第十四話 <涙の宴会>
大食堂の扉を開けると、まず、ヒーナを迎える歓声が上がった。
謁見の間の真下にあたるこの場所は、とても広い大食堂がある。
一辺にゆっくり二十人は座れるだろうという長いテーブルが二つ縦に並び、その細長い列が五つある。
天井からは太い蝋燭が何本も差してある燭台がいくつも吊り下げられ、テーブルは整然と並べられていた。
人数がそんなに多くないので、一番奥のテーブル三つだけがテーブルクロスで覆われ、そのテーブルクロスは、すでにこぼれた葡萄酒で赤く染みていたり、幾つかの空の皿と、肉の油やパンくずが散らばっていて、もう宴会が終わってしまったのかとも思える程に散らかっていた。
そのテーブルの間を、せわしなく給仕が行き来して料理や酒の世話をしている。
ヒーナが案内された席は中央のテーブルの列の一番奥で、椅子に座ると、給仕係がパンを持ってくるよりも早く、
「ミツカイ様、ヒーナ様に乾杯!」
とベッヘルから声が上がった。
負けじと義勇兵も「乾杯!」と声を上げる。
主を迎えた朝の食事はこうして始まったのた。
ヒーナの目の前に出されたのは、とうもろこしの粒が浮いた黄色いスープと、コーヒーの入ったカップであった。
その向こうには潰した肉を丸めてキャベツで巻き白いソースで煮たロールキャベツ、塩漬けのさんまを小麦の生地で包んで焼き上げたパイ、分厚い豚のベーコンを鉄板でしっかりカリカリになるまで焼いてドゥミグラスソースをかけたステーキ、羽をもいで内蔵を出した鴨を、塩辛いソースを付けて炙った鴨の丸焼きがあったが、これらは既に食べ散らかされていた。
乾杯後すぐに、新しくヒーナに付けられた給仕係の少女ソフィアが、焼きたてのパンを持ってきてヒーナの皿においた。
この新しい給仕係は前のアンナより少し年齢は上だが、料理や給仕の腕はアンナより勝っているし、ミツカイに対する思いは変わらない、ヒーナにとってはとてもいいお姉さんであった。
こまめに動くソフィアの姿も、豪華な料理もほとんど目に入らず、皿にも手にもフォークにも取りもせずに、ヒーナは無言でコーヒーを一気に飲み干し、スプーンを握ってスープの入った皿に覆い被さるようにしてスープをすすった。
隣のエリーゼが露骨に嫌な顔をしながらヒーナを見ると、少女の細い肩は小刻みに揺れていた。
スープの上にポタポタと落ちるものがある。
それは黄色いスープの上に水溜まりを作っていた。
ヒーナは情けなかった。
自分はこの世界では特別な力のある存在であるはずであった。
だが、拙く愚かな計画しか出来ず、しかもそれを見透かされた上で、さらに許容され、その上、義勇兵達が立ち上がった理由を裏切るような酷い命令にも、彼等は黙って従ってくれる。
自分を思えば情けなく、フランやエリーゼを思えば配下の兵士達の気持が痛い。
自分はいかに恵まれ、いかに愚かで、いかに小さな存在かを思い知った。
後悔と感謝、そして安堵の感情が小さな胸の中でぐるぐると渦巻き、ただ涙と鼻水があふれ出て、嗚咽するばかりであった。
エリーゼは、ヒーナ付きの給仕係ソフィアを呼んで、新しいスープとタオルを持って来させた。
「自室に下がられたら」というヤードの言葉に、エリーゼは厳しい顔で首を左右に振った。
「さぁ、新しいスープは駄目にせずに飲みなさい」
そう言って給仕から受け取ったタオルを差し出す。
ヒーナはそれで拭った顔を上げた。
眉毛と唇の端は下がり、顎が小刻みに震えている。
ヒーナの異変に皆が気付き始め、次第にヒーナに視線が集まる。
「一軍の長たる者、皆の前で涙を見せてはいけない時もあります。今は祝いの席です。泣きたくても我慢しなさい」
エリーゼは厳しい口調で叱った。
その言葉で、すでに笑い声や話し声が消え始めていた大食堂は、一気に静まり返った。
遠くの席にいたロウが立ち上がり、ヒーナの席まで駆け付け、傍らに膝まづく。
「ワシなんかの為に申し訳無い。これからはフラン国とヒーナ様の為に命をかけます」
そのロウの言葉は、最後は涙声になっていた。
そこで、ヒーナは突然立ち上がった。
「みなさん、ありがとう。そしてみんな無事で本当に良かった…」
ヒーナはまだ言いたいことがあった。
自分の下策に巻き込んだことを謝りたかった。
しかしそこまで言葉にしたら、もう堪え切れない。
わぁーと、大きな声を上げ、まるで幼児のように泣き出してしまった。
エリーゼは軽く溜め息をついて、心底呆れた顔で、
「あのね、あなたは部隊を率いる長なのよ…」
と説教を始めたが、目の端に留まったヤードが真剣な表情でエリーゼを見つめながら首を左右に振っていたので、あらためて周りを見渡した。
すると驚いた事に、あるものはうつむきながら、あるいは微笑みながら、あるいは顔を手で押さえながら、皆涙しているではないか。
「まったく…この部隊の連中はどうなっているのかしら…」
呆れた顔でエリーゼはパイを摘まんでかじった。
ヒーナの泣きじゃくる声も小さな嗚咽に変わり、しばらくして食堂はだんだん騒々しさを取り戻し始めていた。
ヒーナが泣き声を押さえてからは、みんな赤い目になりながらも食事を楽しんだ。
しかし、まだロウはヒーナの傍らでうずくまって動かない。
それを見かねたエリーゼは声をかけた。
「ロウ、今のこの部隊は義勇兵が三百、ベッヘル遊撃隊が三百の総勢六百なのよ」
それを聞いていたベッヘルが口を挟む。
「えぇ?!俺らもミツカイ隊に組み込むんですかい~?」
「嫌なら第五師団にでも回しましょうか?」
エリーゼは首だけベッヘルに向けてそう言い放つ。
「あの金髪野郎は勘弁して下さいよ~」
ベッヘルは苦笑いを浮かべた。
「ならこの部隊に配属で問題ないわね?」
エリーゼの言葉に、ベッヘルは微妙な笑顔で肩をすくめて答えた。
「何とかして正規兵を供出しても、精々百人ほどが…いえ、何とかして二百の兵は用意します。これで八百ですね、あと二百いればヒーナの部隊は師団となり、フラン様の意思を受けて独自の軍事行動が許されるのですが…」
軍律では、戦闘員として動員されている兵の数が、常時十人未満で小隊、百人未満で中隊、百人以上で大隊、千以上で一個師団となる。
一個師団となれば、その規模に合わせて予算が割り当てられ、部隊の運営に充てる事が出来る。
人員の調整や給金の割り当て、報酬の授与などが好きに出来るのだ。
「ワシの手下は百ですが…それじゃあ足らねぁなぁ…」
ロウは申し訳なさそうな顔を上げた。
「あなたと同じような、徒党を組んだ厄介者は、もっと他に居るんではなくて?」
エリーゼの言葉に、ロウはハッとしてうなずいた。
「なるほど、あっこらへんの奴等をかき集めろって事ですか…」
エリーゼはロウに笑顔を見せた。
「そう、兵として働くなら雇う。そうでなければ討伐です。治安も良くなって一挙両得ですね」
兵を集めて来ても、ミツカイ下ろしを行ったばかりのフランに資金的な余裕はない。
しかし、奪われた領土を奪還して収入源を回復させる事も、また急務であった。
そうなると、軍事面から見ても兵力の増強は欠かせない。
東隣の国ポードは、一万ほどの大軍でモナリの町を狙っているようだ。
モナリの町を守備している第六師団は二千しかいない。
もしモナリが陥落すれば、敵は一気に穀倉地帯を侵略してしまうだろう。
フランの作物の収穫量は大幅に低下し、穀類やパンなどの価格が高騰し、食糧危機が訪れる危険が目の前にある。
「まずはモナリの防衛が命題です、その時相手は多分あの雪になります…」
エリーゼから「雪」という言葉を聞いて食堂の雰囲気が少し変わった。
相変わらず騒がしかったが、楽しく談笑している騒がしさではない。
「雪?…その人はそんなに?」
泣き止んだヒーナが呟いた。
「雪もあなたと同じ、白いミツカイと思われてたのよ、最初はね。だけど、彼女は白じゃなくて銀のミツカイだったの。その力で真夏でも雪を降らせる事が出来るし、人を粉雪にすることも出来るわ…」
エリーゼの説明に、ヤードが言葉を足した。
「雪の強さはその特殊な力だけではありません。彼女は計略の一つとしてその力を組み込むような使い方をするのです。つまり、人を粉雪にしたり、真夏に降雪させたりという特殊な力に頼った戦法をとらないで、どんなに強い力も武器の一つとしてしか見ていないという点が、我々が一番恐れるところなのです…」
ヤードの説明に頷いていたエリーゼは、
「でもねヒーナ…」
と続けた。
「あなたのこれまでの戦い方、雪のそれに似てるわ。だから、素質や能力は雪と同じようだと…いや、それ以上のモノに感じるのよ…」
そこまで言って、ヒーナから視線を反らして「悔しいけれど」と小さくつぶやいた。
それをあざとく聞いていたヒーナの顔が少しほころんだのを見たエリーゼは、眉を潜めて咳払いをした。
「とにかく、次のモナリ防衛戦にはフランの命運がかかっています。一ヶ月後には二個師団六千程の遠征軍を出す予定です。当然、ここにいる全員に参加してもらいますが、まだ兵力は不足しています」
エリーゼはそう言ってから、立ち上がり、ロウの横にしゃがんで、ロウの顔を覗き込んだ。
「ロウ、お願い出来ますか?」
ロウは一層身を屈めて恐縮しながらもいい返事を返した。
それから、食事は滞りなく済み、ヒーナも海賊達が許された事や、討伐に死傷者が一人もいなかった事に、だんだんと嬉しさが込み上げてきた。
食事のあとは湯で身体を綺麗にした。
実に丸一日近く皮の鎧を着込んでいた事になる。
革の匂いには慣れてきたが、まだ着るときにはぷーんと革の臭さを感じる。
それに汗臭さも加わるのかと思うと、ヒーナは少しぞっとした。
体を洗った後、新しい服に着替えたのだが、その服のデザインがヒーナが召喚された時に着ていた寝間着代わりのジャージによく似ている事に気付いて少し笑った。
材質は羊毛で柔らかく、青を基調としたその色合いどころか、両側の白いライン、左胸にあるスポーツ用品メーカのロゴまでが模されていた。
それから、少し眠って夕方、目をさましたヒーナは、給仕係のソフィアからエリーゼに呼ばれている事を聞いて彼女の自室に出向いた。
部屋を出てから、フランの自室を挟んで丁度城の反対側にあたるエリーゼの自室とは、アーチ状の廊下で繋がっている。
前を歩くソフィアの姿を時々眩ますかのように、窓からは傾き始めたばかりの陽がギラギラと差し込み、まだ夏ではないのに少し暑いくらいであった。
ノックをしたソフィアが返事を確認して扉を開け、軽くお辞儀をし、ヒーナを招き入れた。
部屋に入ると、正面には机に突っ伏すように何かを読んでいる金髪の少女がいた。
エリーゼの給仕係セリナが、その対面に置いてある革張りの椅子を差し出す。
ヒーナがおどおどとそこに座ると、その背後にソフィアが控えた。
「だいぶ、スッキリした顔をしてるわねぇ」
椅子に座ると、エリーゼが読み物を止めて書物から顔を上げた。
その物言いは、さながら医者のようであった。
「はい、スッキリはしました…」
ヒーナの答えに、
「そう、それはよかったわ」
と、事務的に答えてエリーゼは本題を切り出す。
「今のあなたの部隊は訓練がまったくもって足りません。これは、特に策を用いる部隊としては致命的な弱味です」
エリーゼの口調は厳しかった。
「これから一ヶ月、募兵や海賊討伐どころか、みっちり訓練をしたって足りないくらいよ」
ヒーナは少し戸惑った。
朝の会食で彼女自身が言っていた事とは真逆なような気がしたからだ。
ヒーナの反応がないのを確認してエリーゼが続けた。
「そこで、これから一ヶ月間の特別訓練をします。この訓練には全員参加が原則です。訓練が必要ない人などあなたの部隊には居ません。ですが…」
そこで、困惑するヒーナの前にエリーゼの給仕係から皿に乗って湯気を上げている真っ白な陶器のカップが差し出された。
中には赤みをおびた茶色い液体が波打っていた。
香りから察するに、おそらく紅茶であろう。
ヒーナがそれを受け取ると「飲みなさい」と軽く言うと、エリーゼはまた言葉を続けた。
「ですが海賊退治も急務です。かろうじて討伐に出せるのは、補給兵と、経験が長い伝令兵の合計百程度です。捕らえた海賊たちの護送に半分使うとして、実戦で使える兵は五十ほどで海賊を討伐しないといけません」
討伐した海賊が降服して兵になるにせよ、刑を受けるにせよ、ある程度の人数でこのプリスに護送する必要がある。
エリーゼは、時間的な余裕のない中で効率よく護送を行うためには、五十ばかりの兵が常に必要ではないかと試算していた。
「単純に寄せ集め隊の練度を上げるためなら、あなた抜きでも、我が部隊が鍛え上げましょう。ですが、最後はあなたが指揮して仕上げないといけません。それに十日はかかるでしょう。その後でポード軍の討伐を開始するなら、やはり一ヶ月と言わず、なるべく早く戻って来てもらいたいものです…」
ヒーナは実際のフランの窮状がよくわかった気がした。
実際には、強制徴兵という手段をもって兵をかき集めるという事も出来る。
しかし、義勇兵の募集とともに、さらに働き手を減らしてしまっては、収穫期を控えたこの時期ではあまり得策とは言えない。
フラン軍としては長期的に見ても短期的に見ても、収穫期までのなるべく早い時期に、モナリの町を守りきるだけの兵力を準備する必要があった。
エリーゼの部隊には二千余りの兵がいて、プリスの守備と治安維持が主な名目であるが、他にも諜報活動、伝令、重要な物資輸送の際の護衛、城や城壁といった軍事的な建物の修繕、フランの身辺警護、軍事演習などといった活動も行っていた。
この部隊は見方によっては余剰兵力はあるとも取れるし、ないとも取れる。
特に拠点奪還の軍事活動を行う前には、敵軍の諜報員、密偵、リンダのような暗殺者が隙を狙っている。
フランの警護を含め、情報の漏洩などまで考えたら護衛や治安維持に人をいくら回しても足りないくらいだ。
エリーゼとの話し合いにより、ヒーナは翌日、ガモ率いる伝令隊、セルド率いる老練な兵士たち合わせて五十名程と、エリーゼから託された護衛や護送を専門としてきた兵士五十名程、それにロウとローグ親子を加えた百名の中隊でプリスを発った。
三日後にはロウ率いる海賊団の洞窟につき、そこで海賊たち百名と女子供が、ロウとガモたちの案内でプリスに戻った。
独身者も半分近くいるが、妻帯者やその子も含めると三百程の大人数であった。
そして、後にはローグと、海賊の子供である数名の少年が残った。
「何故一緒に行かないの?」
と言うヒーナの問いに、ローグは真っ直ぐな瞳で、
「ここら辺りの案内を出来るのは俺達だけだ」
と、答えた。
「案内してくれるの?」
「当たり前だ。海賊を探し出してから戦うとなると時間がかかるだろ?その手間が省けるぞ」
ローグが言うには、海賊の間で揉め事が起こるのは、獲物の獲得場所がどちらの縄張りに入っているか、という事が多いそうだ。
よって、近隣の海賊の縄張りはある程度把握しているし、狙う船の規模でその海賊の規模も分かる。
海賊団同士はお互い縄張りの中で干渉しないし監視もしない。
しかし、海の上での出来事は瞬く間に伝わるそうだ。
ところが、陸での出来事は伝わるのがかなり遅いようで、白波海賊団が討伐されたこと、ロウがプリスに行ったこと、ロウ率いる白波海賊団全員がプリスに移動した事は、まだ周囲の海賊達には伝わっていないようだ。
知れていれば彼らは縄張りを拡大し始めるだろう。
ローグは、東側にいるのは五十名くらいの海賊団で、半島を挟んだ南側は三十名くらいの規模だと教えた。
「東の海賊団は通称、海蛇の海賊団、頭は海蛇の毒牙と言われてる。義理も人情もない野郎だとオヤジが言ってた…」
少し釈然としなさそうなヒーナの表情に、ローグは敏感に反応して言った。
「確かに、オヤジも残酷な事をしてきたが、その…海賊としての仁義は守った。特に俺が産まれてからはめったやたらに人を殺すとかはしない。だが、奴等海蛇一家は違う。目をつけられら最後、何処までも追いかけて皆殺しだ。この前は戦争移民の船を沈めたってオヤジが怒ってた…」
「戦争移民…?」
「戦争でその土地に住めなくなった人とか、孤児とかを移送する船さ。オヤジも間違えて襲ったことはあるが、その時は何も取らず、安全な所まで護衛して送り届けてたくらいだ…。なのにアイツラは男を全員殺し、金や物資は奪い、子供は奴隷として売るし、女は犯して飽きたら売るか殺す、血も涙もない…そういう奴等だ」
「…それは許せませんね…。わかりました、では、その海賊団からやりましょう」
ヒーナが暗い顔で言った。
「また投降を呼び掛けますか?」
セルドが聞いた。
「いえ、彼らには…そういう相手なら見せしめになってもらいます…」
ヒーナの表情は相変わらず暗かったが、その目には力がこもっていた。
続けて、
「案外、襲う側の人間は、襲われる事を知りません。襲う事ばかり想定して、襲われる事を考えもしないのものです」
と、厳しい顔で答えながら、作戦の説明を始めた。




