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19歳の緩む涙腺

 いざ行こうと2歩3歩と踏み出したところで不意に後ろから声をかけられた。


「何してんだいこんなところで」


 声につられて振り向くとさっきまでもたれかかっていた鳥居の傍に一人の老婆が警戒心をあらわにして立っていた。


「あ、すいません」

「なんで謝るんだい」


 確かにその通りだ。何も悪いことはしていないのだから謝る必要なんかない。

 だけど、何を言えばいいのだろうか。いや、尋ねたいことは山ほどある。

「ここはどこか」

「どうなっているのか」

「どうすれば帰れるのか」

 聞きたいことは山のようにあるのだけれど、何を聞けばいい。どう聞けばいい。この老婆の警戒心を解き、親身になってもらうためにはどう聞けばいい。頭がおかしいと思われるだけじゃないか。

 そんな晴の様子を察してか、老婆は「ついておいで」と言った。


 どこに行くというのだろうか。さっきまで警戒心をあらわにしていた老婆がどこに連れて行ってくれるというのだろうか。

 それでも、今の晴にはこの老婆しかいなかった。頼るには心もとない相手だが、何もわからぬこの場所において、目の前の老婆は晴にとってわずかに差し込んだ光だった。


「早くしな」


 老婆はそう言って、杖をついているにもかかわらず足早に村の中に入っていった。

 老婆しかいないのなら、頼るしかない。それがどんなにわずかな光であろうと辿るよりほかはない。

 晴も遅れて老婆の後をついていった。


 *

 

「ここだよ」

 

 そう言って老婆に連れてこられたところは、見た感じ村で一番大きい家屋だった。

 とはいえ、大きいと言っても一階建ての家を二つほど横につなげた程度の大きさしかない。

 老婆は玄関の引き戸をドンドンと叩いた。


「アキヒト!戸を開けな!お客さんだよ」

「ちょっと待ってよ母さん」


 引き戸の向こうで男が返事をした。続けざまにドタドタという音が聞こえ、少しして引き戸が開けられた。


「おかえり」


 引き戸を開けたのは40代後半と思しき男性だった。

 男は晴を連れてきた老婆を中に迎え入れると、晴に向きなおって「はじめまして」と言った。


「あ、どうも」


 男に向かって軽く会釈をする。


「そんなに固くならなくてもいいよ。とりあえず二、三質問させてくれないかな」

「はい……」

「君はどこから来たんだい?」

「あの、鳥居をくぐったら意識が遠くなって。気づいたらこの村の近くの鳥居の傍に倒れていて」

「いや、そうじゃなくて。君はここに来る前はどこに住んでいたんだい?」


 そう男に尋ねられて、晴は住んでいた住所を口に出した。すると男は軽くうなずいてまた質問をした。


「じゃあ君はそこからどういう経緯でこっちに来たんだい?」

「涼っていうやつがいるんですけど……」


 晴は涼から逃げるために公園に行ったところから鳥居をくぐるまでの間の一部始終を男に話した。

 その間男は何度か頷いたり考える仕草をするだけでこれといって口を挟んでくることはなかった。

 晴が話し終わっても男は何かを考えているようで黙っている。

 しばらくすると男は大きく頷いた。


「よし分かった。君を歓迎しよう」


 男はそう言うと少し横にそれて晴に中に入るように促した。


「……お邪魔します」

「どうぞ」


 男に促されて晴は家の中に入った。

 玄関を上がると右手に行くように言われ、言われるがままに従って右手にある扉を開けて部屋の中に入ると、そこでは囲炉裏が赤々と炎をあげて部屋を照らしていた。

 遅れて男が入ってくると囲炉裏を囲むように座り、晴にも向かいに座るよう勧めた。


「とりあえず、ようこそ。デコーは君を歓迎するよ」

「デコー?」

「ここの村の名前さ。由来は分からないが昔からそう呼ばれている。まあ、ここだけの話僕もこの名前はあまり好きじゃないんだ。デコーだなんて変だろ?なんでも随分昔に偉い人が名づけたらしいんだけどね。……ああ、そうだ」


 男は何か思い出したように立ち上がると扉の奥に消えていき、戻ってくると手に折りたたまれた紙を持っていた。


「粗末なものしかなくてすまないね。とりあえずこれがこの世界の地図だよ」


 男は晴の傍まで来て床に地図を広げた。

 広げた地図を見ると真ん中に大きく大陸が書かれており、周囲にいくつかの島がまとまって点在している。どうやら大陸もいくつかの国に分かれているらしい。ところどころに境界線らしきものが書かれている。

 男は真ん中の大陸の一点を指さした。


「この村はここにある。一応、ウエスターナの一部だね」

「ウエスターナ?」

「そう。この大陸を統治する国の一つさ。この大陸は5つの国に分かれているんだけど……まあ、それは後ででいいだろう。とりあえず必要最低限のことは君に伝えておかなきゃ」


 男はそう言うと地図を折りたたんで晴に差し出した。


「あげるよ。いつか入用になるかもしれないからね。念のため」


 そう言って地図を晴に手渡すと、男はまた晴の向かいに座りなおした。


「え~っと、まず第一に君は帰れない」

「え……」


 唖然とする晴を無視して、男は続けた。


「次に、君にはいくつか選択肢が与えられる。簡単に言えばどう生きるかだ。土地を開拓して農家になるもいいし、店を開いて商人になるのもいい。冒険者になるのもいい。今すぐに決めろというわけじゃないけど、そういう選択に迫られるということは覚悟しておいて」

「あ、……はい」


 完全に上の空の晴をおいて、男の話は続く。


「え~っと、次に……ああ、そうだね。それもあったか。君には明日王都に行ってもらわなければならない。一応君みたいなのが来るのは珍しい事例だからね。女王陛下に会ってもらうよ」


 誰かと話しているかのように男は小声で相槌を打っている。


「あとは……うん、そうだね。まず心配いらないと思うけど、明日もし誰かに君のことを尋ねられても素性は明かしちゃダメだよ。混乱が起きるかもしれないからね。まあ、明日の出発は早朝だから心配ないとは思うけど。……まあ、こんなところかな。何かご質問は?」


 男はそう言って囲炉裏にくべてあった鍋に手を伸ばして中を買い混ぜた。

 

 沈黙が二人の間を横切る。


 晴は必死に思考を回していた。最初に告げられた「帰れない」という事実が許容量を超えていて、それ以降の言葉が頭に入らなくて、それでも必死に回そうとして、行き詰って……。

 どうしようもなくて、どうすればいいかも分からなくて、不意に涙がこぼれた。

 それを察してか、男は立ち上がると「僕は寝るから、今日はゆっくり休みなよ」と言って扉の向こうに消えて行った。


 晴一人だけが残された。


 囲炉裏でパチパチと火のはじける音だけが耳に飛び込んでくる。

 せきを切ったように涙がこぼれた。静かに頬を伝い、落ちていく。

 声を殺して泣いた。情けないくらいに泣いた。不安と恐怖に押しつぶされそうになって、泣いた。

 昨日が恋しい。昨日までが恋しい。あたりさわりのない毎日が、当たり前の毎日が恋しい。

 孤独が押しつぶそうと両手を挙げて襲い掛かってくる。

 両親に会いたい、姉貴に会いたい、涼に会いたい、誰でもいいから知っているやつに会いたい。

 

 囲炉裏の灯だけが照らす部屋で晴は泣いた。


 *


 気が付くと朝になっていた。

 晴が体を起こすと、すでに男は起きてきており、昨日と同じく晴と囲炉裏を挟んだ向かいに座っていた。


「やあ、おはよう。スッキリしたかい?」

「あ、おはようございます」


 そういや昨日泣いたんだったな。

 他人事のように思いだしてくる。

 19歳にもなって泣くとは思わなかったが、どうやら泣くというのはそれなりに意味があるらしい。昨日とはうってかわって妙にスッキリとした、さわやかな感覚が晴を包んでいる。


「その様子ならもう大丈夫みたいだね」

「はい、お陰様で」

「そうか、それはよかった。もう少しゆっくりしてていいよ。出発するときに声をかけるから」


 男はそう言うと立ち上がってどこかに消えて行く。


 ぐぅ~


 お腹がなった。


「そういや、昨日から何も食べてないな」


 空腹を訴えるお腹をさすりながら考える。

 これは現実なのだろうか。もしかして夢ではないのだろうか。

 昨日、幾度となく繰り返した問いだ。例によって頬もつねってみても痛いだけだった。

 現実なのだろう。

 逃れようのない現実を俺は必死に命にすがって生きていくのだろう。


 そろそろ出発するという声に促されて、晴は外に出た。

 心地のよい朝日が体を包む。早朝だからかしんと静まり返ってるが、それが心地よくもあった。

 見上げると青い空が広がっている。

 こんなところでも空は青いのか。

 ふとそんなことが晴の頭をよぎる。

 確かにこの世界は俺の知らない世界かもしれない。けれど、空が青いのは変わらない。流れる雲が白いのも変わらない。青々と茂る木々の葉が緑なのも変わらない。そう思うと少し楽になった。


「さあ、行くよ」


 男が荷台に車輪を付けただけの簡素な馬車の上から声をかけてくる。 

 もう一度空の青さを目に焼き付ける。二度と見れないわけじゃないだろう。これから何度となくこの空を仰ぐだろう。ただ、今日のこの感覚は忘れたくない。 

 晴は空の色を、今というこの瞬間を忘れぬよう胸に刻み込んで、馬車に乗り込んだ。 

 

  

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