の一室をヒーナに与え、そこで宿泊するようにはからい、綺麗な部屋がヒーナに与えられた。
しかし、華やかで今をときめくはずのヒーナの顔は、浮かないままであった。
プリスでの宴会から数日後の朝、ヒーナは意を決していた。
自室を出て、プリス城内の明るい廊下を行く。
城全体が白で統一されている為か、中庭に続くこの通路の天井も床も柱も真っ白で、等間隔で整然と並ぶ通路の柱の間からは、明るい陽の光が差し込み、白い通路は照り返って輝いている。
柱の向こうは中庭になっていて、中央に噴水、その周囲に緑生い茂る花壇と石畳が整えられ、小鳥や蝶が舞い、やわらかな陽が差し込んでキラキラと輝いていた。
その中庭の端に、義勇兵の班長以上の責任者が集まっていた。
皆きっちり鎧を着込んでおり、出撃命令を待つかのように整列している。
それを横目に、彼等の正面に行くために光の通路を歩く。
これから自分が成さなければならないことでヒーナの表情は暗くなっていた。
考えると気が重い。今からヒーナが発表する事は、彼等からしたら、きっと裏切られたように感じる事だろう。
彼等の正面についたヒーナに、義勇兵たちは膝まずいた。
その整った行動に少し驚きながら、ヒーナは彼等の顔も見ず、重たい口を嫌々ながらも開いた。
「私は…帰ろうと思います…元の世界に…」
ヒーナの言葉に義勇兵たちがざわつく。
「何故、私が呼び出されたのか疑問ですし…ここにいるべきか悩みました。迷いましたが、元の世界に帰る事にしました…」
「なぜだ!」
叫び声を上げたのは少年兵だった。
彼は立ち上がり、悔しさとも怒りともとれる顔でヒーナを直視していた。
人から受ける感情に少し疎いところがあるヒーナでも、この少し年上の少年兵の怒りが自分に向けられている事はすぐに分かった。
「だって…私に何が出来るっていうの…」
ヒーナがそう言い終わらない内に少年は叫んでいた。
「ミツカイ様の為に我慢して苦しい訓練にも耐えた。故郷にはミツカイの兵になる事を馬鹿にする奴も多かったけど、ここにいる皆は、ミツカイ様は必ずフランを救ってくれるって信じているんだ!あなたの命令なら命も投げ出すし、あなたが危なくなったなら死んでもあなたを守るつもりだ!ここにいる皆そう思ってる!それのどこにも迷いなんてない!なのになんであなたが悩むんだよ!」
今にも殴りかかりそうなこの少年が本当に飛びかからないように、抑えておくよう、ヤードが短く指示した。周りの兵士が立ち上がって少年の肩を抱きかかえる。
しかし抑止している彼等の顔にも、この少年に同調するような、悲しみの色が浮かんでいた。
ヒーナは目頭が熱くなり、鼻がツンとし始めた。
言葉もなく立ち竦んでいると、視界がぐにっと歪んだ。瞳からこぼれ落ちそうなものがある。
そんな様子を見たヤードに促され、ヒーナは自室へと退いた。
自室へと戻った途端、ベッドの上にペタンと座り込む。
股の間に両手を突っ張り、顔を下げてその両手を正面から見つめた。
下を向き、黒髪が垂れて顔を覆っているせいで、周りからはその表情を直接見る事は出来ない。
しかし、両腕にポタポタ滴るものが、今どんな顔をしているのかを明らかにしている。
―――勝手に呼び出されて迷惑してるのはこっちなのに、勝手に期待され重責を背負わされる。
私は元の生活に戻りたいだけなのよ。なのに…一方的で悪いのはそっちなのに、なんで怒られないといけないの?!なんで悲しい顔をするの?!なんで期待はずれみたいな態度なの?!ひどい…ひどすぎる!
それをあの場で叫びたかった…。なのにできなかった。あの少年のせいで…
腹が立つ…そして悔しい…―――
頬を伝う温かいもの、それがポタリポタリと腕や手に落ち、やがてシーツを濡らしていく。
「固く絞ったタオルを」
声をおさえて、給仕係のアンナに、ヤードがそう指示した。
短く返事した給事係の少女が出て行くと、部屋に残ったヤードが後ろ手に扉を閉めた。
ヒーナは泣いている自分が恥ずかしかった。
「さっきの人の名前は…」
嗚咽を押し殺したが、最後の方は言葉になってない。
涙の理由を誤魔化す為の最大限の抵抗だった。
「彼ですか…調べておきます」
ヤードは眉を潜め、重々しくそう言うと、扉を開けて近くにいた兵士の一人を呼びつけ、先程の少年兵の名前を報告するように命令した。
部屋に戻ったヤードは「彼に何か処分をするおつもりですか?」と不安そうに尋ねた。
「え?!」
ヒーナは思わず顔を上げてヤードを見た。
「名前を知って、処分を下されるのかと…」
確かに、ヒーナは彼に腹を立てていた。
しかし、だからといってその彼を処分するなどとは考えも及ばなかった。
「そんな…処分だなんて…」
少し口元に苦笑が浮かんだ。
そこへ、給仕係のアンナが入ってきて、ヒーナに固く絞ったタオルを手渡した。
ヒーナは短く礼を言うと、アンナはかしこまって答え、部屋の隅に控える。
ひんやりしたタオルで、涙と鼻水とでひどい顔をぬぐった。
一息ついたらまた涙が込み上げる。
悔しさと悲しさ、何が正しいのか分からない苛立ち。
「今日はゆっくりお休み下さい。明日の昼頃、またお迎えに上がります…」
ヤードはゆっくりとそう告げ、給事に何やら耳打ちして退室した。
部屋に残されたヒーナはまた、嗚咽しながら泣き続けた。
気が付いたら窓から夕陽が差し込んでいた。
どうやらそのまま寝てしまったようだ。ヒーナはベッドの上で上半身を起こした。
薄暗さとオレンジ色に染まった部屋。
片隅ではアンナが背もたれのない丸椅子に腰掛けてウトウトとしていた。
彼女の金髪は、傾きかけた陽の光でオレンジジュースをかぶったかのような色に染まっていた。
アンナが持ってきてくれたタオルもすっかり乾いてしまっていて、起き上がったヒーナの腕からはらりと落ちた。
そのかすかな音でアンナが目覚めた。
「す…すいません…」
アンナは慌てて立ち上がった。
「いいんですよ…私も寝ちゃってたし…」
ヒーナは自然に微笑んでいた。
それを見たアンナも少しはにかんだ。
静かな部屋、夕陽が辺りを照らすも薄暗い。もう日没まで間がないのであろう。
ぐぅ~…
ヒーナのお腹が鳴った。
アンナはハッとした顔で、
「お食事をお持ちしますね、それと、灯りも!」
アンナは乾ききったタオルを拾い上げるとバタバタと部屋から出ていく。
「お願いします」
ヒーナはそんな同年くらいのアンナの背中に声をかけて、ベッドから降りた。
―――せめてそれまで、ベッドを綺麗にしておこう―――
そう思った時だった。
「キャ…」
短くか細く、しかしハッキリした悲鳴が聞こえた。
ほぼ同時に、重たい布袋を床に落としたような、ドサリという音。
声はアンナに似ていた…
「アンナ?」
給事係の少女を呼びながら扉を開いた。
そこには、短剣を握った女が立っていた。
その足元には金髪で給事の服装をした人が倒れていた。
短剣を握っている女は、年はヒーナより少し上の十八、九だろうか。
全身白い服なのだか、その所々、胸、肩、腹、すねなどは厚目の白く塗った革で補強してある服とズボンを着て、銀髪を後ろで縛っている。
目鼻立ちがくっきりとした端整な顔立ちは、薄暗い夕暮れの室内でもハッキリとわかった。
その彼女の右手の短剣からは血が滴り、彼女のその白い服の腹部からズボンにも所々赤く染まっていた。
足元に倒れている金髪の給仕係を手にかけた事はあきらかだろう。
「アンナ…」
倒れている給事係は明らかにそうだろう。
なら、この白い女は何者なのか。
そんな考えをめぐらす間もなく、白い女はヒーナを見ると、突然短剣を構えて襲いかかってきた。
ヒーナは咄嗟に後退り、その一撃を交わした。
が、そのせいで部屋に二人とも飛び込むような形になり、白い女は後ろ手に扉を閉める。
「待って!私は明日、元の世界に帰ります…殺す必要はありません!」
ヒーナは白い女から距離を取りながら叫んだ。
「なら…ならばおとなしく私に殺されろ!」
意外な言葉に、ヒーナは驚いた。
「明日いなくなるのです、殺す必要はないでしょ?!」
「なおさらだ!」
白い女は叫んだ。
「いいか、時間がないからよく聞け!我がポード様はミツカイを一人倒したら、願いを一つ聞いて下さるのだ」
白い女は短剣を構えてヒーナにジリジリと近寄った。
「私の故郷は敵国に襲われ、両親も弟も殺された。ポード様にお願いして弟を生き返らせる…」
ヒーナは狼狽えた。
「それに、ミツカイは死んでも元の世界に戻るだけで、実際に死にはしない。この世界の記憶はなくなるそうだが、それだけだ。」
白い女はそう言うと短剣を振るった。
咄嗟にヒーナはそれをかわしたが、左腕はその切っ先に捕らえられたようで、鋭い痛みが走る。
この白い女の言うことが本当なら、それなら殺されたって同じ、むしろ殺されようか、とも思った。
しかし、今の痛みで大きな不安が過る。
―――本当に死なないで、元の世界に帰れるだけなのだろうか…それに…―――
ヒーナはアンナの事を思い出した。
給仕係の服、金髪、悲鳴の声。
扉の前で倒れていたのは、明らかにアンナだ。
「何故アンナを刺したのですか…」
「騒がれたら厄介だからだ」
その答えに、ヒーナの眉間に皺が寄った。
瞳に怒りが宿る。
「そんな、勝手な理由で人の命を奪うのですか!」
「おまえだって人を何人も殺してるだろ!」
白い女の剣が空を切る。
ヒーナはベッドの枕元にあった剣を手に取った。
同時に、白い女が襲い来る。
床を転がりながらそれを避け、機敏に立ち上がる。
剣を抜くと同時に鞘を投げ捨て、重たい小剣を正面に構えた。
「なぜ抵抗する!」
白い女はまたも斬りかかる。
ヒーナはその凶刃を剣で受け流しながら、真っ直ぐに斬りかかった。
少しの手応え。
「ぐっ…」
という短いうめき声。
白い女の腹部をヒーナの刃先が切り裂いていた。
だが、そこは厚目の革で補強してある部分。
その革を少し引き裂いた程度であった。
「私はリンダ…お前の名は?」
切られた腹部を左手で確認し、右手の短剣を構え直して白い女はそうたずねた。
「ヒーナ…」
答えながらまた正面に剣を構える。
オレンジ色の斜陽は夕闇を誘い込み、部屋にはじわりじわりじわりと暗がりが広がっていく。
リンダが右にジリジリと歩む。
ヒーナも、相手の正面になるように、右に歩調を合わせる。
ゆっくりと動く時計のように、二人は回りながら隙をうかがっていた。
お互い、立ち位置を入れ換え、ヒーナの背面に扉が来た。
「キャー!!」
扉の外で悲鳴が上がった。
リンダが険しい表情になる。
途端に、もう一撃切り込んできた。
殺意のこもった刃を剣で受けてかわす。
瞬間、リンダの白い体が視界から消えた。
同時に足元に強い衝撃を受け、ヒーナは床に転がった。
そこへ、短剣が襲いかかる。
喉元だ。
咄嗟に右手で凶刃を払い除けようとする。
冷たい金属が腕の中には入ってくる感触がする。
さらに、リンダは体重をかけて、刃をヒーナに刺し込もうとする。
ぱっと顔に温かいものが飛び散る感覚がした。
リンダの刃はヒーナの右手の小指から手首、腕にかけて深々と刺し込まれていた。
しかし、両足でリンダの体が覆い被さるのを防いでいたおかげか、その冷たい刃は腕の骨で止まっている。
ヒーナは左手に剣が握ったままであるのを確認して、自分の身体の上で恐ろしい顔をしているリンダの頭に向かって、その剣を振り払った。
ガン!
鈍い音がした。
リンダは頭を抱えて飛び退く。
無理な体制から剣の重さだけで振ったようなものだからか、致命傷にはなってないようだ。
ただ、それでも押さえた手と銀髪からは何か滴が垂れている。
バタバタと扉の外が慌ただしい。
よろよろと起き上がったヒーナは、リンダを放っておいて、扉を開こうとノブを握った。
途端に右手に激痛が走る。が、ぐっとこらえて扉をはじくように開けた。
そこには、ランタンや松明の灯りを掲げた衛兵が何人か駆け付けていた。
顔に飛び散った赤い斑点、右腕からボタボタと血を流すヒーナの姿を見て、衛兵達は驚きながらも躊躇なく部屋へ飛び込んでいった。
入れ違いになったヒーナは、駆けつけたヤードに抱えられてその場にへたり込んだ。
城に緊張が走り、怒号が飛び交う。
「ここは衛兵に任せ、エリーゼ様の元に急ぎましょう!」ヤードはヒーナを抱え上げ、癒しのミツカイ、エリーゼの元へと駆け出した。
夜、手当てが済んだヒーナは治療室のベッドに寝かされていた。
エリーゼが色々小言を言いながらもその力で治療してくれ、傷は綺麗に完治した。
そして返り血や出血の跡を洗い流すために湯浴みし、食事を済ませた。
その後でアンナの事を聞いた。
アンナは首を切られて絶命していたそうだ。
アンナの命を奪ったのはポード軍のミツカイで「空のリンダ」という。
自分の体を空気にできる力の持ち主であるそうだ。
あの後部屋になだれ込んだ衛兵は、リンダが窓から飛び出すのを見たのだが、追いかけようと慌てて外を見ても誰もいなかった。
どうやら、三階の窓から落下する途中で空気に変身し、風に乗って逃走したと思われる。
彼女は、怪我をして出血しているとその部分からは血が滴り、せっかく空気になって姿が消えても居場所がばれてしまうという。
だから、怪我を治しにポード国へ戻ったのだろうとの事だ。
その後の調べでは、実際に西側の城壁の上から外側にかけて上から一滴づつ落としたような血痕があったそうで、今、東から西へ向かって吹いている風に乗って流れて行ったに違いないと結論された。
ヒーナはその日の夜、アンナの事を思い、怒りと悔しさ、そして何より大きな喪失感からくる哀しみで泣いた。
この世界に一人で降ろされ、初めて心を許した友達、それが給仕のアンナであった。
だが、そのアンナはもういない。
アンナの入れた紅茶も、コーヒーも飲む事ができない。
幼い二人の兄妹、セナとジュリアもまた泣いていた。
若くして命を失ったアンナは、もっとしたい事があっただろう。
彼女の望みは何だったのだろうか…。
そんなときにふと、
「あなたの命令なら命を投げ出すし、危なくなったなら死んでもあなたを守るつもりだ!ここにいる皆そう思ってる!それのどこにも迷いなんてない!なのになんであなたが悩むんだよ!」
と、昼間の少年兵の怒る顔と言葉が蘇る。
アンナもそう思っていたのだろうか…。
瞼の向こうが明るい。
気がついた頃にはもう朝になっていた。
瞳を開けようとすると、昨日の涙が乾いて瞼に張り付き、パリパリと音がするほど開け難かったが、ヒーナは力強く瞳を開き、明るい窓の外を見た。
窓から見える景色は昨日の昼前に義勇兵たちの前に立ったときと同じく晴天であった。
「私は…、アンナの生きていた世界にもう少し居ていいかしら?…そしてもし私が、アンナの祖国を守る事ができるならば、そうしよう…アンナ、それでいいかしら?」
ヒーナは窓越しに、よく晴れた青い空を眺めながら、そうつぶやいた。
瞳の奥には、握り締めた拳のように、確かな力が宿っていた。




