第44章:二人三脚の「愛の」逃避行と、勝利の美酒(ジュース)
秋晴れのグラウンド。
体育祭のメインイベント、クラス対抗リレーの前、「男女混合二人三脚ゾーン」に俺たちは立っていた。
「おい聖次ぃ! 愛の力、見せつけてやれよぉ〜!」
「瑠奈〜! 転んだら『お姫様抱っこ』でゴールだからね〜w」
観客席の最前列で、達也と美咲がメガホンを叩いて騒いでいる。
あいつら、自分たちの出番が終わったからって完全に野次馬モードだ。
「……うるさいわね。あとで絶対高いジュース飲んでやる」
「同感だ。財布の中身を空にしてやろうぜ」
俺と瑠奈は、俺の右足と彼女の左足を赤い紐で結びながら、殺気立った視線を交わした。
だが、俺たちの自信には根拠があった。
なぜなら、この一週間、我が家では――
『腰の位置が高いです! もっと密着して重心を下げてください!』
『聖次さん、瑠奈の歩幅に合わせて! 邪念を捨てて筋肉の動きだけを感じてください!』
眼鏡をかけた鬼コーチ・詩織による、地獄のフォーム矯正特訓が行われていたからだ。
夜のリビングで、汗だくになりながら密着歩行を繰り返した成果が、今ここに試される。
パンッ!
乾いたピストル音が鳴り響いた。
バトンを受け取った俺たちは、弾かれたようにスタートを切った。
「イチ、ニ! イチ、ニ!」
掛け声は最小限。
俺の右足が出るタイミングで、瑠奈の左足が完璧に連動する。
まるで一つの生き物のようなシンクロ率だ。
「うおおっ!? 速えぇぇぇッ!!」
「マジか!? あいつらガチだぞ!」
周囲のどよめきが風のように後ろへ流れていく。
俺と瑠奈は、ただ前だけを見て走った。
トップを走る隣のクラスのペアが焦っているのが見える。
「……抜くよ、聖次」
「ああ!」
最大の難所、第2コーナーに差し掛かる。
俺たちはインコース(内側)を攻めた。
俺が内側、瑠奈が外側だ。
(コーナーだ。遠心力がかかる。俺が内側で踏ん張らないと、瑠奈が外へ振られる……!)
俺は意識して重心を内側に傾けた。
俺が杭になり、軸になる。そうすれば、軽量級の瑠奈が遠心力で飛ばされるのを防げる。
俺たちはスピードを落とさず、鋭角にコーナーへ突っ込んだ。
だが、その時だ。
前の走者が蹴り上げた砂に足を取られ、瑠奈の身体がガクンとバランスを崩した。
「ッ、きゃあ!?」
瑠奈が前につんのめる。
結ばれた足がもつれ、彼女の身体が地面へと沈み込んだ。
このスピードで転べば、ただの擦り傷じゃ済まない。
俺は思考するよりも早く反応した。
「……ッ!!」
俺は、瑠奈の腰に回していた右腕に、渾身の力を込めた。
倒れようとする彼女の身体を、強引に上へと引き上げる。
同時に、遠心力に負けないよう、自分の胸元へと強く抱き寄せた。
ダンッ!
瑠奈の身体が宙に浮き、俺の胸にドンとぶつかる。
完全にホールドする形だ。
俺の左手も、咄嗟に彼女の二の腕を支えていた。
「……大丈夫か!?」
「う、うん……ッ!」
瑠奈は俺の胸の中で一瞬目を丸くし、それから至近距離で顔を真っ赤にして叫んだ。
「バカ! 止まんないで! 行くよッ!」
彼女は俺の身体を支えにし、すぐに体勢を立て直した。
俺の右腕は、彼女の腰をガッチリと、今まで以上に強く抱きかかえたままだ。
もう、離さない。
ゴールまでは、絶対に俺が支え抜く。
「うおおおおッ! 見ろ今の! 力技で抱き寄せたぞ!」
「キャーッ! 王子様〜!!」
達也たちの野次がBGMに変わる。
俺たちは体勢を崩したロスを埋めるように、さらに加速した。
密着した身体から伝わる熱と鼓動。
ゴールテープが目の前に迫る。
「いっけぇぇぇぇッ!!」
俺たちは同時に足を踏み出し、そのままの勢いでゴールテープを切った。
一位。
歓声が爆発する中、俺たちは勢い余って芝生の上に重なるように倒れ込んだ。
「……ハァ、ハァ……やった……!」
「……勝った……!」
俺の上に瑠奈が乗っている。
密着した胸と胸の間から、ドクン、ドクンと早鐘のような鼓動が直接伝わってきた。
俺の心臓の音なのか、瑠奈の心臓の音なのか。
あるいは、二つの音が完全にシンクロしてしまっているのか。
全力疾走の代償にしては、あまりにも熱く、激しいリズムだった。
瑠奈が俺の下……ではなく上で、汗ばんだ顔でニカッと笑う。
その笑顔は、金メダルよりも輝いていた。
***
閉会式後。
夕日が差し込む自販機前に、沈痛な面持ちの男が一人立っていた。
小野田 達也である。
その横で、美咲も財布を出して渋い顔をしている。
「……約束通り、奢ってもらおうか」
俺と瑠奈は、王者の風格で二人の前に立った。
「くっ……! まさか本当に一位とるとは……! 計算外だ……!」
「あんたたちのイチャイチャが見たかっただけなのにぃ〜! なんでガチで速いのよぉ〜!」
達也と美咲が悔しがる。
瑠奈はニヤリと笑い、自販機の一番上の段を指差した。
「んじゃ、遠慮なく。……この『プレミアム濃厚果実ミックス(280円)』で」
「たっけぇ!! そこ!? 下の120円の水じゃなくて!?」
「当たり前でしょ。優勝したんだから」
俺も便乗して、同じボタンを押した。
ガコン、ガコン。
悲しげな音と共に、達也の財布から小銭が吸い込まれていく。
「……あざーっす。いやぁ、勝負の後の高級ジュースは美味いなぁ」
「うんうん、格別だねっ♪」
俺と瑠奈は、冷えたジュースを掲げて乾杯した。
達也は涙目で自分の安っすい缶コーヒーを開けた。
「……ちくしょう。でもまあ、あそこで抱き寄せたナイスプレーに免じて許してやらぁ。……やるねぇ聖次、男見せたじゃん」
「うるさい。遠心力で飛ばないように支えただけだ」
「はいはい、そういうことにしておきま〜す」
達也はニシシと笑い、俺の肩を小突いた。
その時、俺のポケットに入れていたスマホが震えた。
画面を見ると、詩織さんからのLINEだった。
『優勝おめでとうございます。フォーム、完璧でしたね。特訓の成果です』
『追伸:転びそうになった時のリカバリー、合格点です。……でも、少し密着しすぎでした』
どうやら、保護者席から望遠レンズで監視されていたらしい。
俺は苦笑いして、空を見上げた。
隣では瑠奈が、ストローを咥えながら俺を見上げている。
その顔は、勝利の喜びと、俺に支えられた時の照れくささで、夕焼けのように赤く染まっていた。
「……また、借りができちゃったね」
「ん?」
「……助けてくれて、サンキュ。……パパ」
騒がしいグラウンドの片隅で、俺たち家族の最後の体育祭は、甘いジュースの味と共に幕を閉じた。
(続く)




