第二十一話 <鼠の情報>
ヒーナは白い馬の背で揺られながら、主都プリスを千の兵士を引き連れて出発し、街道を東へ向かっていた。
首都プリスから東には、緑の葉が風に揺れる畑の中に、農業用の貯め池が点在するという光景が街道の左右に広がっていた。
抜けるような青空と緑の大地が広がり、そこを土の匂いがする風が吹き抜ける。
初夏の日差しは気持ちいいという感覚を少し越え、ジリジリと肌を焼いて少し痛い。
一日目はなんとか我慢できたが、二日目からは麻布を頭に被るようにした。
それに、自分で歩かなくていいとはいえ、ほぼ一日を馬上で過ごすというのは、慣れていないヒーナにとってはかなりつらい事だった。
休憩時も地面が揺れているように感じるし、眠る時も、まだゆらゆら揺らされているように感じ、初日の夜は疲れが取れなかった。
さすがに何日か経つと地面の揺れもおさまったのが、今度はお尻や内股が痛くてヒーナを悩ませた。
そんな煩わしい行軍と同時に、ヒーナを悩ませていたものがあった。
それが隊の進路である。
出発前に聞いた情報では、モナリの町にポード軍が到着し、戦闘準備に入ったというものであった。
モナリとは、フラン国の東の端に位置し、東隣のポード国との国境沿いであり、争いが続く場所である。
ポード国から来ると、雑木林と畑を抜け、最初の大きな町がモナリである。
モナリの東側にはバレイユ川が南北に流れ、辺り一帯は豊かな穀倉地として畑が広がっている。
モナリは重要な最前線であり、町にはフラン軍第六師団二千の兵が駐留して守備にあたっていた。
ポード軍襲来の報が首都プリスに入ると、フラン軍総司令であるエリーゼは直ちに援軍を準備し、第三師団、第五師団の合計五千ほどが首都プリスを発ち、モナリの増援に向かっている。
ヒーナが出発したのはそれに遅れること二週間の後であった。
出発してすぐに、フラン国首都プリスにいる総司令エリーザから伝令が入った。
どうやら、モナリの町は陥落、第六師団の生き残りは全員捕虜になったという事である。
その報せは夕方近くに入ったので、行程を少し先延ばしにして、フラン軍第八師団は近くの村に陣幕とテントを張り、宿とした。
すぐに陣幕にテーブルと椅子が用意され、ソフィアが慌しく給仕を始めていた。
そのソフィアを二人の子供たちが手伝っている。
陣は村の中央広場張られ、周りをぐるっと青と赤の縞模様が入った麻布で覆う。
陣幕の真ん中には広いテーブルが組み立てられた。
大きな荷馬車にあった大きな板はこれか、とヒーナは納得した。
「何か手伝いましょうか?」
と聞くヒーナに、
「まずはご自身の役目を果たして下さい」
と、微笑み返したソフィアは陣幕の裏に下がって火を起こし、湯を沸かし始めていた。
すぐに、第八師団の隊長たちが陣幕に入って来て、真ん中の大きなテーブルの周りにある、背もたれもない簡素な丸椅子に座った。
ヒーナの隣には浅黒く日焼けして整った顔立ちの副長ヤードが座する。
テーブル右辺手前には、第三師団配下時代に武勇伝を持つ、中年で筋肉隆々、短髪、短い髭のセルドが座った。
そのむこうは、昨年訓練生だった頃に優秀な成績を収めて、若くて小ざっぱりした顔、長い髪を後ろに束ねている伝令隊長ガモがいる。
さらにその奥には、細身で高身長、細面で、馬面の二つ名を持つ中隊長ラグンが座る。
テーブル左辺手前には、胸元が大きく開いた革のジャケットを着て、そこから金のネックレスがのぞいている元遊撃隊長ベッヘル。
次いで、白波海賊団の頭であった、ハゲ頭に銀色のヒゲのロウ。
そのむこうはムッチリとした肉感のあるエキゾチックな美女ファーゼ、その隣に老人アルガが座っていた。
ヒーナの向かいには、月影の海賊団の頭であった義手の海賊ユベールと、その懐刀で小太りのさえない男リンドが腰掛けた。
全員がそろった所で村の長が数名の共を連れて挨拶にやってきた。
ヒーナは、村に何も負担をかけない事を約束して挨拶を手短に済ませた。
ほっとした面持ちで帰る村長を見送って、ヒーナは、
「プリスに戻るべきですか?」
と皆に問う。
ヒーナの問いは的確であった。
モナリ救援部隊として派兵された第三、第五師団。
そのさらなる援軍として命を受けたのがヒーナ達第八師団である。
守るべき目標のモナリの町が陥落したのであれば、その目的は達成されないし、新たな大号令が発せられるかも知れない。
「そんな決定も含めて、権限を与えられたのが師団長ですぜぇ~」
ベッヘルがそう言うと、皆が一様に黙りこくった。
一夜の宿を取る予定地に達していなかった為に、先行して出している斥候もまだ一人として戻ってきていない。
伝令部隊長ガモにしても、報告できる情報が何もなかった。
どういう戦禍でモナリは陥落したのか?
先行している第三、第五師団はどういう動きをしているのか?
モナリを占領した敵軍はどう行動するのか?
何を決定するにしても、情報が足りなさ過ぎる。
その沈黙の間を縫うように、ソフィアから皆にコーヒーが出される。
香ばしいその香りが、沈黙の中のオアシスのように、心に少しばかりの安らぎをもたらした。
ヒーナのいた現代では、通信網が整っていて、欲しい情報が簡単に手に入るし、その値段も労力も大きくは無い。
しかし、ここでは場所が離れた者同士が会話する手立ては、手紙や伝言で、その二者間を人や動物が行き来するか、予め決めておいた法則に則って遠くからでも見えるモノを掲示するしか手段が無い。
前者は伝令として軍備されているが情報自体が移動する時間が掛かる。
後者は手旗信号や光信号、狼煙、花火といった手段で準備されていて、早くは伝わるのだが決まった情報しか伝えられない。
当然、電話のように、一瞬で正確に伝えられるという手段はないのである。
ヒーナは、目隠しされ、耳も塞がれたような不安と、まどろっこしさを感じていた。
その時、
「ヒーナ様!」
と、あろうことかヒーナの背後で声が聞こえた。
ヤードが驚いて椅子を蹴って立ち上がり剣を抜いた。
机の上のカップが飛び跳ねる。
ヒーナが振り返ると、そこには、アゴも鼻の先も尖った出っ歯の小男が片膝を付いてうずくまっていた。
「お久しぶりです、ヒーナ様!」
そう言う小男は、うるんだ瞳で少女を見上げた。
ヒーナは、この男に見覚えがあった。
盗賊で、ブルアの町でヒーナに救われて無罪放免になったグリューという男である。
[序章 第九話 <ブルアの雨>参照]
「どっから入った?」
剣を鞘に仕舞いながら、ベッヘルは小男に問いかける。
「そういうのが、アッシの得意でして…」
グリューは頭を掻いて苦笑いをする。
そうして、抜き身の剣の切っ先を向けるヤードに向かって、
「旦那、良い話をしにきたんでさぁ。剣を仕舞ってくだせぇよぉ」
と引きつった笑顔を見せた。
グリューは特別、ヒーナの隣に立って軍議に参加する事を許された。
鼠のグリューは、現在のフラン国の東方と、侵攻してきたポード軍の詳細な情報をもたらした。
ポード軍は総勢約一万、ポード軍第二師団、第三師団、第六師団の合同軍である。
総指揮はポード軍総合司令であり第六師団長のミツカイ、雪という少女だそうだ。
モナリを襲撃したポード軍は第二師団、第六師団の八千ほどで、モナリを囲う準備に長時間かかった。
しかし、攻撃が始まってからすぐに、モナリを守備していたフラン軍第六師団副長のガッドという男が裏切り、あっという間にモナリは陥落したそうだ。
モナリの町に入ってから、フラン軍の増援が来ている事を知ったポード軍総指揮官の雪は、町をポード軍第二師団に任せ、六千の兵を率いてモナリを出た。
そして、モナリから南西部に半日行ったところにある丘の上に陣取った。
フランの援軍五千は、その丘へ向かっているとの事だ。
話を聞き終わってすぐ、ロウが、
「なぜ丘に向かう?モナリを取り返せばいいものを…」
と疑問を口にした。
それにはいち早く、ヒーナが答えた。
「その状態で町を攻撃すれば、必ず、町を出た丘の上の部隊との挟み撃ちにあいます。それを嫌って、町から出ている部隊を攻撃するのが定番です」
ヒーナの言葉にヤードやセルド、ガモ、ベッヘルなど、軍人経験のある者が一様にうなずく。
そこで、小太りのさえない男リンドが、少し右手を上げて遠慮がちに、
「あの…今の話で腑に落ちないところが…」
と言った。
「ポード軍の第三師団と二千の兵が、話の最初に出たっきりで、ポード軍のその後の軍事行動に出てきていませんが…」
情報をもたらしたグリュー自身もハッとした顔をしていた。
言われて気付いた。
「数とか計算とか、情報が間違ってるんじゃないかぁ~?」
ベッヘルが茶化したようにそう言う。
「…まさか、アッシの情報に間違いはありやせん…」
グリューが少しうろたえながらそう言い返す。
ヒーナが少しグリューを見つめ、腕を組んで「う~ん…」と考えてから、
「モナリの周りはどうなっています?町とか、村とかは?」
と聞いた。
「モナリから南に行軍して三日でホルンという町です。早馬なら一日中走れば到着します。ホルンの町は囲う壁も低く守備兵も少ないのですが、モナリから援軍を出せば守備軍と援軍で敵を挟み撃ちにできるという地理的な優位から、長年攻撃されずにいます…」
そこまで聞いてヒーナは、ヤードとほとんど同時にあっ!という声を上げた。
馬面のラグンが、
「モナリが落とされた今、確実にホルンも落とされる!」
と、くぐもった声で叫んだ。
「その為の二千、その為の第三師団か…」
老人アルガは感心してコーヒーをすすった。
「ゆっくりはしていられません、直ちにホルンへ進路を変えましょう!ヤードさん、ガモさん、行軍の計画をし直して下さい!」
ヒーナの指示が飛んだ。




