21
思い出話が長くなった。
朝日がビルの上方を照らし始めた。薄もやのかかった公園に、スズメの声が響いていた。
早朝のオフィス街は、昼間の喧騒が嘘のように閑散としている。公園を取り巻く木立からは、新緑の香がした。
時計のポールの下に、ゴミの塊のようなものがある。昨夜から気になっていたが、明るくなると、その姿がはっきり見えるようになった。
ブルーシートで作った、テントが張ってある。おおかた、ホームレスでも住んでいるのだろう。
やがて、ガサゴソ音がして、案の定、中から小汚い中年男が出て来た。ベージュの作業着に、くすんだ青のニット帽。顔一面に無精ひげを生やし、四角い眼鏡をかけている。レンズには、両方ともヒビが入っていた。
雑巾みたいなタオルを肩にかけて、俺たちがいるベンチのところの、水飲み場までやって来た。頭まで毛布をかぶって寝ている曽山の姿を見て、チッと舌を鳴らした。
感じの悪い奴やな。この公園を自分の縄張りとでも、思ってんのか?お前がやってることは、不法占拠やぞ。
男は眼鏡を外して水飲み場の縁に置いた。蛇口を捻って水を出し、ひげの生えた顔を、バシャバシャと乱暴に洗う。
水飲み場は、曽山の頭から2メートルと離れていない。その音で、曽山が毛布から顔を出した。体を起こして、ホームレスを見る。
「ふぅ…」。男は気持ちよさそうに息を吐いて、肩にかけたタオルで丹念に顔を拭った。
曽山が、見ていることに気が付いて、
「なんだ、起きたのか?起きたんなら、とっとと出て行ってくれ。あんたがそこで一晩眠ったおかげで、こっちは迷惑してるんだ」
今一つ事態が呑み込めないといった様子で、とりあえず体を起こし、曽山は首を傾げた。
「分からないか?分からんだろうな。分からなくてもいいから、とっとと出て行ってくれ。そして、二度と来るんじゃない!」
どういうわけだか、男はずいぶん憤慨の様子だ。曽山がこのベンチで寝たことが、よほど気に入らなかったらしい。
俺なら言い返してやるところだ。大学時代の曽山でも、言い返しただろう。当時、曽山は正義感の塊のような男だった。曲がったことが大嫌い。弱きを助け、強きを挫く。まるで、少年漫画の主人公みたいだった。
「なんだか、迷惑をかけたみたいで…」。
時の流れは人を変える。たいていの大人がそうするように、曽山はまず謝った。性質の悪いのに絡まれたときの、常套手段だ。
「そうだ!迷惑だ!」。これは勝てる相手と見做したらしい。図に乗った男が、乱暴に言い放った。鼻息に煽られて、鼻毛がチロチロ踊るのが見える。「いいか?お前は知らんだろうが、この公園はな、『星空モーテル』って呼ばれてるんだ。オフィス街に隣接していて、夜が更けると人通りがほとんど無くなり、外の道からは、木が邪魔して公園の中が見え難い。街灯の光もいい感じに暗い。
要するにだな、若いカップルがいちゃつくには、持って来いの場所なんだよ!俺は毎晩のそれを楽しみにして、あんなところにテントまで張って住んでるんだ。
昨夜はよく晴れて、星は綺麗だったし、風も暖かかった。となれば、何組かのカップルが、確実に見れたはずだった。それが、お前のせいで全部オジャンだ。当たり前さ。お前みたいな不景気な顔したおっさんがベンチの上にいたんじゃ、ムードも糞もないからな!」
デバガメじゃないか。
よくもまぁ、デバガメ風情がこうも毒づいたものだ。まるで自分の権利を主張するような物言いだが、やってることは犯罪である。
もっとも、暗いとは言え、公共の場所でいちゃつくカップルにも、十分問題はあるのだが…。
「……」。さすがの曽山も呆れて言葉が出てこない。
男がまた、舌打ちした。
「とにかく、さっさと出て行ってくれ」。そう言って、水飲み場の上に置いてあった眼鏡を手に取り、顔にかけた。
曽山は、いそいそと毛布を畳む。
そうや。こんな奴には、関わり合わん方がええ。
男は、子供に説教した後のように腕を組み、上から睨みを効かせていた。
「ん?」
ふと、何かに気が付いた様子で、眼鏡をかけた顔を、曽山に近づける。
曽山は目を逸らした。
「んん?」。無精ひげに覆われた、脂ぎった顔が、さらに近づく。
曽山は、慌てて、畳んだ毛布をバッグに押し込むと、ベンチから立ち上がった。バッグのストラップを肩にかけ、男に背を向けると、公園の出口に向かった。
「ソーヤンか?」。背後から、男が言った。「違ったら悪い。でも、あんた、ソーヤン、曽山誠じゃないか?」
名前を呼ばれて、曽山が恐る恐る振り返った。男の顔に目を凝らす。
『ソーヤン』は、大学時代に使われた曽山のニックネームだ。まさかと思い、俺も曽山と一緒に、ヒビの入った眼鏡をかけた、その顔をようく見てみる。
あっ!
「石原?!」。曽山が叫んだ。




