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度重なる絶望で、逆に、可笑しくなってきた。
だったら、一人でできることをするだけだと開き直り、俺は旅に出た。そういえば、若い頃、まだ佳織のお腹に子供ができる前、俺は、そんなことを夢見ていた。リュックサック一つ背負って、一人で世界中を旅してまわりたいと思った時期があった。よもや、こんな形で叶うとは…。
交通機関は、使い放題だった。物に触れないのに、飛行機に乗れるのは理屈に合わない気がしたが、事実、乗っているのだから、仕方がない。
行けるところは、何処でも行こうと思った。やれることは、何でもやろうと思った。
ヨーロッパで史跡を巡り、アフリカで動物を観察し、ウユニ塩湖を歩き、エベレストに登頂した。ピラミッドの中を探検し、ホワイトハウスで大統領の椅子に座り、ブロードウェイミュージカルをステージの上で見た。
これまで、ろくに日本から出ないで生きて来た(今は死んでいるが)俺には、あらゆる物が新鮮で、面白かった。しかも、時間は無限にある。それこそ、世界中を塗りつぶすように、くまなく回ることだって可能だ。俺は旅を始めた頃、そのことに気付いて激しく興奮した。
だが、それも長くは続かなかった。一年を過ぎた辺りから、世界を回ることも、段々空しくなって来た。新しい物を見ても興奮しなくなり、故郷が恋しくなった。日本語が聞きたくなった。
きっと旅行なんていうものは、退屈な日常生活に加える一つのアクセントみたいなもので、帰る場所があるから楽しめるのだ。だが、俺にはもう、永久に、そういう当たり前の生活は戻って来ない。
俺の世界周遊は、二年足らずで幕を下ろした。
旅をしているときにも、家族のことを忘れたことは無かったが、日本に戻ったからと言って、家に帰るつもりはなかった。もう、あそことは決別したつもりになっていたし、どう頑張っても何一つ変えられない自分の家族を見るのは、何処か恐ろしかった。
そして、次にすることを考えた。
どんなことでも可能で、暇で暇で、ただ自分を喜ばせることだけを考えて生活する。
大金持ちの老後は、こんな感じだろうなと思った。
生きているうちは、そんな生活が羨ましく見えたものだが、気の毒なことに、彼らは生きているうちから、死んでいるような生活をしていたのだ。
そして俺は、長い間連絡をとっていなかった友人たちを、順番に訪ねてみようと思った。
成田空港に帰国した俺は、大学時代の友人、曽山誠の住むマンションにやって来た。このマンションには、10年以上前に一度、訪れたことがあった。
一人娘のみのりちゃんは、さぞかし大きくなっていることだろうと、楽しみに思ってやって来たが、マンションの中に奥さんと子供の姿はなく、曽山一人が、つまらなそうにテレビを見ていた。
曽山に取り憑いて、しばらく過ごすうちに、つい最近、彼が会社をリストラされ、奥さんと子供が家を出たことを知った。
曽山自身も、昔のような活力がない。そりゃあ、俺たちがつるんでいたのは、二十年以上も前の話で、その頃は若かったから、活力に溢れていたのかもしれない。だが、飯も食わずに、家の中でゴロゴロし、夕方が来ても電灯すらつけない友人の姿は、あの頃の、しっかり者とは、まるで結びつかなかった。
抜け殻のようになった曽山を見て、俺はいても立ってもいられない気分だった。こいつを、どうにかしてやりたいと思った。
「まるで、人生が終わったような顔しよってからに。そんなんやから、奥さんも愛想をつかすんや。シャンとせぇ!曽山誠!」
俺が生きていたなら、一発引っ叩いて、正気に戻してやっただろう。だが、俺の手は奴の顔をすり抜けるばかりだ。
「お前なんぞ、まだマシや。俺を見ろ!」
死んだ人間が、如何に惨めかということを教えてやりたかった。しかし、俺の声は奴に届かない。俺の姿は奴に見えない。
こうして、俺はかつての友人に再会し、しばらく忘れていた死者の無力さというやつを再確認するはめになった。
何もできないことは、重々承知していたが、こうなると、今度は心配で離れることができなくなった。
そして、そのまま、一緒に過ごすうちに一ヶ月が過ぎ、マンションを退去する日がやって来たというわけだ。




