第六十六話 <砦の盲点>
ジルは兎のパイを摘まんで口に放り込んだ。
パリッと焼かれたパイ生地が口の水分を奪うので、隣のスープも流し込む。
スープは豆の煮込んだもので、しょっぱい味付けがされている。
あらかた噛み砕いて飲み込むと、同じテーブルで同じ食事をしている男達にたずねる。
「結局はシュルベル砦を陥落させる戦いになった…何か策を聞こう」
そう言ってまた兎パイを口に入れる。
ちょうどジルの向かいに座っている髭面の屈強な男が、
「まずは囲うのが常道かと…」
と答える。
この男はジル率いるクワイ軍第二軍団の副将ニアルという。
ニアルの言葉をガンリョが否定した。
「囲ってもあれは落ちるような砦ではない…第一、例えば二ヶ月囲ったとして何月になる?四月になれば田植えに入る。屯田兵は農作業に戻るぞ?」
テムもそれにはうなずいた。
「昨日の野戦ではこちらの被害が大きかった。こちらは七千と言えども、負傷兵も多い。さらに、実質こちらが七千の兵で囲めるのはあと一ヶ月くらいでしょう。将兵達もそう思っているはずです。と、すれば我々には時間がありません…」
ニアルはうーんと困った顔をしながら、
「では二人の軍師殿はこのまま睨み合って帰れと申されるか?」
と、たずねた。
それにはジルが答える。
「いやニアル、ホントはそうしようかと思っていたのだ…」
副将は驚いた顔でジルを見詰める。
テムがその様子を見て、
「シュルベルを落とされた第四軍団は壊滅。ジル様は援軍を出されたし、現に第四軍団の生き残りを救っておられる。このまま帰っても誰も咎めますまい…」
と、説明した。
それでガンリョが、
「我らの立場としてはそうだ。しかし、第四軍団の連中は納得しないだろうな…」
と、他人事のように言う。
ジルはスープをすすりながら、じっとガンリョを見詰めた後で、
「何か策があるなら聞くぞ?」
とたずねる。
ガンリョは聞こえなかったかのように口の中のものを噛み、飲み込んでからゆっくりと言う。
「シュルベルの砦には緊急脱出用に作られた秘密の通路があるとか…」
「あぁ、そう言えば…そんなものもありましたなぁ…」
今思い出したかのようにテムが言う。
「軍師として、シュルベルに入った時に出口と入口を確認しましたが…中がどうなっているかは分かりませぬぞ…」
テムは数年前、シュルベル砦に初めて入った時にその抜け穴を確認した。
入口は砦の中の北西の角にある枯れ井戸で、出口はシュルベルの湿地帯の真ん中にある猟師小屋であった。
「問題はこの猟師小屋の方で…」
テムは説明を続けた。
この猟師小屋は現在は遺棄されている。
勿論、当初から秘密の通路の出口として作られ、カモフラージュとしての猟師小屋であり、猟師小屋として機能した事は一度もないのであるが、あまりに人が近付かない為に、この小屋の周辺は巨大なヒルの棲みかと化している。
そのヒルというのが、体長は三メートルはあろうかという「エジブラ」という生物で、鱗のないピンクの皮膚が露出し、背中に一本の黄色い線が縦向きに模様としてあるというおぞましい姿をしている。
目も鼻もなく、動物の温度を感知して獲物を探すと言われている。
牛や鹿、馬などの大型の生物を飲み込んで、体液を吸い出し搾り取った後、ぼろ雑巾のようなカラカラの死体を吐き出す。
勿論、牛や馬を食べるのであるから、人間もその捕食対象の範囲外ではない。
よじって搾り取ったそのカスは、とても原型を止めてはいない悲惨な姿だそうである。
ジルは兎パイをつまみ上げたまま、眉を寄せ険しい顔をしていた。
そんはジルを他所にテムは説明を続けた。
「もし通路を利用するなら、その小屋から入って枯れ井戸へ出ることになるでしょうが…砦から見つからないように夜陰に乗じて小屋に行くならば、火は掲げられず、火がなければエジブラに怖いものはなく、易々と人を喰らうでしょう…」
テムの説明に生唾を飲み込んだジルは、
「火が苦手なのか?」
と、きいた。
「あまりにも高い温度があると、動物の体温を察知出来ないそうで、近くの猟師はその辺りを通る際は、真昼の明るい時でも必ず火を付けた松明を持って歩くそうです…」
二人のやり取りの中、ガンリョがジルを見詰めて言う。
「エジブラはともかく、その通路の話は魅力的ですね…」
「まさか…私にその通路に入れ、と?」
ジルが呆れた顔でガンリョに文句を言うと、この飄々(ひょうひょう)とした軍師はうなずきながらニッコリと笑った。
「イヤだ、絶対にイヤだからな…私はウナギとか蛇とか生理的に受け付けないんだ…」
ジルにしては珍しく弱気であった。
それに構わずにガンリョは話し出した。
「ジル様、その通路から入って暗殺をするのです。それも、レーリンやヒーナは殺さず、狙うのは各軍の第二位です。もう片方の軍の人間がやったように見せ掛けることができれば…」
ガンリョの策にテムはうなずいた。
「なるほど、相手の大将格が二人居ることを利用して、仲違いをさせて力を削ぐのですね?」
ガンリョは微笑む。
しかし、ジルは険しい表情を崩さず、
「まどろっこしい…そこまでやるならミツカイを直接殺せばいいだろう」
と言ってパイをかじる。
それには副将のニアルもうなずいた。
「まったくです。仲違いをさせずとも、殺ってしまえば済むことです。もし偽装工作がバレたら目的を果たせませんし、そこまで手をかけるならミツカイの首を落としてしまえばよいのです」
ガンリョは何も聞いていないかのような顔でスープを飲み干すと、
「もしくは、突入した後に門を開けてしまうか、ですね」
と言った。
放言とも取れるような態度である。
ガンリョに奇策を謀らせると中々に面白い。
しかし、この態度が故に各将からは疎まれていた。
それが、ジルとの出会いにより才能を如何なく発揮する事が出来、開花した。
逆に、ジルの方もガンリョの策は性分に合うのであろう。
他人に重要な所を任せるくらいなら、自分でやらないと気が済まない。
じっとガンリョを見ていたジルは、とうとう観念した。
「…分かった…ならば、そのバカでかいヒルを見ないで済む方法を考えろ…」
戦闘後の三日間は小競り合いすらなかった。
クワイ軍七千余りは砦の西門前に布陣し、動きを見せない。
しかし三日目の夜、クワイ軍がにわかに動き出した。
「レーリン様、クワイ軍が何やら動いています!」
伝令兵がレーリンに報せたその時は、ちょうどベッドに横になろうとしていた時であった。
大きなアクビをしたミルクコーヒー色の少女は、
「あら、もうすぐ寝る時間だというのに…それとも、敵はそれを狙っているのかしら…」
と、独り言をつぶやきながら影が透けるような天幕の中で起き上がり、緑色のマントを羽織った。
薄い天幕を開けて、伝令兵の前まで歩み出ると、
「ヒーナを呼びなさい」
と命を下す。
伝令兵が出て行ったのと交代に、初老の紳士といった風貌の給仕係がレーリンの部屋へ入って来た。
彼は無言でベッドの脇にある長持ちを開け、緑色の宝石がいくつかはめ込まれた銀色の鎧を取り出す。
「もう少しで眠るところよ…お昼寝していて正解だったわね…」
そう言って革の鎧下を持って正面に立つ初老の紳士の前でマントを取り、寝間着を脱いだ。
その初老の給仕係は表情を全く変えることなく、淡々と慣れた手つきでレーリンに鎧の下に着る厚めの革の上下を着せる。
「アレン…」
レーリンはそうつぶやくと給仕係の腰に腕を回し、胸に顔をうずめた。
「レーリン様…大丈夫です、今回も必ずクワイ軍を撃退出来ます…」
紳士はそう言って少女の頭をなでた。
「こうして居られるのは今だけ…もうすぐ、嫌が応にも私は元の世界へ…」
ミルクコーヒー色の少女は、ベストの間からのぞくカッターシャツに顔をうずめたままそう言うと、両腕に力を込めた。
アレンという老紳士は鼻から息を吐きながら、
「私ももうすぐ命が尽きますよ」
と、優しく笑った。
ぱっと顔を上げたレーリンが、
「私より先に死んだら、フラン様に言って生き返らせてやるんだから」
と言って悪戯っぽく笑う。
じっと茶色の瞳を見つめるアレンは、
「私がレーリン様と轡を並べたのはもう何十年も前ですよ、そらぁ老衰してもおかしくない」
と言うと、少女の両肩に手を置いた。
レーリンはそれで抱き付くのをやめて一歩下がり、両手を水平に上げると、
「あら?そんなに前かしら?どうりで、貴方の胸からおじいちゃんの臭いがするわ」
と言って、わざわざ鼻を上げて鼻息を吐いた。
アレンは鎧を取ってミツカイの腰、胸、肩に付けてベルトを締めながら、
「ミツカイ様は年をとらない…とはいえ外見だけで、中身は私と同じ年のおばあちゃんですよ」
と憎まれ口をたたく。
それにレーリンは悲しい顔をして給仕係を見つめて、
「だったら…一緒に死にましょうね…アレン…」
とつぶやいた。
それにアレンが何か答えようとしたとき、バタバタと部屋の外が騒がしくなって伝令兵が部屋に飛び込んで来る。
「急報!南、東西の門にクワイ軍!ほぼ同時に灯りを掲げてこの砦を囲っています!数は不明!」
ほぼ鎧を着終わっていたレーリンは、
「七千より多いか?!」
とたずねる。
伝令兵は首をかしげて、
「暗闇で分かりません…」
と口惜しそうに答える。
それとほぼ同時にノックが聞こえ、ヒーナが部屋にやって来た。
「レーリンさん、敵襲ですか?!」
早足で部屋の中に入って来るヒーナに、
「そうみたいね」
と呑気に答えるレーリン。
続けてレーリンは問う。
「ヒーナさん、この状況で敵の狙いは何だと思う?」
鎧を着てここまで歩いて来るまでに考えていたのか、ヒーナはすぐさま答えた。
「レーリンさんが半日眠る事を知っていて、わざと夜に襲撃をかける。それと、もしかすると援軍で兵が増えているかも知れません。それを隠すための夜陰に乗じての攻撃かと…」
「でも、ここを囲っては意味がないわ。一つの門にあたる数が減るのよ?」
レーリンは答えを知っているかのように質問した。
ヒーナはそれにますぐさま答える。
「松明の明りを数えるくらいしか数の確認が出来ない暗闇です。本命の門の前に兵力が集中していても見えないなでしょう?」
レーリンは頬に人差し指を当ててたずねる。
「つまり、南、西、東のどこかに兵が集中してる可能性がある、と?」
ヒーナはじっとレーリンを見つめて、
「おそらくは、西」
と答えた。
西ならば背後はチチェンとなる。
そこはクワイ領土である。
大人数が動いて増兵が知られる危険をなるべく冒さないようにするには、援軍が最初に到着する西に留めておくのがベストである。
「敵軍は西門の一点突破を狙っている、と…」
レーリンが空を見ながらつぶやいていたその時、また伝令が飛び込んで来る。
「注進!北のシュルベルの泉方面に松明を持って行軍する集団が見えます!数が千程度かと!」
ミツカイの二人は顔を見合わせた。
「北門!あの通用口狙いかも!」
ヒーナが叫ぶ。
それを受けたレーリンはうーんと考えながら、
「推測である以上、四方全てを守らせないといけないわ。できるだけ均等に、ね」
と言ってドアの方へ歩き出した。
「とにかく、現場に出ましょう。話はそれからよ!」




