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俺と曽山は、大学時代の同級生だ。もう二十何年も前の話になるが、十八歳の春から二十二歳の春までの丸四年間、俺たちは同じ学校に通い、共に学び、共に遊んだ。酒を酌み交わし、夢を語った。卒業してからも、年に一度くらいは連絡を取り合い、三十代の半ばくらいまでは、数年に一度会うようなこともあったが、ここ十年は、まったくと言って良いほど声を聞かず、ふと懐かしくなって、俺が顔を見に訪れたのが、この一ヶ月ほど前のことだった。
二階の、奥から二番目の部屋、203号室が新しい住処となる部屋だ。黒いペンキの塗られた鉄製の外階段を上っていくと、上から何やら騒々しい様子が聞こえて来た。怒鳴り声と、何かを激しく叩いている音がする。
二階に着くと、警察官の制服が目に入った。二人いる。
何事かと思って近づくと、警察官とは別に、くたびれたジャージを着た中年の男が一人いて、ドアをバンバン叩きながら、何やら怒鳴っていた。
問題は、その叩いているドアが、203号室のものだということだ。
曽山が近づくと、中年男はこちらに気が付いて、ドアを叩くのをやめ、わざとらしく作り笑いまで浮かべて近づいて来た。
「ひょっとして、曽山さん?どーも、はじめまして。大家の高橋です」
契約関係から、鍵の引き渡しまで、仲介している不動産屋がやってしまうので、大家に会うのは今日が初めてだった。伸びた角刈りの頭をした五十代くらいの男だ。
「何かあったんですか?」。曽山が訊ねた。
「いやぁ、たいしたことじゃないんですがね。そこの部屋の前の借主の奴が…。先日、家賃の払いが悪りぃんで追い出したんですが、いつの間にやら戻って来て、また住んでやがるんですよ。居住権だの何だのと、意味も知らねぇくせに振りかざしやがって、出て行けって言っても、出て行かねぇって言い張る次第で。仕方がないんで、警察の方々に来ていただいたんですが、ドアや窓を破られたら困りますしね。にっちもさっちも行かない状況なんですわ」
「合鍵は?」
「ここにあるんですがね」。大家は、鍵の束をジャラリとぶらさげた。「野郎、ドアに補助錠を4つもつけてやがりまして。…まったく、そんな金があるなら、家賃を払えってんだ」。忌々しげに言った。
「その借主の方は、どうやって入ったんですか?」
「どうやってって、そりゃあ、玄関から入ったんでしょうね」
「鍵は?もしかして、鍵を取り換えて無いんですか?」
「もちろん、換えていませんとも」。大家は、胸を張って言い切った。「換える必要があるとでも?」
「そうしないと、不用心…」
「曽山さん!」。言葉を遮って、大家が言う。「ご存知ないかもしれませんが、大家に鍵を交換する義務はないんですよ?必要があるなら、自分で換えてください」
「でも、以前借りたところでは、大家さんが…」
「そりゃ厚意でしょ?うちでは、入居者が変えることになっとるんですよ」
大家は、言い掛かりでもつけられたかのように反論した。
しかし、事実、こうして前の借主が押しかけて来て、立てこもり騒動になっているのだ。入居前だから良かったものの、入居後だったら、新しい借主に危険が及んだかもしれないではないか。
曽山は、それ以上言い返さず、黙った。大家は、自分の言い分が通ったものと勘違いして、
「そういうことですから、これはちょっと長丁場になりそうです。今日の入居は難しそうなんで、明日にしてもらえますか?」
「ふざけんな!」と言ったのは俺だ。「こっちは荷物をまとめて、今日入居するつもりで来てるんや。どうしても無理やと言うんなら、今晩泊まる所を用意せんかい!」
しかし、曽山は言い返さず、ため息を一つ。
「わかりました。明日には荷物が届くので、それまでにはなんとかしてください」
大家は、「ええ、もちろん」と、作り笑いをする。
そのとき、
「出て行かねぇぞ、バカヤロー!入って来たら火ぃつけてやるからな!」。203号室の内側から罵声が飛んだ。
おう、やっちまえ。俺はいっこうに構わん。
大家が退いたので、203号室では、警察官二人がドア越しの説得にあたっていた。
『火をつける』の一言に、大家は顔を真っ赤にして逆上し、ドアの前に駆け戻った。
「いい加減にしろ、スガイィ!火なんてつけやがったら、てめぇと、田舎にいるてめぇの親、絞め殺してやるからな!」
どうやら、今晩中に決着がつくかどうかも怪しい雲行きなので、俺たちは黙って、そのアパートを後にした。