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 市役所は、俺が落ちた川の、もう少し河口の方にある。歩いて行くには少し遠いので、市役所勤めをしている近所の若者が出勤するのを待って、一緒に車で送ってもらうことにした。

 こんなハガキを出すくらいだから、もしかしてと思い、入口の前に立ってみたが、やはり自動ドアは開かない。仕方がないので、自動ドアが閉じたまま、中に入った。

 入って正面の受付に、三十過ぎの女性が立っていた。

「こんなハガキが来たんやけど、市民課って何処やったかな?」

 女性は答えなかった。

 仕方がないので、自分で探すことにする。これは、すぐに見つかった。

 『市民課』の文字が書かれた白いプラスチックのプレートが、天井から、二本の鎖でぶら下がっている。

 市役所は、まだ開いたばかりで、職員の皆さんが、ようやく、のらりくらりと仕事を始めたところだった。俺がカウンターの前に立っても、誰も気が付く様子はない。

 ハガキを見直す。確かに、『市役所市民課』と書いてあった。

「すんませーん!」。一応、声をかけてみる。

 バーコード頭のおっさんが、机に肩肘をついて、書類に目を落としながら、ズルズルとブラックコーヒーを啜っていた。

 もしかしたら、ここではないのかもしれない。何処かに、死者専用の市役所があるのかもしれないと思って、帰ろうとしたそのとき、

「ご用?」

 間近で聞こえた声に、俺は飛び上がった。

 老眼鏡に金色のチェーンをぶらさげ、頭にどぎついパーマをあてた背の低いおばちゃんが、カウンターの向こうに立っていた。おばちゃんは、メガネをずらして、上目使いで俺を見た。

「用があるんと違うの?」

「あ、あぁ…」

 俺は返事して、ブルゾンのポケットから、折れ曲がったハガキを取り出した。

「来いと書いてあるんで…」。おばちゃんに見せた。

 おばちゃんはメガネをかけ直してハガキを眺め、すぐにまた、ずらして俺の顔を見る。上目使いで、まるで睨まれているようだ。そうして、何かを納得した様子で、カウンターの下から一枚の紙を取り出し、俺の前に置いた。『死亡届』と書いてある。

「これに記入して。あっちでね」。背後を指さす。立って書けるように作られた机があり、両端にボールペンが立ててあった。

 感じの悪い職員だ。

 気に入らなかったが、ひとまず、死亡届の記入にかかった。机に向かい、ボールペンを取ろうとするが、手がすり抜けてしまって、持つことができない。そのことを、おばちゃんに言うと、「これ、使こぅて」と、別のボールペンを手渡された。

 ハガキといい、このボールペンといい、俺にも触れられるものがあるらしい。上手くすれば、筆談によって家族とコミュニケーションをとることができるかもしれないぞと、期待した。

 たいしたことは書かされなかった。住所、氏名、年齢、配偶者の有無、死亡した日、死亡した原因。それだけ。

 おばちゃんは、書類の中身を注意深くチェックして、

「印鑑は?」

「持ってるわけないやろ」

「じゃ、拇印を」

 赤のスタンプ台をカタンと開いた。言われるままに、拇印を押す。

「はい。これでよし」

 おばちゃんは、拇印の上にフーッと息を吹きかけて乾かし、カウンターの下へしまった。

「ほんなら、説明するで」

 言いながら、別の紙を取り出した。説明書きのようだ。表題には『お亡くなりになった皆様へ』とある。

「まず、ここ」

 『死亡後の手順』と書いてあるところに、赤ペンでグルグルと二重に丸をつけた。

「一番の、死亡届を提出するってやつは、今やったから、終わり。二番、配布物を受け取ります。はいはい、配布物…」

 おばちゃんは独り言を言いながら、厚さ5ミリくらいの封筒を取り出した。

「これ、配布物。あとで説明するさかい、忘れんと持って帰ってね。…よし、二番終わり。次、三番。自宅で手続きの完了を待ちます。…あのね、今日死亡届を受け取ったから、手続きに一ヶ月くらいかかると思うんよ」

「手続き?何の?」

「お迎えのよ」

「お迎え?!それは、つまり…」

「成仏するってことよ」。当たり前のように言う。

 お迎えが来て、成仏するってことは、つまり、本格的にこの世からオサラバするってことじゃないか!

「嫌だ!」。思わず、俺は叫んだ。

「嫌でも、原則として、成仏の拒否は認められへん。応じへん場合は、強制送致になることも、あるんやで」。脅すように言った。

「強制送致?!死神とかがやって来て、無理やりあの世に連れて行くって言うんか?!」

「シニガミ?何よ、それ。警察に決まってるでしょ」

 決まってるんだ…。何故だか、俺は赤面した。

 おばちゃんは、俺の都合など構っていられないという様子で、話を進めた。

 これだから、お役所仕事というやつは…。

「…はい、次、四番ね。家族との最後の生活を楽しみましょう。…さっき渡した配布物の中にあるけど…」

 おばちゃんは、何やら説明をしたが、俺はろくに聞かず、青くなっていた。

「五番、お迎えが来たら、速やかに車に乗り込み…」

「車?!お迎えっていうのは、車なんか?」。さすがに突っ込む。

「タクシーやけど、何か問題でも?っていうか、他に何があるの?」

 何があるのと聞かれても困るが、そりゃあ、三途の川を渡るんだから、やっぱり…。

「舟やろ」

「妙なことを言う人やな。あんたの家は水の上に建ってんのかい?」

「いや、そうやないけど、三途の川を渡るんやったら、舟違うのか?」

「いつの話やねん。昔はそうやったかもしれんけど、今は橋がかかってんのよ」

「……」

 その後も、おばちゃんの説明は長々と続いたが、頭には、ほとんど入って来なかった。

 成仏。

 死んだ者が、この世を離れて、別の世界に行くことを、そう呼ぶのだろう。その可能性を、このときまで、まったく考えていなかった。このまま、ずっとふらふらしていられると思っていたのだ。

 俺は、説明書きを折りたたんで、配布物の封筒に入れると、それをジーパンの尻ポケットにねじ込んで家に帰った。

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