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俺が死んでから、二ヶ月余りが経っていた。
二ヶ月で俺は、この幻の体にも、ずいぶん馴染んでいた。
とにかく、俺は誰からも見えないらしい。人間に限らず、犬や猫も、その存在に気が付かない。
血の気が多く、家の人間が通っても吠え、郵便配達に二度も噛みついた、隣の馬鹿犬、ババロアも、俺が目の前にいることに気付かず、欠伸をしていた。
ということは、匂いはおろか、気配すら無いということになる。
ただ、孫の俊彰だけは、ときどき、俺の存在に気が付いているんじゃないかと思うことがあった。まだ、ようやく目が見えたか、見えていないかの赤ん坊が、どういうわけか、俺の姿を目で追ったり、笑いかけたりするのだ。
しかし、相手が赤ん坊では、それを確かめることもできなかった。
俺に関して言えば、五感の内、少なくとも四つは正常に機能していた。目は見えるし、耳も聞こえる。匂いだってちゃんとする。物には触れないが、自分の体や、死んだとき身に着けていた衣服、ポケットに入っていた財布や、水が入って壊れた携帯電話にはちゃんと触ることができた。
味覚だけは、物を食べてみないことには、確かめようがない。といっても、手で口に運ぶことはできないし、皿の上にあるものを舐めようとしても、舌がすり抜けてしまう。
物に触れないのなら、地面の上に立っていることの説明がつかないのだが、どういうわけか、俺は立っている。寝転がることもできる。階段を上ることもできるし、電車に乗ることだってできる。俺が43年で培った貧相な常識では説明のつかないことが、起きていた。
そういえば、この体には一切の苦痛がない。まぁ、体が無いのに、頭痛や肩こりがあったら、詐欺みたいなものなんだが、眠くなったりもしないし、腹が減ったりもしない。だから、眠る必要はないし、食べる必要もない。というか、眠れないし、食べられない。
こういった特徴のおかげで、辛いことや面倒なことは一切無かったが、逆に楽しいこともまったく無くなってしまった。改めて、死ぬもんじゃないなと思う。生きていたときの苦痛は、そのまま生きている証でもあったのだ。
そして、これは、死んだことのある者にしか理解できない行動かと思うが、俺は四六時中、妻や息子たちの後をつけ回した。
一人に絞って、後をつけ、その行動や反応を観察することで、まるで自分がその人であるような感覚を得ようとする。生きている錯覚に陥ろうとするのだ。
俺の今の状態が『幽霊』だとするなら、これが『取り憑く』ということの真実だ。
そのハガキは、郵便受けの中にあった。
毎朝、佳織は朝刊と一緒に郵便物を郵便受けから持って来て、大きな、四角い煎餅の空き缶に入れておく。家の者は、その中から自分宛の郵便物を探し出すのを日課にしていた。
不思議なことに佳織は、郵便受けの中にある一枚のハガキを、毎日見逃していたのだ。
宛名には、俺の名がある。その点は珍しい話ではない。ダイレクトメールなんかは、死人宛にも、普通に届く。
いったい何のハガキだろうと裏返してみると、市役所からだった。
『あなた様の死亡より一ヶ月が経ちましたが、未だ死亡届(本人提出分)が提出されていません。つきましては、 3 月 15 日までに、このハガキをご持参の上、市役所市民課まで、いらっしゃいます様…』
日付の部分が、ボールペンで手書きになっていた。
「死亡届の本人提出分だぁ?」
そう呟いて、俺は、自分の手がハガキを持っていることに気が付いた。




